第2話 オーバーツーリズム
爆発的に増える外国人観光客によって、京都に古くから住む
それが、エモンがクンネチュプアイに助けを求めた理由である。
「危機もへったくれも、きょうび外国人観光客なんてどこにでもいるじゃない」
案内された客間に、たいして多くもない荷物を放り込みながら金髪碧眼の美女が首をかしげた。
閑静な山寺である狸谷山不動院には、ちょっと似合っていないが、誰も気に留めることはない。
新幹線の中でも、京都駅でも、誰も「エルフだ!」なんて騒いだりしなかった。
認識阻害のチカラである。
見えていないのではなく、その場所に彼女がいることに違和感をなくすのだ。
妖たちの変身能力とは、すこし異なったチカラといえる。
ともあれ、クンネチュプアイのいうとおり、いまの日本はどこにいっても外国人観光客が闊歩している。
右を見ても左を見ても、という表現そのままに。
「札幌もすごかったわよ。中国人だらけで、ほとんど日本語がきこえないんだもの」
冷戦時代のジョークかっての、と、付け加えて苦笑する。
スパイと日本人観光客はどこの国にいってもたいていいると揶揄されたものだ。
「札幌は中国人がメインなのでしょうが、
なかなかシックなデザインの茶碗に緑茶を注ぎながら、エモンが応えた。
番頭さん! というノリだが、そもそも客に給仕をするのはどちらかといえば仲居さんだろう。
「こちらを見てくだされ。アイさま」
そういって取り出す携帯端末にクンネチュプアイが感心した。
「スマホ持ってるんだ。エモンすごいね」
「むしろアイさまは、そろそろガラケーをおやめになられたらよろしいかと」
「や、それがさ。ショップに行ったら、家にパソコンがあってちゃんとネット環境が整ってるなら、べつにスマホはいらないですよって言われてね」
「それは良心的な店員ですな。ともかく、こちらの写真です」
「うひょー、壮観ね。これ伏見稲荷?」
鳥居がたくさん並んでいる、京都の名所のひとつだ。
クンネチュプアイは、この場所を知らなかったため声をあげたわけではない。画面の下半分、つまり人波に驚いたのである。
金髪、赤毛、栗毛、色とりどりの頭。
なんと映っているのは、外国人ばっかりだ。
「もちろん日本人観光客も混じってはおりましょうが……」
「いちおう確認するけど、外国人が多い日を狙って撮ったわけじゃないのよね?」
「休日平日旗日を問わず、こんな有り様ですよ」
エモンが肩をすくめる。
風情もへったくれもありませんな、と。
「この状況をなんとかしろってこと?」
「いえ。それは無理というものでしょう」
「そうよねぇ」
ほろ苦い表情のエモンに、クンネチュプアイが頷く。
一度できてしまった流れを変えるのは難しい。自然現象でも流行でも一緒だ。
無理に変えようとすれば大災害になる。
外国人観光客が訪れるのはもう止められない。止めてもいけない。
「問題はマナーなのですよ」
マナーの悪さに悩まされているのは京都だけではない。
たとえば中国人観光客が、どこかのスーパーで未会計の商品を、いきなり店内で食べだしてしまった、などという話も聞こえてくる。
それで注意すると、お金を払ったあとでやっぱり食べちゃうという。
違う。そうじゃない。
と、店員は思ったことだろう。
最近では、スーパーやドラッグストアに休憩スペースを設けて、そこで食べるように促すケースも少なくない。
文化風習の違いといって片付けてしまえばそれまでだが、なかなか日本人には馴染みのない光景のため、忌避感をおぼえる人もかなりの数にのぼる。
「改善なんかしないわよ?」
身も蓋もないことを言って小首をかしげるクンネチュプアイ。
「しませんか……」
「バブルの頃、海外旅行に出かけた日本人が、その土地で何をしたかって話ね」
パリのブランドショップに列をなし、ホテルなどではやりたい放題、豪快に金を使って、現地の女性を買ったりなどなど。
有名な史跡に落書きや立ち小便をして、現地警察のご厄介になった馬鹿者もいる。
「でもそういう人たちって、普段から
日常生活では、ごく普通の小市民だったりする。
それが頭のネジが弾け飛んだような行動を起こすのは、ひとつには旅先で気が大きくなっているから。
興奮状態だというのもあるだろう。
どれほどマナーの向上を訴えたとしても、ほとんど効果がなかった。
むしろ、旅の恥はかき捨てだろ、とか、こっちは客だぞ、なんて開き直っていた人が多かったほどである。
そうやって世界中で悪行を繰り返しておいて、いざ日本がホストになったら相手にはマナーを要求するってのも滑稽な話だ。
「当時でもすべての日本人観光客のマナーが悪かったわけでもないでしょうが」
