第15話 万引き、ダメ、ゼッタイ


 クンネチュプアイが考案した「いつでもきみたちを見ているよ。だってヤンデレだもん作戦」が実行されて一週間ほど、観光地のマナーは目に見えて向上をはじめた。


 と同時に、けっこうな数の苦情が区役所や観光協会に舞い込んでいる。

 内容としては、「なんかじっと見ている人がいて気持ち悪く、ゆっくり観光することができない」というようなものが多い。


 これは想定の範囲内だ。


 なにしろマナーの悪い観光客というのは、自分が悪いことをしているとは思っていないから。

 客なんだから最大限のサービスでもてなされて当然。なにをやっても許されるし、観光地の人間はそれを受け入れるのが当たり前だと思っているのだ。


 こういうことをしたら迷惑なんじゃないかなー、という想像力がちょっとでも働く人間は、そもそもマナー違反なんかしない。


「そもそも、妖たちが見てるのはおかしな行動をしてる連中だけなんだから、文句を言うのはお門違いなのよね」

「監視されてたらワルイコトができないだろって文句だからな。人間どもははかりしれねえぜ」


 クンネチュプアイの言葉に酒呑童子が肩をすくめた。

 西京区にある彼のマンションである。


 作戦は順調だ。

 役人たちは苦情の対応に追われているだろうが、実際問題として何かできるわけではない。


 なにしろ人間に化けた妖たちは、ただ視線を注いでいるだけ。

 ケンカを売っているわけでも、注意や勧告しているわけでもない。

 他人を見てはいけません、という法律でも制定されないかぎり、取り締まりようがないのである。


「商店主たちは微妙な顔をしているな。たしかに客足は若干鈍くなっているけど、万引きとかの犯罪被害も減ってるらしい」


 アメリカンな仕草で両手を広げるのは命だ。

 店をやっているものならたいてい知っていることだが、万引き被害というのはけっこう洒落にならない。


 商品を一つ盗まれるということは、その商品を売って得られる利益がなくなる、ということに留まらないのだ。仕入れに費やした金銭の分も、まるっと損失になってしまうのである。


