第28話 私には妻子が!

「マナー……向上……?」


 あまりにも意外すぎる言葉に、思わず九藤がおうむ返ししてしまう。

 いまのいままで、鬼との交渉の危険性や、陰陽師のありかたについての話をしていたのに。


「京都市長の協力はとりつけたわ」


 さすがに命の言葉では説明不足だと思ったのか、クンネチュプアイが口を出した。


 結局、観光客のマナーの悪さによって引き起こされる住民のいらいらが悪感情の正体であり、負のエナジーの発生源であること。

 それを何とかしないかぎり、負のエナジーが溢れるのを止めることはできないということ。

 そもそも京都という街自体が霊的に安定した土地にあり、プラスであれマイナスであれ、霊力が増幅されやすいのだということ。


 そして解決のために、酒呑童子、狸谷山不動の古狸、鞍馬天狗、陰陽師、そしてエルフが奔走していること。京都市長も協力を約束したことを、順を追って説明したのである。


 九藤は目を白黒といった感じ。

 伝説級の存在がこぞってなにをするかといえば、なんとマナー向上のための悪だくみだ。

 言葉だって出てきませんよ。


「で、でもそれは抜本的な解決にはならないのでは……?」


 かすれた声を、白音が絞り出した。

 どんなに頑張ったところで、マナーの悪い観光客をゼロにすることはできない。ということは、住民の悪感情だってなくならないということだ。


「そこはいいのよ」


 エルフがくすりと笑う。


「いいんだ……」

「どんな感情だってゼロにはできないし、して良いものでもないのよ。まったくストレスを感じていない人間なんていないでしょ」


「それはそうですけど……」

「高尚でもなんでもない言い方なんだけどさ。客商売なんてやっていたら、多かれ少なかれお客さんにはいらいらするものよ。お客様は神様です、なんてのは大嘘大嘘」


 一般的に言われてるのは誤用だけどね、と、付け加える。

 歌手の三波春夫みなみ はるおの言葉として有名なフレーズであるが、彼はべつに客は神様だから何をしても良い、とは一言も言っていない。

 歌うときには、神前にいるかのようにまっさらな気持ちで歌うのだ、と、自分の心構えを語っただけだ。


 客を神、つまり絶対者に見立てて、それを楽しませようという心意気の話が、いつの頃からか都合良く解釈され、客は神なんだから何をしても良いって意味で使われるようになってしまった。


「……その解説、必要でした?」

「考えるな白音さん。アイのペースに巻き込まれるだけだ」


 首をかしげる白音に命がアドバイスした。

 クンネチュプアイと話していると、いったいなんの話をしていたのか判らなくなるのは、いつものことである。


「ともあれ、まったくなんのストレスもなく客商売ができるなんてことはありえないの。でも、商売なら少しは我慢もするわけよ。お金のためにね」


 しかし、客商売なんてしていない京都の人々にとっては、なかなか我慢は難しい。

 それこそ、一円の得にもならないのだから当然だ。

 おもてなしの心、なんて謳ったところで限界がある。


「私たちがやるのは、その限界点に達しないように、住人と客両方の温度を下げるってだけ」

「だけって……めちゃくちゃ難しい気がするんですけど……」


「そりゃそうよ。簡単に解決するような話なら、そもそも私が呼ばれるわけがないし、エモンが一億円も報酬だすわけないじゃない。報酬分以上に働かせる気まんまんなんだから。あのタヌキ親父は」

「はあ……?」


 タヌキ親父とかいわれても、白音はエモンのことなんか知らないのである。


「……話の趣旨は、理解した」


 九藤が口を開いた。

 しばらく放心状態だったが、ようやく再起動したようだ。


「クンネチュプアイが京都の人々のために尽力してくれているのは事実のようだ」

「人々じゃなくて、この街に住むモノすべてのために、ね」


 微妙に修正する。


 エルフの方針として、人間のためには動かない。

 妖たちの相談役たるエモンの依頼に応えることで、たまたま人間にも利益があるというだけなのである。


 軽く頷く九藤。

 しかし、その目にはまだ保留の色が強い。


「なにか不安でもあるの?」

「貴女の存在が妖や鬼や天狗の接着剤になっていると思う。まさにキーパーソンだ」

「そりゃそうよ」

「その貴女が、護衛も連れずにふらふら出歩いているのはどういうものか、と」


 ちらりと命を見たのは、こいつが護衛ということでいいのか、という意味だろう。

 まあ、陰陽の家の当主といっても若造だし、そもそも彼自身に護衛がついていなくてはおかしな立場だったりする。

 貧乏なので、護衛を雇うお金はないけれど。


「私、護衛が必要なほど弱くないわよ」


 ふふんと胸を張るクンネチュプアイだったが、大嶽丸に拉致されて暴行されたのは昨日のことである。

 どの口が言うのかって話だ。

 もちろん命は余計な発言はしなかったが。


「それはそうだろうが……」

「正直に言ったら? 九藤さん。私が気まぐれに帰っちゃったら、このにわか同盟は崩壊しちゃうんじゃないかって心配してるって」

「う」


 図星を突かれ、言葉に詰まってしまうRCBのリーダー。

 彼らとしては保証が欲しいのである。

 すでに大嶽丸に騙されているからこそ、余計にその思いが強い。


 そのあたりの気持ちを察することができないほど、クンネチュプアイは子供ではない。


「口約束じゃ信用できないだろうし、書面を交わしたって同様でしょうし、どうしたものかしらね」


 繊手を形の良い下顎にあて、ちょっと考える。


「あっ! 良いこと思いついた。京都の人と恋人なり夫婦になれば縁ができるから、少なくともその人が死ぬまでここにいるわよ」


 ぱちんと指を鳴らしたりして。


「そんな馬鹿な……」


 恋愛にしても結婚にしても、すると決めてから相手を探すものではないだろう。

 呆れる九藤であったが、エルフの次の一言で事態は他人事でなくなってしまった。


「ま、契約的なものだし誰でも良いのよ。探すのもめんどくさいからこの中の誰かで良いわ。女の子でも良いし」


 まさに爆弾発言。

 なにしろこの場には、クンネチュプアイを除けば三人しかいない。

 三人の内ひとりが人外のエルフに供物として差し出されることとなった。


「わ、私には妻子が!」

「わ、私、婚約者がいますのでっ!!」


 ものすごい勢いで難を逃れようとする九藤と白音である。

 本当かどうかは本人しか判らないが、人外と恋人なり夫婦になるくらいなら、嘘くらい簡単についちゃう。

 咄嗟のことに固まっていた命に、クンネチュプアイが笑いかけた。


「おめでとうミコト。消去法の結果として、君が私の恋人に決まったわ」

「ふぁっ!?」


 本日二度目の素っ頓狂な声であった。


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