第4話 知らない話
家に近づくとどこかの家のハンバーグのにおいがしてきていた。玄関の前で、自分の鍵を出しかけて、ポケットにしまった。なんとなくインターホンを押す。インターホンに出たのは父親の声だった。
私だけど、と応えると、無言のままにドアがあいた。なぜ鍵を使わなかったのかは問われなかった。おかえり、という父親になんと応えていいのかわからなかった。黙り込んだ私に父親がいぶかしげな目を向ける。うつむいて、正しく応えて、違和感に気づく。父親に出迎えてもらったことなどこれまでなかったのだ。父親の頭の不健康な色のニット帽はどうやらそのバリエーションを増やしたようだった。
部屋に入ると母親の声が追いかけてきた。夕ご飯の準備を頼んでベットの上でなんとなく何もない掌を見つめた。部屋着に早く着替えないと、と思いながらも動けなかった。下の階からはうっすらとバラエティ番組の音が聞こえてくる。父親もこんな番組で笑うのだろうか、と何でもないことを考えてようやく動き始めた。
思い返せば、父親とは本当にろくに話をしたことがない。
彼がどんな人生を歩んできたのか、その彼の人生の一部であるはずの私は何も知らなかった。面と向かって真剣に話をすることなんて、父と娘の間にあること自体が珍しいはずだ。
そういえば彼はどんなアルバイトをしていたのだろう。高校では何部にはいっていたのだろう。大学のサークルの話も、母親との出会いも知らない。どうやって何を選んで、今ここにいるのか、実のところ私は何も知らなかったし、知らなかったことを自覚すらしていなかったのだ。
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