第14話 作戦その1


 視線の先、しゃなりしゃなりと舞妓さんが歩いている。

 エモンが変身した姿だ。


 クンネチュプアイや命ならば纏っている霊力で判るが、普通の人には舞妓にしか見えないだろう。

 と、すぐに観光客が近づいてゆく。


 手に手に携帯端末を持って。

 なんというか、獲物に群がる肉食獣の群れみたいだった。


「……ひどいな。エモンさんが引いてる」

「普通の女性だったら、そうとう恐怖よね。これ」


 こういうのを見ると、酒呑童子の「ぶっ殺してしまえ」という意見もあながち間違っていないように思えてしまう。

 こんな連中にまで愛嬌を振りまくのが観光事業だとするなら、いっそ観光など捨ててしまった方が良いのではないかと。


「こんな連中は一部も一部なんだって判っているのにね」

「だな。で、どうするんだ? このままだとエモンさんがひどいことになりそうだけど」


 ふう、と、ため息を吐くクンネチュプアイに命が訊ねる。

 蹴散らしてこいって言われたら、たぶん躊躇なくやっちゃいそうだ。


「接近して、じっと観光客たちを見るわよ」


 言うが早いか歩き出す。

 なにを言っているのか判らず、首をかしげたまま命も続いた。


 そして、二人で観光客を見る。

 じーっという擬音を頭の上に表示したいくらいの凝視だ。


 舞妓ではなく、群がる観光客を見続けると、最初は気にも留めていなかった観光客たちが居心地悪そうにしだして、ぽつりぽつりと櫛の歯が抜け落ちるように立ち去ってゆく。


「おお?」


 そして、五分足らずの間に迷惑客はいなくなり、かわって「大丈夫ですか?」などとエモン舞妓に話しかける親切な客が現れたほどだ。


「うん。上手くいったわね」


 満足そうに頷くクンネチュプアイ。


「どういうことなんだ?」


 命が首を振る。

 わけがわからない。

 エルフがなんらかの術を行使したのかとも考えたが、そういう素振りはなかったし、魔力も感じなかった。


「ん。人間ってね、けっこう視線に敏感なのよ」


 もちろんクンネチュプアイはきちんと説明するつもりである。


 誰かにじっと見つめられていると、けっこう気になるものだ。わかりやすい例えなら、他人に見られながら食事すると考えると目安になるだろう。

 見られていたら落ち着かない。


 だからスーパーなどでも、客が財布からごそごそと小銭を出しているときに店員は凝視したりしない。視線を逸らして、さりげなく別のことをしながら待つ。

 これを動態待機という。


 アパレル業界などでも、このやりかたが一般的だ。

 客をじーっと見つめるのではなく、商品を整えたり、ディスプレイを調整したり。


「たしかにな。メシ食ってるときとか、小太郎に見られてたら喉につっかえそうだし」

「でしょ?」


 クンネチュプアイがやったのは、その動態待機の逆だ。

 文句をつけるとか注意するとかではなく、凝視することによって、居心地の悪い空間をあえて作り出す。


「諸刃の剣なんだけどね。嫌な感じの場所だって思われちゃうし」


 肩をすくめてみせる。

 観光事業としては、むしろやってはいけないことだ。

 居心地の良い場所というのが、まず観光地としての第一条件なのだから。


 だが、そこは割り切るしかないと考えた。

 すべての人に好まれるわけがない。すべての人に評価されるわけもない。


 むしろ迷惑を掛ける客は客ではない、と。

 ルールを守って楽しんでくれる人こそを上客として、この際は下客を切り捨てる。


「……大胆だな。アイ」

「うん。このやり方だと、たぶんっていうか、疑いなく観光客は減るわ。一時的にか恒久的にかってのは、今後の戦略次第だけど」


 でも、と、付け加える。


 ひとつの身体でふたつの門を同時にくぐることはできない。

 観光客の数を維持したいという命題と、観光客のマナーを良くしたいという命題を、同時に満たすことはできないのだ。


 ようするに、クンネチュプアイのアイデアとは客の選別である。

 どんなお客様でも神様です、という日本式の営業法からみれば、かなり大胆な舵の切り方といって良い。


「これを役人や商売人にやれっていっても、ちょっと無理だろうしね」

「だろうな。客が少なくなると判ってる策を平然と選択できる経営者なんて、いるわけないし」


