▲4一 公園
JR道徳駅は各駅停車でないと停まらない。二つ隣の桜場高校の最寄りである桜ヶ丘駅に快速が停まるのは、僕ら桜場高生に親切なわけではなく、付近に地下鉄が通っているからだ。都市計画は効率と円滑な営みの期待によって描かれる。そういう意味でいえば、道徳駅に求められている役割は派手な商業地区や工業地帯の担い手ではなく、閑静なベッドタウンなのだろう。
駅前ロータリーは、どこにでもあるチェーン店と見たことのある看板で溢れていた。一応の目抜き通りで最も良い立地にあるのは全国区のコンビニだ。反対側には地方銀行の支店がある。決して寂れているわけではないが、特筆すべきものは見当たらない。都市部の田舎とでも呼ぶべき風景をぼんやりと眺めていると、僕のスマホが鳴った。
――KUROKI:着いた?
シンプルな疑問文だ。駅を出てすぐにメッセージが来たので思わず周囲を見回したが、よく考えたら僕の姿が見えない位置にいるから訊いてきたのだろう。実は電柱の影に隠れて、こちらを見ているなんて可愛らしい悪戯はありえない。その手のコミュニケーションを無駄な労力と切り捨てるのが黒木さんである。
――YABUKI:今着いたところ。どこにいる?
メッセージを返して時計を見た。うん、予定通り。十三時に駅前集合だから見事な十分前行動だ。
――KUROKI:もう公園にいる。高槻部長と同じ電車だったから、そのまま来た。ハンナちゃんと一緒に来て。
――YABUKI:了解。
いきなり予定が狂ったが仕方ない。ここでようやく気付いたが、駅を降りた直後にタイミングよくメッセージが届いたのは、恐らく黒木さんが各駅停車する電車の時刻表を覚えていたからだ。確か二十分に一本のペースだった。彼女は余裕を持って一本早くきたのだろう。
「矢吹君」
声がして振り返ると、マカロンみたいな帽子を深めに被った女性がいた。女性はすぐに片手で帽子をあげ、ハンナさんだと分かる。ふくらはぎにかけて裾が拡がった薄い緑のパンツに、白いノースリーブのゆったりとした服を着ていた。僕のファッションに関する語彙力ではこの表現が限界だ。きっとお洒落なのだろう。少なくとも、ジーパンにTシャツの僕よりは。
ハンナさんは右手にコンビニの袋を抱えていた。うっすらと中身が見える。ホットドッグが1本、すでに串になったものが1本。コンビニのホットスナックでお昼を済ませるつもりらしい。
「同じ電車でしたよ。ホームで見かけたのに、ずんずん先に行くから追いつけなかったです。コンビニに寄ってこれを買うために前を通りましたけど、ずっとスマホを見ているし」
「ごめん、気付かなかった」
「黒木ちゃんは?」
「前の電車で高槻さんに会ったから、もう公園にいるってさ。僕らも行こう」
「では、公園までは二人きりですネ」
ハンナさんは笑顔をみせた。イントネーションでからかわれているな、と分かったが、対処方法はまだ見つかっていない。二人であるのは事実だから、過剰に反応しないでおこうと心に決めた。
公園までは約300メートル。これは事前にマップアプリで調べておいたので間違いない。迷うような距離でもないので、僕たちは話しながら歩いた。
「昨日の夕方のニュースで、公園の事件がやっていましたよ」
「あ、僕も観たよ。同じのかな? 結構短かった」
地元で起きた事件としてはセンセーショナルだと思っていたので、公園に報道陣が殺到している様を想像したけれど、実際はニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げるだけだった。
被害者の名前や年齢などの個人情報も公表はなく、警察が事件の解明に取り組んでいると伝えられて次のニュースに切り替わった。解明に取り組まれないものは事件と呼ばないのだから、最後のくだりは無意味な情報と言える。発見されただけで誰も通報していないのでは、と心配する人がいるのだろうか。
