第7話 「道草」(夏目漱石)

「道草食べてないで早く帰んなさい」と小学生の時によく先生から言われたものでした。中学校では下校時の放送で「道草をしないで帰りましょう」だった様に思います。ただ、実際に文字通り何かを食べたり飲んだりする(即ち「買い食い」)のは中学生の「道草」からでした。小学生の頃は基本現金を持っていませんでしたので、運動場や空き地、友人宅などで「遊び」をする道草ばかりでしたが、中学生では部活が終わって帰宅する途中に学校の近隣の牛乳配達店で「チェリオ」をしこたま飲みました。どうして「チェリオ」なのか?それは単純に「ファンタ」より量が多かったからです(296mlと200ml)。


小学生の道草で覚えているのは、朝は雨でも帰りには止んだ時、田舎故に道路の側溝にザリガニが多く居たことです。当時の傘は先が細い金属製でしたので、ザリガニを刺して道路に投げ車に轢かせると黄色の内臓が飛び散る、といったいかにも小学生の男子らしい残酷なことをしていました。当時はまだ茶褐色のザリガニ(ニホンザリガニ)も居ましたが、それでもかなり赤いザリガニ(アメリカザリガニ)が目立つ様になってきており、地元の子供達は「赤し」と呼んでいました(一方のニホンザリガニは「黒し」と呼んだ様な記憶があります)。今では残念なことにニホンザリガニは東北から北海道の方にしか居ない様です。


また、小学校の裏手で何かの工事をした時に大きな水溜りが出来、田んぼが近くにあったのでカエルやザリガニが住み着いていました。そこで「ザリガニ釣り」をする小学生が沢山居て、持参した凧糸をちょっとした木の棒に結わえ、捕まえたカエルの皮を剥いて吊るし、水溜りに垂らすとザリガニが釣れるというものでした。これもまた当時の小学生の男子らしい遊びでした。ただ、釣ったザリガニの身(尾の肉)を吊るして同様に釣っている小学生もいて、ザリガニが「共食い」することを学びました。


中学校からは地元から浜松に通ったのですが、中学高校の帰りは学校から一旦浜松駅の方まで出て赤電に乗って帰りますので、学校から駅までの道中に色んな誘惑がありました。基本的にはバス通学ですが、土曜の午後(半ドンですね)などは歩いて駅まで行ったりしました。途中に古本屋が何軒かありましたし、書店にも寄ったりしました。当時浜松に4軒もあったデパート(今では1軒しかなくなってしまいましたが)も何を買うでもなく梯子しましたし、更に、ヤマハもあれば中古レコード屋もあって趣味のクラシック「レコード」も良く見に行きました。勿論「道草」の王道の「食べ物屋」も色々あって、高校近くの中華料理店はチャーハンが人気でした。当時繁華街にあった黎明期の「五味八珍」のラーメンも食べました(喫茶店を改装した様な店内だった様に記憶しています。)。しかし一番お世話になったのはサラリーマンも多く利用する赤電の「新浜松駅」と「遠鉄浜松駅」の立ち食いそばでした。


ウィキペディアによると( https://ja.wikipedia.org/wiki/道草 )、


道草(みちくさ)とは、目的の所へたどりつく途中で、他のことにかかわって時間を費やすこと。「道くさ」とも書く。また、「寄り道(よりみち)」ともいう。「道草」という表現は、慣用句の「道草を食う」と関連がある。道草とはもともとは道端の草のこと。


環境心理学、環境行動論を専門とする水月昭道が道くさについて研究しており、8年ほどフィールドワークによって実証的に観察データをとり、それを研究成果としてまとめあげ2006年に刊行した。それにより判明したことは、大人が主張する上記のような通念や固定観念というのは、事実に反しており、実際には道草にはさまざまな価値・効用があるということであり、道草は子供の精神の成長や子供の社会化に役に立っている、ということである。


2007年(平成19年)4月に横浜で行われた《こども環境学会》の大会では、特別シンポジウムのテーマとして「道草のできるまちづくり」が選ばれた。


日本では(高度成長期などに)大人の都合しか視野に入れず、自動車優先の、子供たちが遊ぶこともできないような、殺伐とした道路で構成された街ばかりが作られてしまったが、子供たちの健全な成長を考えれば、子供も安心して道草ができる街づくりがなされているほうが望ましい、と考えられるようになっている。


と、あります。そんなこんなで還暦を過ぎた自分の現在の道草は、自家用車通勤の帰りに寄ることができる買い物位しかありません。大都会のサラリーマンの様に公共交通機関通勤で毎日とか週に何度とか恒例で「飲んで帰る」といった事は自分が就職してから一度もなく、無論これからもありませんし、ましてや遊んで帰るといったこともまずありません。寂しい「道草」人生と言えます。


子供にとって精神の成長や社会化に不可欠な「道草」の様ですが、大人にとっても精神の成長や社会化、更には親睦やストレス発散として「道草」は必要なものだと考えました。勿論毎回同じ「道草」を食べてもいいのですが、そこはやはり「大人の世界」ということで、新たな「道草」を創造しました。


「未知草」


場末のスナックの様になってしまいましたが、そこは御愛嬌で・・・。

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