 実際、減るのはマナーの悪い客ばかりではない。

 巻き込まれるかたちで、上客だってこなくなってしまうかもしれないのだ。

 間違いなく売り上げもさがってしまう。


 いくらマナーが良くなったとしても、これでは本末転倒だ。我々は儲けたいのだ、という人々にとっては。

 こんな手を、たとえば経営会議なんかで提案したら、一笑に付されるか会議室から叩き出されるかどっちかだろう。


「だから、日本人たちはこの手を使えない。思いついたとしてもね」


 肩をすくめてみせるクンネチュプアイ。

 稀代の軍師などとんでもない。一発逆転どころか負け方を示しただけ、と笑いながら。


 それは違う、と、命は思った。

 上手に負けるというのは完璧な勝利を目指すよりも難しい。

 はるかに。


 かつてこの国の人間たちは、負け方を知らなかったために、東京を焦土と化したし、核兵器の使用を誘発してしまった。

 あんな状態になる前にたたむ方法は、いくらでもあったはずなのに。


 このまま事態が推移すれば、いずれ京都もそうなる。もちろん核兵器が使用されるという意味ではなく。

 観光客が飽きて足が遠のいたとき、ぼろぼろに傷んだ街並みと心の荒んでしまった住民だけが残る。


 すでにその兆候は出ているのだ。

 名店が外国人観光客の出入りを制限したり、名物料理をメニュー表から消してしまったり。


 その一方で、上手く観光客の購買意欲を刺激して大儲けしている業者もいる。

 たくましい商魂が悪いわけではないが、京都らしさはどんどん失われつつあるだろう。


 クンネチュプアイの策は、取り返しのつかない事態になる前に、上手にたたむというもの。

 こういうことのできる人間こそを、稀代の軍師と呼ぶのだ。


 もとよりこのエルフ美女を侮ったことなど一度もない命だが、評価をさらに上方修正する必要を感じている。


「けどさ、この方法は実行する人間もかなりストレスじゃないか?」

「そりゃそうよ。人間には使えないって言ったでしょ」


 マナーの悪い観光客を、至近距離からじーっと見ているだけの簡単な仕事。だが、いうほど簡単ではない。

 絡まれる心配だってあるし、そもそも現場に居合わせるとは限らないのだ。問題の起きそうな場所のすべてに人を配置するというのは、いくらなんでも人的資源マンパワーが足りなさすぎる。


「そこで妖たちの出番になるわけよ」


 人間ごときに絡まれたって負けるわけがない、徒歩移動しているわけでもないので距離も関係ない、働いているわけでもないから時間的な制約もなく、そもそも金銭的な報酬だって必要ないモノノケたちだ。


「うわぁ……」


 京都に住まう、人化の術が使える妖。その数は七条家が把握しているだけでも、五百や千ではきかない。

 そいつらを動員してのマナー向上作戦だ。

 あまりのばかばかしさに、命でなくてもうわぁだろう。


「ちなみにミコトたちは、調子に乗った妖が悪さをしちゃった場合の備えね」


 しかも、陰陽の家も巻き込む気まんまんである。

 そこもまた、クンネチュプアイのクンネチュプアイたる所以だろう。


「……俺たちには必要だからな。報酬」


 苦虫を噛み潰したような顔で言う命。

 表情の六割ほどは演技だ。


 まさかまさか、エルフと喋ったりチームを組んでいるのが楽しくなってきたなんて言えるわけがないから。


「エモンのとことサナートのとこが出すような気がするわね。交渉次第では酒呑童子からもむしり取れるかな?」


 形の良い下顎に右手の人差し指をあて、むーんとクンネチュプアイが考え込む。

 その顔が意外に真剣そうだったので、命はぞっとした。

 だって鬼からむしり取るとか言ってますよ。この人。


「えっと、お手柔らかに?」

「大丈夫大丈夫。私の魅力に酒呑童子もイチコロだから」


「ところで、拙はいつまでこんな格好をしていればいいでありんすかねぇ」


 お馬鹿な会話にエモンの声が割り込んでくる。

 もっのすごくわざとらしい京の花街ことばで。


 舞妓に化けているタヌキのことをすっかり忘れていた二人が、顔を見合わせて笑った。


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