「まだあまり捜査が進んでいないみたいだね」
「普通の事件よりは、難しいんだと思いますよ。目撃者がいないなら、手掛かりは燃えてしまった死体だけでしょうし。あ、でも警察が事情聴取に来たから、被害者は特定できているんでしたね」
「言われてみれば、どうして被害者が公園でよく将棋を指していた人だって分かったんだろう」
「きっと、犯人がわざと手掛かりを残したんです。死体の入れ替えトリックかも。被害者が実は生きていて、似たような体格の人物を身代わりに殺したとか。もしかしたら、死体の骨を調べたら手と耳の骨が別人だったり……」
興奮した様子でハンナさんが拳を振る。
「あの、ひょっとしてミステリとか好き?」
「オー、バレてしまいましたか」
ハンナさんは大袈裟なリアクションで両手を広げた。
「小さい頃に日本に来てから、日本語の読み書きのために読書を習慣にしたんです。できれば面白いものの方が捗るのでミステリに手を出しまして、今やすっかりミステリファンなのですよ」
「ああいうのって次々事件が起きるけど、身近で事件なんて滅多にないからね」
「そうなんです。不謹慎なのですが、実は私、今結構ドキドキしてます」
どれだけ凄惨な事件も、直接関わりない人間からすれば消費されるトピックでしかない。僕も被害者に会ったことはないので、似たような感覚だった。
「あ、矢吹君にもドキドキしてますよ」
「僕の方おざなりじゃない?」
それ今思いついたろ、と言いたかったが止めておいた。
道徳公園が見えてくる。等間隔に並んだ木々の隙間から、野球のグラウンドが見える。北側一帯が池と林で、西側にテニスコートやバスケットコートがある。東側は遊具のエリアだ。各エリアは遊歩道で繋がっているが、広すぎて一望するのは難しい。道徳公園の文字が刻まれた石碑を抜けると、アスファルトで舗装された道がなくなり、土と新緑の入り混じった独特の匂いがした。
「初めて来ましたけど良い所ですね。近所の公園より広いかも」
昨日会話の中で知ったのだが、彼女の家は千種にある。言及されているのは恐らく千種公園だろう。あちらも野球場からテニスコートまで備わっている。
「そういえばどこにいるのか詳しく聞いてなかったな」
「向こうにいますよ。将棋してるみたい」
「よく見えるね」
「視力は2.0です」
ハンナさんが遊具のエリアを指さした。流石に滑り台やシーソーの上で将棋はやらないだろう。指し示す方向を正確に追うと、林側に通じる遊歩道の入り口付近で、道が少し膨らんでベンチが並ぶ場所に向けられている。僕の視力では、目を凝らしても複数人固まっているのがかろうじて分かる程度だった。
野球場のフェンスに沿って、遊具エリアへと歩く。土曜日の昼間だというのに、野球少年たちはいなかった。事件があったから親に止めたか自主規制だろう。キャッチボールをしている学生が一組いるだけだった。
「高槻さんとは面識があるんだっけ」
「はい。家に遊びに来た時に何度か。でも小学生の頃で、まだ日本語に来たばかりだったのでほとんど喋れなくて、私は兄と高槻さんが遊んでいるのをこっそり見ていました」
「そうなんだ」
「兄もまだ日本語が話せなくて内気な方だったのに、ある日いきなり友達をつれてきたんです。その友達が強引にゲームを教えようとしていたのを覚えてます。紙に線を引いて、段ボールを鋏で切って駒にしていた。ずっとチェスだと思っていたんですが、後で兄に教えられてそれが将棋という日本固有のゲームだと分かりました」
「あの人、昔から今みたいな感じだったのか」
国際交流だ、とか、将棋を覚えれば友達が増えるぞ、などと吹聴して二条家にあがりこんだのだろう。嘘を言っていないので余計に質が悪い。
「日本に来たのは小学校に入学するとき?」
思い切って尋ねた。
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