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 愁の黒色のスマートフォンが着信したのは昼下がりの午後1時だった。彼が使用する二台のスマートフォンは色違いの黒と白。

白のスマホは表の仕事とプライベート用、黒は裏の仕事用と使い分けている。ベッドに寝そべったまま彼は通話に応答した。


{会長から呼び出しです。至急、自宅に来るようにと}


通話相手は夏木会長第二秘書の日浦一真。2ヶ月前から愁の下で働き始めた同僚だ。


『こんな晴れた土曜だと気分が乗らねぇな』

{木崎さんでも天気のいい休日には仕事をしたくないんですね}

『そりゃそうだろ。……ジジイにすぐに行くと伝えてくれ』


 1時間後に舞と出掛ける予定であったが、夏木十蔵の命令は絶対だ。土曜の真っ昼間だろうと夏木の呼び出しを無視はできない。


ウォークインクローゼットに並ぶ上等なスーツから一着を選ぶ。全身を黒で統一させた彼は車のキーとシガレットケースを掴んで自室を出た。


 舞への言い訳を考えるのが億劫だ。溜息混じりにリビングに入るとまだ飽きもせずに土いじりをする伶と目が合った。

伶は愁の服装を見て事態を察する。


『その格好はまさかの?』

『まさかの呼び出し。仕事だ』

『あーあ。舞が怒り狂うのが目に見えますねぇ』

『わかってるなら助けろよ』

『仕方ないな。舞の相手は俺が引き受けます』


テラスから上がった伶を引き連れて愁は舞の部屋の扉をノックした。開いた扉からひょこっと顔を出した舞からはコロンの花の香りが漂っている。


「もう出発?」

『キャンセル。仕事で出掛ける』

「えー! ヤダヤダ! 今日の涙袋メイクすっごい上手く言ったのにぃ。これで愁さんとプリクラ撮ろうと思ってたのに!」


 舞の下瞼したまぶたはピンク色に染まっていた。下瞼をピンクとラメで彩るメイクが最近の舞のブームらしいが、愁には良さがさっぱりわからない。

どいつもこいつも街を歩けば女は舞と同じ化粧をしていた。渋谷や原宿に行けば同じ顔、同じ服装の動く人形が大量生産されている。


『文句はお前の親父に言え』

『舞、出掛けるなら俺と行こう。どこ行きたい?』

「もういい! お兄ちゃんとじゃデートにならないじゃないっ!」


 ヘソを曲げた舞は部屋に閉じ籠ってしまった。こうなってはしばらく機嫌も直らない。

伶に見送られて愁は早々に玄関を出た。地下駐車場を滑り出した愁の車は港区赤坂から隣の虎ノ門に向かう。


 虎ノ門四丁目に所在する夏木コーポレーション本社ビルの隣には同じく夏木コーポレーションが所有する四十五階建ての分譲賃貸マンションが傲岸不遜にそびえている。

最上階のワンフロアが夏木十蔵の自宅だ。


再び地下に潜った車を駐車スペースに収納し、エレベーターに乗り込んだ。愁を乗せた高層階行きのエレベーターは最上階の夏木邸に到着する。

セキュリティをカードキーで解除して、夏木邸に入った愁を出迎えたのは日浦だった。


『休日まで会長にこき使われて嫌にならねぇか? お前には家族もいるだろ』

『家族サービスは充分しています。問題ありません』


 夏木会長に従順な日浦は休日出勤にも嫌な顔ひとつ見せない。

こちらは舞との出掛ける約束をキャンセルしたのだ。後々、舞からクレームが入るだろう。

独り暮らしには無駄に広いリビングルームの、無駄に大きなソファーに愁を呼び出した張本人、夏木十蔵が腰掛けていた。


『今日は舞との先約があったんです。舞に嫌われても知りませんよ』

『おお、それは困る。日浦、舞に似合いそうな服とバッグを見繕って届けておけ』

『承知しました』


夏木が日浦に渡したのはクレジットカード。

娘のご機嫌取りのプレゼントならば自分で買いに行けばいいものを。日浦も何故こんな男の命令に従順なのか、愁にははなはだ疑問だった。


『要件は?』

清丸せいまる銀行の貸金庫に預けていた三億のうち、五百万が抜かれた。抜いたのは清丸の銀行員だ』


 清丸銀行の日本橋支店には夏木が別名義で三億を預けているが、表には公表できない金だ。銀行員が着服したとしても警察には届けられない。

銀行側も不祥事を表沙汰にはしたくないのだろう。


『やらかした銀行員には一千万の借金がある。大方、貸金庫から盗んだ金で返済分を工面した後に穴埋めでもするつもりだったんだろう。日浦が金の確認に行かなければ発覚が遅れていた』

『問題は銀行員が金を借りた金貸しがクリーンな金貸しじゃなかったってことですね?』

『そうだ。金貸しの裏には半グレ集団のレイヴンがいる。金の回収は日浦に任せてある。愁はレイヴンを潰せ。私の金が薄汚い半グレ連中の腹を満たしてるかと思うと我慢ならない』


 半グレとは暴力団に所属していない犯罪者集団。メンバーは元暴走族が多く、愁が認知している関東の半グレ組織は六団体。

半グレ集団のビジネスは振り込め詐欺、貧困ビジネスや出会い系サイトの運営等。今回の獲物は金融業界に潜んでいる“レイヴン”と名乗るグループだ。


 夏木邸の一室には武器の保管所がある。

指紋認証と虹彩こうさい認証、さらにパスワードを入力しなければ解錠できない部屋に難なく入室を許可された愁は、棚に整列するアタッシュケースのひとつを手に取った。ケースに横たわる黒々とした銃器は愁が愛用するワルサーPPK。


『ずっと聞きたかったんですが、木崎さんはどうしてこの仕事を?』


ショルダーホルスターを装着する愁の隣では日浦がマガジンに弾を込めている。ワルサーPPKのマガジンに込められる弾は七発、銃本体の薬室やくしつの一発を入れて装弾数は八発だ。


『好きであんなジジイのお守りやってるんじゃねぇよ』

『見ればわかります。夏木会長のこともあなたは好きではありませんよね。大した敬意もない相手の命令で汚れ仕事を請け負うのは何故ですか?』


 日浦は夏木会長の第二秘書になる以前は別の雇い主に付き従ってきた。ある事情で雇い主の下を離れ、彼は夏木会長に雇われた。

愚直な性格の日浦は部下は主を敬意するものと思っている。そんな日浦から見れば、愁の言動に夏木会長への敬意を感じられないのだろう。


『これが俺の仕事だ。お前も夏木の裏を知る人間なら一人や二人は殺した経験はあるだろ』

『前線にいた頃なら数人』

『一人殺せば十人も百人も同じ。目の前に死体が転がっても何も感じなくなる。休日の呼び出しは面倒でも嫌々やってるわけじゃない』


 愁は弾が装填そうてんされた銃を受け取り、安全装置をかけた状態で腋下のホルスターに収めた。上からジャケットを羽織れば銃の存在は外部に知られない。

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