第18話 鬼が出た!
京都市街を巡回する部署を設けることを市長は約束した。
職員によるものかボランティアを募るかはまだ未知数だが、間違いなく市議会を通過させる、と。
対してクンネチュプアイは、酒呑童子やサナートを含めた面々との一席を設けると確約する。
遠からず、京都市には多額の寄付金も振り込まれるだろう。
「なんというか、典型的な料亭政治だな」
帰りの道すがら、命がやれやれと肩をすくめる。
聖人君子を気取るつもりはないが、目の前で汚職劇っぽいものを見せつけられるのは、なんともいえない気分だ。
「議員に直接話を持ち込むってのは、べつに珍しい話でもなんでもないわよ。田舎になればなるほどそうね。結局はコネがものをいうのよ。最後は」
「なんてせちがらい世の中なんだ」
コネクションのない一般市民は意見を言うこともできないというのか。
おおげさに嘆いてみせたりして。
もちろんそんなことはなくて、公聴会でもご意見箱でも、自分の考えを議会に伝える手段はいくらでもある。
コネクションを使うというのは、いくつかの行程をショートカットするというだけのことで、べつに結果が約束されているわけではない。
ただ、役所というのは手順を守らせることが仕事であって、破らせることは任としていないので、まともに手続きをしていくというのはものすごーく時間がかかる。
「市長が、ちゃんと計算ができる人間で良かったわ」
「妖とのコネクションに飛びついただけに見えるけどな?」
「そうじゃないわ。人外と関わりを持つなんて、メリットばかりじゃないもの」
薄く笑うエルフ。
他人の知らない世界を知るということは、さまざまな弊害が出てくる。
語れないのだから当然だ。
まして知っているだけでなく関わるとなると、人生そのものが変わってしまう。
「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ、ってやつよ」
フリードリヒ・ニーチェの『善悪の彼岸』を持ち出してみせる。
「人外は深淵か? たしかになぁ」
鬼や鞍馬天狗のチカラを何度も借りていれば、いつしかそれがデフォルトになってしまうだろう。
困ったことがあったら妖に頼る。
それはすくなくとも、人間の考えではない。
「市長はそれがわかっていて、
「なるほどな。けどそれって、結局は自分の利益のためにだよな?」
命が食いさがる。
若い彼としては、政治家は高潔であるべきと考えてしまうかもしれない。
「誰だって自分のために生きてるのよ。だからこそ赤の他人のために何かする人は称えられるし、尊敬もされるんだけどね。同時に警戒もされるのよ?」
「警戒?」
「ん。たとえば私が、七条家のために策を練りだしたらどう思う?」
クンネチュプアイが質問に質問を返す。
陰陽師が、むうと考え込んだ。
そりゃあたしかにありがたい。クンネチュプアイほどの智者が、滅び行く陰陽の家に力を貸してくれるなら、鬼に金棒というものだろう。
だが同時に、裏を疑う。
ぶっちゃけ、何をたくらんでるんだ? という思いの方が強い。
むしろ、何をさせるつもりだ? とか。
「OK。理解したよ」
「おう小僧。怒らないからどんな想像したか言ってみろや」
「すでに怒ってるじゃないか!」
ともあれ、自分の利益のために行動する人間の方が、ちゃんと話ができるというのはたしかだ。
きみのために、世の中のために、会社のために、なんておためごかしの方がよっぽど胡散臭い。
「ちなみに、アイは報酬とかもらってるのか? エモンさんから」
「もらうわよ。オトモダチ価格だけど」
「お、おいくら万円ですかね……?」
「一億円。キャッシュで。振り込みとかだと足がつくからね」
「たっか!? てか足って」
「戦争回避のネゴシエイトの報酬としては格安だと思うわよ? あと、贈与税とかバカにならないのよねー」
公然と脱税の話とか、なかなかに生臭い話である。
まあ、狸谷山不動の化けタヌキからもらいましたって説明しても、税務署はなかなか納得してくれないだろうけど。
「なら、倍額であんたをヘッドハンティングするぜ」
突然、声が割り込む。
ぎょっとして視線を巡らせるクンネチュプアイと命。
立っていたのは、茶色に染めた髪と黒い目を持った体格雄偉な男だ。
こんなに接近されるまで気配を感じなかった。
エルフと陰陽師が。
ただものではない。
「はじめましてだな。北の軍師」
にぃと唇を歪める。
ものすごく禍々しい。