「それは、すべての外国人観光客のマナーが悪いわけじゃないってのと同じ論法よ。エモン」
皮肉げにクンネチュプアイが唇を歪める。
全員がおかしいわけではない。それは当たり前のことだ。
一部の不心得者が目立っているだけである。
そして、そういう連中だからこそ根絶やしにするのは難しい。
「やはり無理ですか……」
「最初から判ってたんでしょ。齢千年を超える化けタヌキなんだから」
京都の繁栄も戦乱も、すべて見てきたエモンである。
かつて上京してきたサムライどもが何をしたかとか、全部しっているのだ。
「あるいはアイさまならば、何か良い知恵をお持ちではないかと期待しておりました。齢五千年を超えるエルフなのですから」
「五千年生きても一万年生きても、こういう問題に良案なんて出ないわよ。鎖国しちゃえ、くらいしか」
クンネチュプアイの表情はほろ苦い。
仮に鎖国したとしても、今度は国内の観光客が悪行を繰り返すだけ。
自分の氏素性が知られないとなったら、いくらでも気が大きくなっちゃう連中が消えることはないのだ。
「で、まさかこんな話を聴くために呼んだわけじゃないんでしょ?」
「ここで良案が出れば、話は簡単でした」
「というと?」
「この状況に業を煮やした妖どもが、短兵急な行動をおこそうとしております」
「うわぁ……」
「そしてそれを察知した陰陽師たちが、調伏のために動こうとしております」
「うわぁ……」
芸もなく繰り返すクンネチュプアイだった。
まさか令和の時代になって、妖怪大戦争っぽい話が出てくるとは思わなかった。
観光客を追い出そうとする妖怪と、それを退治しようとする陰陽師。
「昭和……平成のはじめくらいまでなら、うけそうなテーマだけどね。いまはあんまり現代ファンタジーは流行ってないわよ。妖ものなんて、甘味処とか喫茶店とか宿屋とか、ほのぼの系ばっかりなんだから」
「ははあ。流行すたりで戦が起きるわけではありませんからなあ」
「そもそも、陰陽師なんてまだ残ってんの?」
エモンが乗ってくれなかったため、クンネチュプアイは肩をすくめて話を進めることにした。
仕方がない。
彼女ほどサブカルチャーを愛する人外は滅多にいないから。
「数は減りましたが、まだいくつかの家が健在ですよ」
「
「なんですか? それは?」
「うん。判ってもらえるとは思ってなかったわ」
「
「知ってるんかーい!」
仰角四十五度の美しい裏拳ツッコミが決まる。
二〇〇六年頃に発売された『新・豪血寺一族』という格闘アクションゲームが元ネタだ。
『レッツゴー!陰陽師』という曲が非常に有名だが、べつにゲームに陰陽師は登場しない。
どうでも良い話である。
「
「何事もなかったかのように話を進めるわね……」
「アイさまが相手ですから」
「どうしよう。褒められてる気がしない」
ともあれ、現代は大昔のように呪術や占星術によって世の中が回っているわけではない。
陰陽師でございといったところで、それだけではたいして収入も得られないのだ。
ただし、妖や怪異が存在することを国の上層部は知っている。
それらが様々な問題を引きおこすだけチカラを持っていることも。
対抗するための勢力として陰陽師は重要なので、それなりに手厚く保護されているらしい。
「おかしい。私たちは保護されたことなんかないぞ。納税者なのに」
「そもそも存在しないことになっていますからなぁ」
クンネチュプアイをはじめとしたエルフ族というのは、人外ではあるが怪異ではない。
普通に生殖によって子孫を増やすし、人間との混血も可能だ。
だが、だからこそ彼らは隠れなくてはならなかった。
無限の寿命を持った不老の種族である。その秘密を探ろうとする人間など枚挙に暇がないだろう。
「つまり私は、第三勢力として妖怪大戦争に参戦する?」
「お帰りください」
「ひっど! 呼んでおいてその態度!」
笑い合う。
妖怪と陰陽師の戦いに人外のエルフが介入なんかしたら、事態はかなり愉快なことになってしまう。
京都を舞台にしたサイキックバトルムービーって感じだ。
「アイさまには、旗頭の説得をお願いいたしたく」
「総大将は誰なの? ぬらりひょん?」
「彼の御仁は関東の方ではありませぬか。
「京都の大物っていうと、あいつ?」
口元で、くいっと杯を傾ける仕草をするクンネチュプアイ。
酒を飲むジェスチャーだ。
エモンが重々しく頷く。
「説得に応じるタマかしら?」
「そこはアイさまの功徳で」
「功徳て。せめて色香にしておきなさいよ」
「…………」
「おいこらくそタヌキ。なんで目をそらしやがった」
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