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「先生、これを見てもらえますか」


 萌子はスマートフォンの画面を陣内に向けた。彼女が見せた画面はローズガーデンのホームページのスクリーンショットだ。

椅子から腰を浮かせた陣内は首を伸ばして画面を凝視する。陣内の乏しい表情に変化はない。


『これは?』

「義理の母がここで風俗の仕事をしているんです。人妻デリヘルって言うみたいですね」

『あのお母さんが?』


 一年時の担任だった陣内は昨年の三者面談で継母と面識がある。首肯した萌子はもう一枚のスクリーンショットを見せた。


 キャスト一覧に載る“マユカ”の顔写真だ。所属キャストの顔の下半分にはボカシ加工がかけられてぼやけている。

人物を判別できる要素が目だけでも、萌子には毎日見飽きた顔。


写真の下のプロフィールには年齢30歳。身長とスリーサイズはT158、B84、W56、H86とある。

身長以外のスリーサイズと年齢は偽証だ。継母がそこまで腰が細いとは思えない。


『顔の下半分が隠れているけど君のお母さんに似ているね』

「家にマユカの名前の名刺もあったんですよ。こんな下着姿でネットに載って、いい歳して恥ずかしい」

『お母さんが身体を売るのが許せない?』

「それはどうでもいいんです。ただ父を裏切っていることが許せないです。私の家に許可なく入って好き放題してるくせに、外ではこんな仕事をして。じゃあ私の父と結婚しなければよかったのに」


 深淵の怪物はどんどん大きくなる。どろどろとしてじめじめした、萌子の本心の塊。


「先生が貸してくれたあの本で切り裂きジャックが女を殺す場面を読むと、上手く言えないんですけど……スカッとするんです。殺される女が大嫌いな義理の母に重なって、私の代わりにフィクションの世界の切り裂きジャックがあの女を殺してくれると嬉しくなるんです」


無言の陣内は萌子の深淵をじっと覗いている。


「先生、私はどこかおかしくなっちゃったんでしょうか?」


 恐る恐る尋ねた萌子に陣内が返した答えは意外な一言だ。


『すぐに学校を出なさい」

「え?」

『西日暮里で乗り換えて亀有かめありまで行くんだ。亀有に着いたら南口のロータリーに出てバスに乗って』


早口で告げた彼はプリントの裏面に数字と漢字を走り書きしている。渡されたメモには生物の授業で見慣れた陣内の字でバスの路線と停留所の名前、時間と料金が書いてあった。


「なんで亀有なんですか?」

『俺の家がある』

「先生の家?」

『話なら家で改めて聞く』


 急かされて萌子は学校を後にした。最寄りの鶯谷駅から15時56分発の電車に乗り、言われた通り西日暮里駅で亀有に向かう電車に乗り換えた。


亀有駅に到着した時には16時半が近かった。南口のロータリーでメモにある路線を探す。

初めて訪れる葛飾かつしか区、亀有の街の景色はちょっとした旅をしている気分だ。


 亀有駅前を出発したバスに揺られて10分。陣内が指定した停留所でバスを降りた。

湿っぽい風が夕方の街に吹いている。


都道に面した停留所の側には古めかしい美容室や小さな内科のクリニックがあった。

何もかもが知らない街の、知らない人々。知らないというのはわくわくして楽しくて、そわそわして心細い。


 萌子は陣内を待っていた。停留所を少し離れた駐車場のフェンスに背をつけ、雨が降りそうな空を見上げる。

どれくらいそうしていたかわからない。

5分か10分か、30分もそうして立ち尽くしていたかもしれない。


黒いジャンパーを羽織った男が乗る自転車が萌子の前でブレーキをかけた。自転車を降りたひょろ長い男の顔は知らない街でたったひとつ萌子が知っている真実。


『家はここから近い。ついてきて』


 自転車を引いて歩く陣内の後ろを無言で追った。大通りから細い道の住宅街に入り、曲がり角を二回曲がる。


 公園で遊ぶ子どもの姿を見つけた。あんな風に、学校の後に友達と公園で遊んだ経験が萌子にはない。

遊び相手はいつも母だ。母が亡くなってからはいつもひとりで遊んでいた。

一人遊びが彼女は得意だった。

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