命が、クンネチュプアイをかばうように前に出る。
「なにものだ。貴様」
「いきがるなよ。人間風情が」
誰何の声に返ってきたのは、鋭い踏み込みからの殴打だった。
咄嗟に両腕を交差させてぎりぎりガードした陰陽師が、その体勢のまま数メートルの距離を吹き飛ばされる。
白昼の街路に突如として現出した非現実。
しかし、道行く人々は誰一人として反応しない。
悲鳴すらあがらない。
「認識阻害をフィールドに使っている? いえ、違うわね。結界ってやつかしら」
ちらりと命に視線を投げ、たいしてダメージを受けていないことを確認したクンネチュプアイが呟く。
数メートルの距離を吹き飛ばされる一撃を受けても元気いっぱいなのは、陰陽師もまたただの人間ではない。
「意外だな。結界を見るのは初めてか? エルフ」
「まあ、私たちは認識阻害の方を使うからね。で? あなたは何者なの?」
自然体のままの問いかけ。
だが、彼女が一秒未満のうちに戦闘態勢に移行できるだろうことは、対峙している男にも判った。
ぴりりとした緊張感に、全身の産毛が逆立ちそうである。
ふたたび、にぃと唇を歪める。
こんな儚げで、線も細い女がどこまでやれるのか、見てみたい。
「大嶽丸だ。一手所望!」
言うが早いか突進する。
ぶんと振るわれた拳が大気を裂き、風が哭く。
びしりと歩道のアスファルトがひび割れた。
一瞬前まで、クンネチュプアイが立っていた場所の。
「スカウトにきたんじゃなかったの?」
呆れたような声は背後から。
攻撃を回避しただけでなく、後ろを取ったというのか。あの一瞬で。
見えなかった。
かといって魔力の発動も感じなかった。
それはつまり、単純な身体能力で彼の動体視力を上回ったということである。
「らあぁぁぁっ!」
声の位置へと後ろ回し蹴りを放つ。
「聴けよ。戦闘狂かよ」
たーん、と、バックステップで間合いの外へと逃れるクンネチュプアイ。
逃げ遅れた金髪が何本が千切れ飛ぶ。
「強者が目の前にいる。それだけだ。いまさら言葉になんの意味がある?」
大嶽丸が笑った。
剥き出しになる犬歯。
だめだこりゃ、と、大昔のコントみたいなことを考えるクンネチュプアイだった。
話にもなんにもなりゃしない。
矢継ぎ早に襲いくる拳や蹴り足を巧みに回避しながら脳細胞を働かせる。
考えてみずとも、鬼とはそういうものなのだ。
戦狂いというか、戦闘民族というか。
むしろ話が通じる酒呑童子の方が珍しいのである。
まあ、だからこそあの男は大将として君臨できるわけだが。
たいていはこの大嶽丸みたいに、荒ぶる鬼って形容詞がそのまんまな相手で、陰陽師たちも調伏するか追い払うかしか選択肢がない。
「ほんとな。普通に誰何するとか、アイに影響されすぎだろ。俺」
苦笑混じりの声が響くと同時に、大嶽丸の足元に五芒星が浮かびあがる。
「小僧ぅぅぅぅっ!!」
苦悶の表情で男が振り返った。
視線の先には、顔の前で印を結んだ命の姿。
「あと、小僧っていわれすぎ。たしかにチーム最年少だけど、これでも七条家当主だぞ。大嶽丸」
「ぬううううっ!」
術を破ろうと男が暴れる。
額からは角が生え、両手の爪は剣のように伸び、まさに鬼の形相で。
大嶽丸。
かつて近江あたりを根城にしていた鬼である。
退治したのは坂上田村麻呂。
まあ、退治されたわりには今ここにいるわけだが、そのあたりは酒呑童子も同じで、鬼というのは基本的に消滅させることが可能な存在ではない。
剣や銃や魔法でやっつけたとしても、それは力を失って現世にとどまれなくなっただけで、力が戻ればまた出てくる。
そういうものなのだ。
だからこそ、追い払うことができる陰陽師が恒常的に必要になるのである。
「があぁぁっ!」
気合い一発。
五芒の光が砕け散る。
「破った!?」
すでにそこまでの力を貯め込んでいるというのか。
危機を感じて後退する命。
印だけで発動する術では足止めにもならない。
「めざわりだ! 死ね小僧!!」
「公道上で死ねとか喚くんじゃないわよ」
命に迫る大嶽丸に追いすがったクンネチュプアイが、大きく跳んで、なんと太腿でその首を挟む。
あまりにも謎すぎる行動に、一瞬、大嶽丸が動きを止める。
そしてその一瞬で、クンネチュプアイには充分だった。
後ろへと倒れ込む。
美しい曲線を描いて、鬼の身体が宙を舞った。
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