ギンガという存在


「この世界の住人はやたらコーヒーが好きなんすよ。人間界のコーヒー豆持ってくると、妖精からモテモテになれますよ」


アイリはそう言いながら、空になったアタッシュケースをドワーフから受け取って入り口のドアの前に進んだ。


アランがドアの前で僕には理解できない言葉をつぶやくと、一瞬だけ周りの空気が変わる。


アイリがドアを開けると、それまでは廊下へとつながるドアだった入口の扉の先は、あの真っ暗闇な空間に変わっていた。


アイリは躊躇することなくそこに足を踏み入れ、全身が入ると中から腕を伸ばして自分で扉を閉めた。


そうして彼女は十分たらずで人間界に帰って行った。



「さ。さっきの続きなんだけど……」


「えぇー!なんかあの子大丈夫なの?てかやっぱり何?僕はハルカにいろいろ嘘つかれてたの!?」


「大丈夫、大丈夫。ヘブンの社員はもう大丈夫な体だし。それにあの子は人一倍体も強いし魔力も強いし」


「いや、大丈夫じゃない!双子の妹?性格違いすぎじゃん」


「あぁ、そっち?あの姉妹にはいろいろあってね。ま、今は忘れなさい。相当未練あるみたいだけど」


「未練っていうか、僕の人生を変えた人ですからね……ある意味」


忘れられるわけがない。


「そのハルカさんって人はいい女なんだろうねぇ。アイちゃんももう少しおしとやかだといいんだけど。そう思わない?」


「確かに」


僕は初めてアランと意見が一致したような気がした。


どうやら僕はもうしばらくここに滞在して魔法の勉強をするらしい。

魔法の勉強って……

まるでファンタジー物のゲームをしているような、今まで起きたことすべてが夢の中の出来事のような。


いや、全部夢だったらなんだかつまらない。つまらないだけの生活から抜け出せるならやってもいいか……

それにハルカのことも気になるし。


「じゃ、今日はどうしてタクミくんが魔力を持ってしまったのかをお話ししようと思いまーす」


魔法の勉強をしろと言われ、黙り込んで考え事をしていた僕の思考が断たれた。


「魔力を持ってしまったのか?」


「そうそう。タクミくん、お父さんの記憶ある?」


「……いや、ないけど。それが何か?」


「僕はね、キミのお父さんを知っているんですよ」


「へぇ」


また、訳のわからないことを。


「そう。訳の分からないことなんだけどね。魔法使いも元は人間。身体のつくりは同じなんですよ」


「だから?」


「ですから、タクミ君のお父さんは僕の元上司で人間界での任務できみのお母さんと出会ったっていう」


僕の元上司って…


「そうそう。だから、タクミ君のお父さんは魔法使いってことになるよね。タクミ君はハーフってとこかな」


「いやー…ってさ、何、何なの?じゃぁツカサは?」


「ツカサ君はまだ魔力が目覚めてないみたい。魔力がなくてもなんか充実してそうだし、あれはあれでいいんじゃない」


「そんな僕が充実してないみたいな言い方。まぁそうだけど」


「魔法使いと人間とのあいだにできた子供は、君たちみたいに双子が多いんだよ」



アランは楽しそうに手のひらをこすり合わせる。レイが入れ直したコーヒーをすすり、話を続けた。


「タクミ君のお父さんも、元はセンチュリーの職員でね。僕とは同じ施設出身で。数少ない気の許せる仲間って感じのね」


「はぁ。それで、僕の父親って人は今何をしているんでしょうか?もしかしてもう死んでるとか?」


「今はね、この世界を治めているよ。ヘブンの最高責任者なんだ」



僕は驚いた。

驚いたというか、呆れたというかこんな物語にありがちな話。


「そうなんだよ。ありがちな話だけどねぇ……」


そこに、レイがガラスのような透明なボードを持ってきた。ノートパソコンのディスプレイくらいの大きさで、ほんのり光を放っている。


「それじゃぁ…まず、僕とタクミくんのお父さんが初めて会った時の映像から。戦争中だから、あんまりいい気分はしないだろうけど」


レイが持ってきたボードは宙に浮き、ぼんやりと何かが映り始める。


音のない白黒の映像にはおそろいのマントを羽織った人が並び、前に出て話す男の話を聞いているところが映されていた。


並んだ人の後ろは見たことのない植物が生えていて、もっと奥からは煙のようなものが渦を巻いて立ち上っている。


「いやー、今みんな死んじゃったかな?若いなー。あ、これが僕!」


アランはその映像を見ながら一人で話し始める。僕!といって指差した人物は確かにアランのようだ。若干幼いが、口元のほくろと人をバカにしたような目つきは今と変わっていない。