 ちょっと具体的な例を出すと、とくに万引きの被害が大きいといわれている書店などが判りやすいだろう。


 本というのは利益率が小さい。

 だいたい粗利二割といわれてるので、千円の本を一冊売ったとして、書店の取り分は二百円だ。

 この中から、店の維持費や人件費などが捻出されるため、実際の利益なんて五十円もあれば良いところだろう。


 では千円の本が一冊盗まれたら、その分を取り返すのに何冊売らなくてはいけないのかという話だ。

 ざっと二十冊。

 それだけ売って、ようやく相殺できる。


 できごころなのー、って盗まれた一冊の本の損失を取り戻すために、どれほどの努力と苦労が必要になるのか。

 商店主が万引き犯を蛇蝎のように嫌うのも頷ける話だろう。


 それが減るとなれば、そりゃあ経営者は喜ぶ。

 ただ同時に、それはあくまでも損失を防いでいるだけであって、利益を増やしているわけではない。

 万引きは減ったが客の数も減ったというのは、手放しでいやっほーいといえる状態ではないのである。


「そこはたぶん大丈夫だけどね。変なことさえしなきゃ、べつに見られないってのが判るから、じきに落ち着くわよ。具体的には、あと二週間くらいかしらね」

「その数字の根拠はなんです?」


 うろんげな目を向けるエモンだった。

 このエルフ、とくになんにも考えないで適当な数字をあげるから。

 そしてどういうわけか、その数字が当たっちゃったりするから手に負えなかったりする。


「根拠があればいいんだけどねぇ」


 にやにや笑いながら、クンネチュプアイが説明をはじめた。


 いまは、なんか変な目で見られるんだよねって意見がSNSなどにも投稿され、世間を飛び回っている。

 ただ、インターネットというのは話題が流れ去ってしまうのも速い世界だ。同じ話題が一週間も続くことなど稀で、むしろ同じ話題を続けていたら粘着だと思われてしまう。

 そういう場所なのだ。


 まして、とくになにも不利益をこうむらなかった観光客は、そんな記事なんか信用しない。

 じきに、デマとして処理されるようになるだろう。


「もし長くくすぶるようなら、対抗情報戦を展開すればいいだけだしね」


 万引きしようとしてたから見られてただけじゃねーの? とか、なんか変なことをしてたから注目されただけじゃね? とか、そういう情報だ。


 ただの言いがかりなのだが、元々、悪行を監視するための目である。

 根も葉もないものではない。


 ましてSNSは、つねに攻撃対象を求めている。

 こいつは悪い奴って決めつけたら、鬼の首でも獲ったかのように責めたてるのだ。


「いつだったか、なんかの事件の犯人だとネットで疑われた女性が、ものすごく悪し様にいわれたことがあったわね」


 肩をすくめる。

 結局それは誤報というか、特定班とやらの勘違いから生まれたデマだったわけだが、叩いた連中は当然のように責任を問われることとなった。

 そして今度は、叩いた連中が叩かれ始めた。


 因果は巡るというかなんというか。

 そういうことをしている人々にとって、他人を攻撃するのも人格を否定するのも、遊びの延長でしかない。

 べつに深刻な憎悪をもってやっているわけでもないので、対象は自分以外であれば誰でも良いのだ。


 もちろん、自分が矢面に立つ可能性、なんてものに思いを致すこともない。


「……ていうかクンネチュプアイは、人間以上に人間のことが判ってるよな」

「むしろあなたたちが研究をしなすぎなのよ。酒呑童子」


「してるぜ? 研究」

「それは、どうやって利用するかって技術的な部分でしょ。本質を探っていかないと」

「本質て」

「彼を知り己を知れば百戦殆からずよ」


 孫子の言葉などを持ち出すクンネチュプアイ。

 彼女はいったい何と戦っているのだろう。


 ちなみにこの言葉に続きがあって、彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し、という。

 ようするに、相手のことを知らないで自分のことを知ってる状態なら勝敗は判らない、どっちのことも知らなかったらそりゃ負けるに決まってるよねってくらいの意味だ。


「ともかく、これで解決かな?」

「んなわけないでしょーが、ミコト。打った手の内のひとつがたまたま上手く運んでるだけって状況よ。今は」


 命の楽観をクンネチュプアイが笑い飛ばした。

 この程度の策で完全に解決なんてするわけがない。

 もしするなら、啓発ポスターくらいでも充分に効果が望めるだろう。基本的にはその延長線上にある作戦なのだから。


「そ、そうなのか……」

「そうなのよ。啓発ポスターってのは、見た人の良心とか道徳心とか羞恥心に働きかけるんだけど、見てくれないとそもそも意味がないわよね」


 それを一歩進めたのが今回の作戦である。

 ポスターのような受動的な手段ではなく、他人の目という能動的な方法をもちいる。


 さらにもう一歩進めたら、注意するとか通報するとか、あるいは拘束してしまうとか、そういうことになるだろう。

 しかし、拘束は論外としても、他人に注意するなんてかなりの勇気が必要だ。まして外国人が相手なら、言葉が通じない可能性だってある。

 掴みかかられたり殴られたりする可能性だって無視できない。


 もちろん妖が人間に負けるわけがないし、そもそもとっとと逃げてしまうので捕捉することもできないが、できるかぎりトラブルを避けたいのは事実だ。

 だからこそ見るにとどめる。


 義侠心にかられた街の人が真似するのを避けるためにも。

 べつに相手は麻薬中毒患者ジャンキーというわけではないが、旅行先で気が大きくなっていたり興奮状態だったりするので、手を出してこないぎりぎりを見極めるのに、けっこう細心の注意が必要だったりする。


「こんなこと、本当は京都市民や役人がやればいいんだけどな」

「人を動員したらお金がかかるし、トラブルになって怪我人なんか出たら洒落にならないから、ちょっと難しいわね。人間にやらせるのは」


 命の慨嘆に、クンネチュプアイが微笑を向ける。

 妖は人間にできないことをやる。人間は妖にできないことをやれば良いだけ。べつに両者が同じである必要はない。


「喫茶店や骨董屋をアヤカシが経営する必要はないってことよ」

「なんでそれを例に出した? なにかもの申したいことでもあるのか? アイ」

「べっつにー?」


 舌を出す。

 なにやってんだか。


「ともあれ、人間には人間の仕事をしてもらいましょ。そんなわけで役所に行くわよ。ミコト」

「役所? なにしに?」


「婚姻届を出しに。私とミコトの」

「そんな馬鹿な!?」


「冗談よ。作戦の第二段階ね。公的機関の協力が合った方がやりやすいから」

「男の純情をもてあそびやがって……性悪エルフが……」

「お前は何を言ってるんだ」


 ぶつぶついう命に、呆れたような目を向ける酒呑童子だった。


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