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 前田絵茉を頻繁に指名していた客が勤めている品川区五反田ごたんだの電子部品製造会社のビルを背後に背負って、神田美夜と九条大河は通りを歩く。夕闇に包まれた街で手を繋ぐ高校生のカップルが、二人の横を通り過ぎた。


 先月に絵茉とトラブルを起こした三十代の男、村上むらかみは過去に他のデリヘル嬢とも揉めていたために、絵茉の所属店舗からは利用禁止の処分が下っていた。


村上が起こしたトラブルは本番行為の強要。デリバリーヘルスでは性器の挿入は法律で禁止されている。

本番行為がしたければそれが可能な風俗店に行けばいいものを、デリヘル嬢に本番行為を強要する客が後を絶たないとデリヘルの運営側は美夜と九条にぼやいていた。


 デリヘル利用者だと同僚や家族に知られたくなかった村上は会社近くの公園で聴取に応じた。

彼は絵茉への本番行為強要の事実は認めたものの、絵茉のデリヘル営業用のツイッターアカウントに執拗に嫌がらせのメッセージを送り付けたことは否認した。


だが警察が絵茉のツイッターに残る嫌がらせメッセージの記録を解析してアカウント所有者を割り出したと伝えると、村上はようやく観念して嫌がらせ行為も自分であると自白。


『デリヘルを利用していてもそれを周りには知られたくないって勝手だよな。しかも絵茉は殺されて当然の女だなんて言いやがった』

「ああいう人間は自分のことは棚上げだからね」


 村上は自分にはアリバイがあると主張している。絵茉の死亡推定時刻に村上は別のデリヘル店を利用してホテルでデリヘル嬢に接待されていた。これから店に利用記録の確認に向かうが村上はシロだろう。


『絵茉殺しに関しては怪しい人間が多過ぎだ。絵茉はトラブルメーカーというか、人の恨みを買いまくってる』


 前田絵茉の悪い噂は事欠かない。特に男関係は最悪だった。

絵茉に彼氏を略奪された大学の同級生の話では友達の恋人をわざと誘惑してカップルの仲を引き裂く行為を遊びとして楽しんでいたそうだ。


デリヘルの仕事でも同様に彼女は客とのトラブルが絶えなかった。絵茉の客への暴言や接客態度はたびたび店側にクレームが届いていたようだ。

村上の一件も絵茉の醜聞のほんの一部に過ぎない。


 絵茉を“良い子”と思っていたのは絵茉の両親だけ。21世紀の切り裂きジャックのターゲットにならなかったとしても、至るところに恨みの種を植えていた絵茉はいつか誰かに殺されていたかもしれない。


「人の物を欲しがる人間はいる。親の前では良い子を演じる人間もね」

『心当たりがありそうな言い方だな』

「私もそういう女が同級生にいたのよ」


 死体を見ても、事件関係者からの事件に関係がない無遠慮な長話を聞かされても、表情ひとつ変えなかった美夜の顔色がわずかに曇った。それは九条が初めて目にする美夜のかげりの表情。


翳りの理由を尋ねようとした矢先、夜の気配が近付く街に腹の虫が鳴り響いた。腹部を押さえた九条の隣で美夜が苦笑いしている。


『腹減った……』

「そういえば昼ご飯抜きだったね」

『昼はデリヘル店側の愚痴を聞いていたからな。警察は愚痴の相談窓口じゃないっつーの』


 通りの角を曲がると車を停めたコインパーキングがある。パーキングの目の前はコンビニだ。


『先に車戻ってろよ。あそこのコンビニで何か買って来る。欲しい物ある?』

「夕食代わりになりそうな物。チョイスは九条くんに任せる」


 美夜に車の鍵を渡した九条はコンビニに駆け込んだ。店内には雑誌コーナーで雑誌の立ち読みをする仕事帰りのサラリーマンと女子高生がいた。


夕方のコンビニの陳列棚には昼休みの食料戦争で売れ残った商品と午後に新しく並べられた商品が混在している。

豚ロースの生姜焼き弁当か牛カルビ弁当か悩んでいると山積みにされたトマトとチーズのパスタが目についた。


 悩んだ末、買い物カゴに入れられたのは豚ロース弁当とトマトとチーズのパスタだった。

カゴに烏龍茶のペットボトルを二本放り込み、眠気覚ましのガムを求めて菓子コーナーに向かった時、少女とすれ違った。雑誌を立ち読みしていたさっきの女子高生だ。


少女はどこか虚ろな目をしていた。手に取った商品を棚に戻すを繰り返す少女の挙動には購買意欲が感じられない。

九条はガムを選ぶフリをしながら少女の手元に視線を注ぐ。こういう時の刑事の勘は怖いほどよく当たる。


 少女が学生カバンに入れようとしたチョコレートの菓子箱を九条は掴んだ。驚愕の眼差しで九条を見上げる少女に一瞥を送り、彼はそれを自分のカゴに入れた。


『盗むくらいなら俺が買ってやる』


九条の耳打ちに少女は虚ろな目を見開いて硬直する。何も言わない少女に背を向けてレジのカウンターにカゴを下ろした。


「あの、今のって……」

『警察です。このチョコの会計も一緒にお願いします』


警察手帳を目にした女性店員は表情を強張らせて小さく頷いた。店員も少女の奇行に気付いていたようだ。


 支払いを済ませた九条はひとまずコンビニのイートインスペースに少女を置いてコンビニを後にする。車内で待っているはずの美夜がコインパーキングの手前まで出て来ていた。


「あまりにも遅いから様子見に行こうと思ってた」

『悪い。出発待って』

「どうしたの?」

『万引き未遂。ちょっと話聞いてくる。お前の分はパスタだからな。豚ロースは食うなよ!』


コンビニの袋を美夜に押し付けて彼は足早に店内に戻った。レジ横のイートインスペースでうつむく少女は九条が購入したチョコレートの菓子箱を膝の上に乗せている。


 雑誌を立ち読みしていたサラリーマンはもういない。代わりに男子高校生のグループが雑誌売り場を占拠していた。

九条は男子高校生達から少女を隠すようにしてイートインスペースの椅子に腰を降ろす。彼には警察官としてやらなければならないことがあった。

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