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 赤いチェックの膝丈スカートに紺を基調としたブレザーと清潔な白いシャツ。校則通りに制服を着た少女達はすれ違った教師に礼儀正しくお辞儀をする。


「先生さようなら」

「さようなら。気を付けて帰りなさいね」


教師と生徒のそんなやりとりが聞こえる放課後の校舎には由緒正しい歴史と品格の空気が流れている。


 明治時代後期に設立の紅椿学院高校は港区芝四丁目に所在する中高一貫の私立女子校。

才色兼備かつグローバルな人材育成を教育理念に掲げ、茶道、華道、着付け、書道、英語以外の外国語の授業もあるお嬢様学校だ。


 高等部一年の教室には五人の生徒が居残っている。太陽に当たると柔らかな茶色が透けるロングヘアを背中に流す夏木舞だけは椅子に座ってスマートフォンをまさぐり、教室の隅で三人の生徒がひとりの少女を囲んでいた。


「ほらほら、早く掃除しないとどんどん汚れるよー?」


三人組で最も高身長の石本和美は手にしていたポテトチップスを袋ごと大橋雪枝の頭から浴びせた。ほうきを手にして震える雪枝の肩にポテトチップスの欠片がパラパラと落ちる。


「きったなぁーい。ポテチまみれじゃん。そこ早く掃除してね」

「大橋さんってトロイなぁ。そんなんじゃいつまでも掃除終わらないよぉ?」


 中西恵里佳と須藤亜未は床に散らばったポテトチップスの残骸を笑いながら踏みつけ、さらに粉々に砕いた。


食べ物を粗末にしている感覚が彼女達には皆無だ。彼女達にとって食べ物はいつでも用意されているあって当然の物。

数百円のポテトチップス程度、踏みつけにしても何とも思わない。


 教室内で何が起きていても素知らぬ顔の舞が視線を雪枝に向けた。


「さっきの言葉もう一回言える?」


 教師やクラスメイトの前とは違う冷めた声色が雪枝を震え上がらせる。入学式で初めて目にした夏木舞の印象は、アイドルみたいな女の子だった。

華奢な体型、丸くて大きな目に艶やかな唇、ダークブラウンの長い髪はさらさらと風に揺れている。


舞の周りだけいつもスポットライトが当たっている。私は可愛いでしょ? と全身で女のオーラを撒き散らす夏木舞と目の前にいる夏木舞は確かに同一人物なのに、顔つきはまるで違った。


「掃除をやりなさいよって言ったんだよ? ね、覚えてる? ゆきちゃんは舞に命令したんだよ?」


 事の発端は30分前の清掃の時間。紅椿学院高校はクラスの名簿順に六人ごとにチームを分けてローテーションで今週の担当区域が決まる。

廊下と階段の清掃担当だった雪枝が掃除を終えて教室に戻ると教室の清掃は半分も終わっていなかった。


真新しい制服に身を包み、期待を膨らませて入学した憧れの紅椿学院の現実は雪枝の想像とはかけ離れていた。


 教室の清掃を黙々と行っているのは二人だけ。他の四人は窓際を陣取ってスマートフォンを片手にお喋りに興じていた。

四人の輪の中心にいたのは夏木舞。四人とも同じチームの二人を気にする素振りもない。


連続するカメラのシャッター音と少女達の笑い声の側で、懸命に清掃する二人が哀れでならなかった。

しかし誰もが見てみぬフリ。別の清掃場所から教室に戻ったクラスメート達も手伝いもしない。


 掃除を人任せにして自分達は何もやらずに、動画を撮り合ってふざけている舞達の行いが雪枝には許せなかった。

そうして放った一言が引いてはいけない禁断のトリガーだと彼女は知らなかった。


 ──“夏木さん達も掃除をやりなさいよ”──


 しんと静まる教室に舌打ちが響く。舌打ちの主は他ならぬ舞だった。

帰りのHRの後、雪枝は和美、恵里佳、亜未の三人に囲まれた。逃げ場を失った雪枝を待っていたのは終わらない清掃地獄。


黙々と掃除を行っていた二人も傍観者のクラスメート達も雪枝を置いて帰ってしまった。

夏木舞に逆らうとどうなるか、彼女達は知っているのだ。


「大橋さんは外部だから知らないよね。この学校でまいまいに逆らうと生きていけないよぉ?」


 高等部の生徒の3分の2は中等部からのエスカレーター組、残り3分の1は外部中学からの受験組で構成されている。

今年度、高等部一年に進級した夏木舞は中学受験とは無縁のエスカレーター組だ。


和美、恵里佳、亜未も舞と同じく中等部からのエスカレーター組。中学まで公立通いだった雪枝だけが外部からの受験組だ。


「せ、先生に……」

「あんた馬鹿?」

「先生に言うなら言ってみればぁ?」


 雪枝を小馬鹿にする笑い声は舞を合わせて四人分。

彼女達にとって教師は怖い存在ではない。彼女達にとって教師は舞の言いなりになる奴隷も同然。


「さぁて問題です。高等部の制服のデザインが新しくなったのはどうしてでしょう?」

「正解はぁ、まいまいが高等部の制服可愛くしてって理事長にお願いしたからなんだ。ね、まいまい」

「うん。だってぇ、ここの学校は中等部の制服は可愛いけど高等部はダサかったんだもん。制服新しく作るお金も舞のパパが出したんだよ」


 昨年まで紅椿学院高校の高等部の制服はセーラー服だった。現在の紅椿学院高校には二つの制服が存在している。

高等部の三年生は見慣れたセーラー服、二年生の一部と今年入学した一年生は新しく作られたブレザーを着用していた。


雪枝が中学三年生の時の学校説明会で来年度に高等部の制服を一新するとは聞いていたがそれが舞のためだなんて知らなかった。


「わかった? あんたが着てるその制服はまいまいのために新しく作られた制服なの」

「この学校の頂点はまいまいだよ。そのまいまいに命令するなんて大橋さんも身の程知らずだね」


 雪枝の頭を濡らすのは舞が口をつけた飲みかけのペットボトルのミルクティー。頬をつたって唇に垂れた甘ったるいミルクティーは終わりのない地獄の味がした。


「ゆーきちゃん。これからは舞と仲良くしてね?」


 紅椿学院には3年前から暗黙の了解として、中等部と高等部の生徒の間である掟が取り決められている。


 ──“夏木舞に逆らってはならない”─


雪枝が憧れた紅色の高校生活は舞の存在によって絶望の黒い日々に変わろうとしていた。

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