第9話 人間たちの知らない物語


 翌日のことである。


 クンネチュプアイは七条の屋敷を訪れていた。単身で。

 さすがに陰陽師の家に化けタヌキを連れて入るわけにはいかないため、エモンは車の中で待機している。


「これお土産。北海道銘菓」


 玄関まで出迎えてくれた命に、エルフ美女が紙袋を渡した。


「なぜ北海道銘菓……」

「ホワイトチョコをラングドシャクッキーで挟んだやつ。美味しいわよ」

「知ってるよ……有名だし……」


 まったく噛み合わない会話を繰り広げながら、応接間へと案内する。


「てっきりミコトは奥で待ちかまえていて、メイドとかが案内してくれるのかと思ったわ」

「そんなの雇う金がねえよ。あと名乗る前によく俺が命だってわかったな」

「一回聴いた声は忘れないわ。エルフイヤーは地獄耳よ」


 ぴこぴこと耳を動かしてみせる。

 それ動かせるんだー、と、命は感心したが、賢明にも口には出さなかった。


「まず、いまの状況を説明するわね」


 ソファに座り、長い足を組むクンネチュプアイ。

 ミニスカートからこぼれる太腿が眩しい。

 そちらに気を取られないよう鋼の自制心を発動させながら、命が頷いた。


「もともとの原因は、増え続ける外国人観光客にあるらしいのよ」

「たしかにすごい数だよな。どこにいっても外国人だらけだ」


 七条の当主も知っている。

 地元の人間より観光客の方があきらかに多いという状況を。


「それでね、酒呑童子たちはその観光客をどうにかしたいわけよ」

「どうにかって?」


「具体的には京都から追い払いたい。最終的に何人か殺すことになったとしても」

「おいおい……」


「まあ、それはダメって話はしてきたんで、短兵急な行動は取らないと思うけどね」


 クンネチュプアイが肩をすくめてみせる。

 酒呑童子との会談の内容を、語れる範囲で語りながら。


「外国人観光客が多すぎるってのも、奴らのマナーはひどすぎっても、俺も同じ感想だけどな……」

「けど、くるなともいえないのよね」


 なにしろ京都の主要産業が観光だから、客なんぞいらんというわけにはいかない。


「ていうか、なんで妖が京都の美観とか気にするんだ?」


 命が首をかしげた。


「この街は彼らにとってもホームだもの。人間とはちょっと意味合いがちがうけどね」

「ふむ?」

「たとえば伏見稲荷なんかは、信仰や寄せられた思いがパワーなんだけど、観光客にそんなもんがあるかって話よ」


 彼らが気にするのは、いかに映える写真を撮るかということだけ。


 それは地元の人々に多大な迷惑をかける。

 いくつかの飲食店などは、外国人の立ち入りを制限しているほどだ。


「ん? いま繋がらなかった。それは町の人が迷惑しているって話だよな。クンネチュプアイ」


 右手を挙げ、命が話を止めた。

 ふふ、と、小さく笑うエルフ。


「妖ってのは人々に寄り添った存在だからね」


 人の息吹があって、初めて妖怪も生まれる。だから、人の心が穏やかな方が、彼らも暮らしいやすいのだ。


「だから天下泰平の江戸時代に、もっのすごい数の妖が発生したの」

「そうなのか……」

「人の悪意が妖怪を作るってケースもないわけじゃないんだけど、たいていは平和の産物よ。関東だけどぬらりひょんなんかが良い例よね」


 夕暮れどき、なんか居間でお茶をのんでる人がいる。

 これがぬらりひょん。

 まるでそこの家の主人みたいな顔をして、自然に振る舞ってお茶を飲んでるってだけの妖怪だ。


 なんだそれって話だが、いくつかの示唆が含まれている。

 まず、他人の家に入り込んでお茶を飲むって、現代社会だったら通報ものである。

 そして、そもそも施錠してないのかって話だ。


「平和よねー、いまでも田舎では家に鍵を掛けない人がけっこういて、わりと社会問題になってるけどね」


 社会問題どころか、田舎の価値観というのが殺人事件を引き起こしたこともある。


 他人の家に勝手に上がり込んでテレビを見ている、なんて、都会に住んでいる人には想像の外側だろう。

 しかし、田舎ではそういうことがある。さすがに、しばしばではないけれども。


 同様に江戸時代にもあった。

 家に施錠なんかしなかったし、普通に上がり込んでいた。平和で安穏とした時代だった、というひとつの証拠だろう。


「突き詰めればさ。海の神と山の神くらいで良いからね。信仰の対象なんて。それが、わらわらとたくさん出てきたのは、日本人の遊び心に由来するわけよ」

「遊び心……」


「でも最近の日本人って、ただでさえ余裕をなくしてるのよね」


 社会を見渡せば、胸が痛くなるような悪いニュースばかりだ。

 ブラック企業、いじめ、児童虐待、殺人、こういうのが報道されない日なんてないんじゃないかってくらい。


「人間がそんなギスギスした心だと、妖たちも安心して暮らせないのよ」

「だから外国人観光客を追い出す?」


 どうにもまだ繋がらないな、と、首を振る命。


「酒呑童子は鬼だから、ギスギスの方のエナジーが嬉しいっていうか、どんどん好戦的になっていっちゃうのよ。この空気のせいで」


 核心に触れる。

 戦とか、飢饉とか、そういうマイナスの感情が鬼の栄養源だ。


 このまま外国人観光客が京都の街を荒らし続ければ、町の人々の悪感情がどんどん貯まってゆく。そしてそれは酒呑童子に流れ込み、いずれ大爆発するだろう。


「鬼は狐と違って、悪感情を取り込んで浄化して吐き出す、なんて器用なことはできないしね」

「……クンネチュプアイと話していると、今まで持ってきた知識がどんどんひっくり返されていくな……」

「意外と知らないよね。人間って。ずっと研究してるわりには」

「それを言われると痛い」


 苦笑する命であった。

 研究しているといっても、やはり人外に関しては知らないことの方がずっと多い。


「で、私の立ち位置ってのは、このままだと鬼が暴走するかもしれないって危惧した近隣の妖に頼まれた調停者ね」

「それは、狸谷山不動の古狸ってことか?」


「エモンっては、まあようするに出先機関よ。たまたま私とメル友だったから、彼がホスト役をやってるだけで」

「メル友て」


「ちょっと言い方が古かったかな。SNS友でも相互フォロワーでも、なんでもいいわよ」

「むしろ妖怪やエルフがネットをやっていること自体、驚愕だよ。俺は」


 なんだか疲れたようなため息を吐く命だった。


「そお?」

「もっと牧歌的な生活をしてるんだと思ってた」

「まさかまさか。エモンなんてデイトレで大もうけしてるわよ。あいつの愛車みたでしょ?」

「うん。普通に殺意が芽生えた」


 正直な陰陽師である。


「しかも現金一括で買ってんのよ」

「よし。狸谷山不動に火を放とう」


 大変に正直な陰陽師であった。

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