3-9

 そこまでの用意周到さで犯行を重ねていた陣内の最後の殺人のターゲット選びはいささか雑な印象を受ける。

初めて利用した人妻専門のデリヘル店で佳世を指名した理由も、見た目が好みとしか陣内は語らなかった。


「陣内先生の家に行ったことはある?」

「ありません」


 先週金曜の夕刻に陣内の自宅がある葛飾区亀有付近で荒川第一高校の制服を着た女子生徒と自転車を引いた陣内らしき男が一緒に歩いている姿を見かけたと証言がある。荒川第一高校には葛飾区在住の女子生徒が数十名いるが、どの生徒も陳内との接点は生物の授業のみ。


授業以外で陳内と交流があった生徒は紺野萌子だけ。しかし取り調べでも連れ歩いていた女生徒の話題になると陳内は黙秘を貫いている。


『もういいですか? 娘は二度も母親を亡くして傷付いているんです。私も妻のあんなはずかしめの動画が世間に流れて、これからどうやって生きていけばいいのかわからないんだ』


見かねた父親に追い立てられて萌子への聴取は強制的に終了となり、二人は紺野邸を辞した。


 あの家族の中で萌子だけが満足そうに笑っている。残酷な微笑で父と兄を励ます少女のモノクロ映像が美夜達の脳裏に焼き付いていた。


『本当に悲しんでいるのはくたびれた父親だけに見えたな』

「九条くんもそう見えた?」

『息子の場合は義理の母親よりもマッチングで付き合っていた人妻が死んだショックだろ。それと娘の萌子は……』

「義理の母親の死を喜んでいる」

『神田と意見が合うのも珍しいな』


 一向に止む気配のない雨に打たれた月曜日の街は雨の音以外何も聴こえない。住宅街も学校も児童公園も、人の気配さえしない。


『本の話は引っかけ?』

「話の意図に萌子は気付いていなかったけどね。萌子が陣内から梶井基次郎の小説を借りていたのなら、梶井の小説についていた陣内以外の指紋は萌子の指紋で間違いない」


 陣内の部屋と彼が所持する一部の書物のページから陣内以外の人間の真新しい指紋が検出された。

自宅を訪ねるほど親しい友人や恋人のいない陣内の部屋に残された指紋の持ち主は、陣内が所有する梶井基次郎の短編集[檸檬れもん]にも触れている。


陣内と萌子が頻繁に本の貸し借りをしていたとすれば小説に萌子の指紋が付着していてもおかしくはない。そしてその指紋は陣内の部屋から検出された指紋と一致する。


「それだけでは萌子が陣内の家を訪問した事実にしかならない」

『陣内と萌子が教師と生徒以上の関係だったのかも、二人が話さない限りは探りようがないな』

「陣内も萌子も真相を吐かないでしょうね。陣内が本当に殺人衝動に取り付かれたサイコパスなら家に招いた時点で萌子も殺してる」


 デリヘル嬢連続殺人事件の捜査はここまで。最後の犯行は防げなかったが、21世紀の切り裂きジャックは逮捕した。

陣内は素直に罪を認めている。殺人の物証もある。

ここから先は警察の手を離れ、陣内には正当な法の裁きが下るだろう。刑事の美夜達ができることはもうない。


『本当のサイコパスは萌子かもしれない。萌子を見ていて寒気がしたんだ。継母が死んだ後にあんな風に落ち着いて話せるものか? しかも殺したのは自分が通う学校の教師だぞ?』

「また意見が合ったね。でも残念だけど殺人をしていない萌子を私達がどうすることもできない。陣内と萌子の間にどんなやりとりがあったにしろ、表面上はあの子は罪を犯していないもの」


事件を解決した気分になれないのは少女の残酷な微笑のせい。萌子のあの顔は物事が自分の思い通りに運んで満足した子どもの笑顔だ。


 青信号の横断歩道を三人組の男子児童が歩いている。傘の持ち手をくるくる回してはしゃぐ男の子や白線の上だけを大股で歩く男の子、わざと傘を差さずにランドセルを濡らした男の子、彼らの笑い声が車内まで届いた。


そう、例えば萌子はあんな風にイタズラをして無邪気にはしゃぐ子どもと同じ。

何か悪いことをした? と小首を傾げて、イタズラをイタズラとも思わない幼稚さが萌子の微笑には含まれていた。


『陣内が言っていたあれってどういう意味?』

「何の話?」

『お前が刑事らしくない、どうしてそっち側にいるんだってあいつ言ってたよな?』


 傘の群れは無事に横断歩道を渡って視界から消えた。一定の速さで刻まれるウインカーの電子音が心地いい。

次第に激しさを増す雨は10年前の春を連想させる。これだから雨は大嫌いだ。


「……九条くんは人を殺したいと思ったことある?」

『はぁ? 俺は刑事だ。そんなもんあるわけがない』

「そうやって即答できる人には陣内の言葉の意味はわからないよ」

『なんだそれ。お前も陣内も自分は他の人間とは違いますって顔しやがって。腹立つなぁ』

「解釈はご自由にどうぞ」


 彼女はかつて、ある女を心底憎んでいた。

大人には良い子のフリをした外面の良いあの女が疎ましく憎らしく、羨ましくて堪らなかった。


女の最期の瞬間を彼女は黙って見ていた。

このまま死んでくれと願いながら、女を殺してくれた共犯者に彼女は感謝した。


殺してくれて、ありがとう。と……。

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