「このリーダーがタクミ君のお父さんだよ。前に出て話している人」


腕を後ろに組み、一人だけ服装の違う人物が何かを話している。お父さんだよと言われてもピンとこない。


長髪を後ろで束ね、半端な長さの前髪が片目を隠しているが、とてもまじめで厳しそうなその顔からは近寄りがたい雰囲気が放たれている。


「じゃ、次は戦争が終わって僕がセンチュリーに入りたての頃のやつね」


そう言うと画面が切り替わる。


今度は先ほどとは違い、宴会のような雰囲気だ。堅苦しい感じはなく、みんな手に飲み物を持って楽しそうに話している。


と、アランが誰かに肩をたたかれていた。にこやかに笑うアラン。肩をたたかれた相手に会釈をしている。


「笑うとタクミくんに何となく似てるよね。ギンガさん」


「ギンガさん?」


アランの肩に手を乗せ、上機嫌に手の中の飲み物を口に運ぶ人物の顔が映った。長髪だった髪は短くなっていたが、半端な前髪は変わらずに片目を隠している。

それでもツカサに似ている…僕がそう思ったということは、僕にも似ているということか。


「ギンガ・ジャックブレイカーっていうんだよ、名前」


「へー。外人みたい。日本人?」


「まぁ、魔法使いでそうゆうのないんだけど……髪は黒いから日本人よりかな」


懐かしそうにアランが言った。


「で、今のギンガさん」


次に映されたのはカラーの映像だった。そこには黒いマントをつけた先ほどの人物が映っていた。

相変わらず半端な前髪が片目を隠している。角度を変えると少しだけ緑っぽく見える漆黒のマントには金のボタンがついており、書類の積まれたデスクに座って頬杖をつくその手の甲には、不思議な模様のタトゥーが彫られていた。


「あーギンガさん辛そう……やっぱデスクワーク嫌いだよなー現場に出てる方がいいって言ってたしなぁ」


「これ、仕事してるんですか?」


「んーどうだろう?休憩中かな?さっきからぜんぜん手が動いてないけど」


「ってか、これ、何なんですか?覗き?盗撮?」


「あはは、まぁ人間でいえばそんな感じかな。でもこれは公開用に記録された映像だから。古い物も最新のものも、この水晶の板に映すことができるんですよ」


「なんかよくわかんないですけど。で、なんでギンガさんは最高責任者に?」


「あーなんか冷たい感じだねぇ。ギンガさんなんて呼んで。父親とは認めません的な?」


そんな急に言われても、呼べないじゃんお父さんなんて。いなかったんだし。


「あーごめんごめん。ギンガさんがヘブンを治めるようになったのは、うーん、神様が中に入ったからというか、えーと、とある争いを治めたからかな。戦争が終わったのは200年くらい前だからねぇ」


「200年って!あ。ってかこっちの世界と人間の世界って時間の流れが違うんだっけ。じゃぁそうでもないのか」


「そうそう。睡眠教育がうまくいってるみたいだねぇ。境界の歪みとかでうまく換算できないけど、僕が今284歳で、ギンガさんはちょうど僕と50歳違うから……」


「歳なんてどうでもいいけど」


必死に指を折って計算しているアランを止めて話を続けてもらう。


「そうだね。そう。で、戦争が終わった後、人間界との交流もだんだん盛んになっていってね。行き来することが多かったんだけど、いつの間にかギンガさんは人間の女の子と恋仲になっちゃってね。それがタクミ君のお母さんだね。で、とんとん拍子に君たちが生まれたの」


「生まれたのって。そんなに簡単に?」


「だから、カラダのつくりは人間と一緒だって言ったでしょ?ギンガさんこっちの世界ではかなりモテてたし。結構男からも人気あったし。タクミくんだってさっきイケメンって言われてうれしかったくせに」


そんなのはどうでもいい。


「そうね、どうでもいいのね。で、キミたちが生まれたの。このまま人間として人間界で生活したかったってギンガさん言ってたよ。でも、彼はこっちの世界の最高責任者だよ?そんなの無理でしょ、こっちの世界の任務も全うしなくちゃいけない」


「真面目な人なんですねぇ」


「そう。本当に真面目なんだよねぇ。ギンガさんはキミたちを見捨てたわけじゃないんだよ。その時もいろいろあってね。キミたちの記憶を少しだけいじっちゃったけど、キミたちが不自由をしないように少しだけ魔法をかけて、人間界との縁を切ったんだよ」


「縁を切った?」


「うん、縁を切ったんだよ。その証があの手の刻印。普通は人間界で罪を犯した魔法使いにかける呪いなんだけどね。ギンガさんはなぜか自分にそれをかけたんだよねぇ」


「へぇー」


僕は複雑な気分だった。何か罪になるようなことをしたのか。

記憶が操作されている?最高責任者?それだけか?


「まぁ、それは後々教えるよ。僕の過去もね。それでも、ギンガさんはタクミ君たちに自分の事を忘れてほしくなかったみたいでね。自分の名前を残してきたって言ってたけど」


「あぁ。母さんの店の本店がGINGAって名前ですよ」


僕は一度だけキッチンの手伝いをしに行ったホストクラブの看板を思い出した。


「で、どうする?今日はこれで終わる?」


「いや、早くあっちに帰りたいので睡眠教育で詰め込める物は詰め込んでください」


「そうですか。じゃ、まず魔法使いのオーラの事からかなぁ。あー!でも、また寝込まれちゃ困るから、まずは体力作りからかな」


アランは一人でブツブツ言っている。それを隣にいるレイが整理して手元の紙に書き込んでいく。魔法使いも結構アナログだな。


「そうですね。まずは体力作りから。その後は、魔法使いと呼ばれるのに必要な条件、シャッターの上下を覚えていただきましょうか。ここからは僕がお付き合いさせていただきます」


それまでほとんど言葉を発しなかったレイがにこやかな笑顔で言った。笑った口元から、小さな牙が顔を出す。この人も普通じゃないのか。


「そうそう。レイは先祖が吸血鬼でねぇ。ちょっとだけその血をひいてるの」


そうしてバンパイアの末裔から僕は様々なことを叩き込まれるのであった。

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