1-8
──異臭が充満する部屋に二人の人間が倒れていた。倒れているのは恰幅のいい男と細長い脚の女。
二人分の血液が白色のカーペットを赤く染めている。
『どうしてあの人達を殺したんですか?』
十歳の少年は親の死体を目にしても冷静だった。喜怒哀楽の感情が死んでいるような暗い瞳をした小学生だ。
『それが俺の仕事だから』
小学生に理解できるとは思えない彼の仕事をそれでも少年は自分なりに解釈しようとしていた。
勝手口の前で靴を履いた彼は懐から取り出した拳銃の銃口を少年の額につけた。端正で幼い少年の顔立ちにかすかな怯えが宿る。
『俺がいなくなって30分したら警察に電話しろ。番号は110番、わかるか?』
『はい』
『警察に色々聞かれるだろうが、トイレに起きたら親が死んでいた……とでも言っておけ。後は寝ていて知らないとか、お前頭良さそうだし上手く言えよ。もしも俺のことを警察に話した時はお前じゃなく、妹の命をもらう。いいな?』
少年は唇を噛んで頷いた。少年が誰より大切にしている妹は少年の弱点でもある。小学生にはこの程度の脅しで充分だ。
『あの人達を殺してくれてありがとうございました』
彼の背中に向けて少年はお辞儀をした。勝手口から外に出た彼は雨に打たれた顔を歪ませて笑った。
『やっぱり変なガキだな』
『だって、もしかしたら俺があの二人を殺してたかもしれないから。俺の代わりに殺してくれてありがとうございます』
10年前の
*
4月14日(Sat)
家具とインテリアが黒でまとめられたシックな室内に朝の光が射し込んでいる。起き抜け一本目の煙草に火を灯した木崎愁はレザーチェアに腰掛けた。
デスクトップのパソコンの横には読みかけの文庫本。鮮やかなレモンイエローの表紙は寝起きの目には眩しい。
本の続きを開く前に彼はパソコンを立ち上げた。秘書課の同僚から来週の会長と社長、他幹部数人の予定確認のメールが入っている。
夏木コーポレーション会長第一秘書の立場に就く愁は秘書課の統括も担っている。メールの内容にざっと目を遠し、即レスが必要なメールだけを処理して画面を閉じた。
愁の住まいは港区赤坂六丁目、
氷川坂の他に
リビングに入ってきた愁に一目散に飛び付いたのは同居人の夏木舞だ。
「愁さんおっはよぉー」
『おはよ』
舞とハグを交わした愁は十七畳の広いリビングを見渡した。
窓際では舞の兄、伶が園芸用のロープを使ってプランターを天井から吊るしている。南西向きのテラスには園芸が趣味の伶が造った花の楽園が広がっていた。
『草が増えてるな。これ何?』
『草じゃなくて観葉植物。シュガーバインです』
『美味そうな名前』
『愁さん寝ぼけてますね? 砂糖とパイナップルじゃありませんよ』
この家には共有スペースのリビングに観葉植物が置かれているが、植物の世話をするのは
『伶。コーヒー淹れて。濃いやつ』
『はいはい』
観葉植物の世話をしていた伶は
「愁さぁん。お買い物行こうよぉ」
『やり残した仕事片付けたいんだ。午後からでいいか?』
「うん! 愁さんとデートォ! ネイル塗らなくちゃっ」
愁にとってはただの外出でも舞にとってはデートなのだろう。騒がしい舞が自室に籠ってくれるおかげで静かにコーヒーが飲めそうだ。
『会長秘書の仕事も大変ですね』
『あの爺さんもそろそろ隠居してくれねぇかな。そうしたら俺もお役後免になれる』
対面式のキッチンに立つ伶は慣れた手つきでコーヒーをドリップする。愁専用のカップに入る淹れたてのコーヒーはどこまでも黒い。
『会長が引退すれば会社の実権は
『徳田の天下も一時の話さ。会長は将来的に夏木コーポレーションをお前に継がせるつもりだ』
『俺は会社なんか欲しくないですよ。だけど夏木家と養子縁組をした立場ではどうしたってそうなるのかな』
10年前に両親を亡くした伶と舞は夏木十蔵と養子縁組をした。夏木と妻の間に子はなく、いずれは夏木家の資産は養子の伶と舞に引き継がれる。
『
『意外ですね。あの人が俺のことを気に入ってるようには思えませんけど』
朋子は夏木の別居中の妻だ。伶と舞の養母に当たる朋子は鎌倉の別宅で悠々自適に暮らしている。
伶も舞も朋子とは年始の挨拶や夏木コーポレーションのパーティーで顔を合わせるくらいの希薄な関係だ。
『愁さんが会社継げばいいのに。愁さんには商才があると思いますよ』
『俺はただの秘書だ。会社の実権握る立場じゃねぇよ』
ブラックコーヒーと伶が用意した朝食に愁が手をつけ始めた頃に爪を赤色に塗った舞が現れた。舞のネイルは緑のサラダの椅子に鎮座するプチトマトのような艶のある真っ赤な色合いだった。
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