懐かしい暗闇
観葉植物と高級そうなソファー。
本棚にはタウン情報誌やフリーペーパーが並べられている。
フロントには黒いスーツを着た男が二人。
どちらも黒髪で、一人は見たことのあるアランの部下だ。もう一人は見たことがない。ツーブロックにしてサイドを刈り上げた流行りの髪型で、年齢は僕らより少し若く見えるが、落ち着いたふるまいをしている。
「いらっしゃいませ」
そう言うと、フロントの男二人は深々とお辞儀をした。
そうそう。この甲高い声、あの時の……
「佐藤タクミ様。お待ちしておりました。アランさんが中でお待ちです」
顔を上げると同時にアランの部下が言った。
この調子だと、隣にいる若い男もただの人間ではないようだ。
その男が、ご案内しますと僕らの前に立つ。
「タクミ、何なんだ?」
シンヤはフロントから出てくる男を見ながら小声で言った。背が小さいことをいいことに、僕の後ろに隠れるようにして。
「あのー、ここにアランがいるんですか?」
声が裏返る。僕は、緊張しているのか、興奮しているのか。これから始まることへの期待が大きく膨らむ。アランに初めて会った時のように。
「ここにいるわけではありません。これからタクミ様にはあちらの世界に行っていただきます」
シンヤに脇腹を肘でつつかれ、僕は後ろを向く。
「おい、アイツ何言ってんだ?おまえほんとに知ってる奴なのか?」
「僕もよくわからなくなってきた。名前なんだっけなぁ」
この甲高い声、確かに聞き覚えがあるんだけど。
「アミダと申します。あの時はうまく移動できずにご迷惑をおかけいたしました」
「あぁ、そうそう!アミダさん。僕の隣で何か唱えてた人だ。いやぁ、あれから会っていなかったので…ご無事で何よりです」
僕はアミダに向かって、「どうもどうも」と深くお辞儀をすると、とんでもございません、と手を振られる。
「でも、あっちの世界って、僕行けないですよね?その、あの……」
「ゲートを通過しなくてはなりません。うまくいけば数日で動けるようにはなるはずです」
おいタクミ、あいつ何言ってんだ?と、シンヤは僕の顔色をうかがう。
「ゲートっていうのはあの暗い空間のことですか?人間が入ると、死んじゃうって言ってましたよね?」
「タクミ様は死にはしません。アランさんはただいま、人間界に出られない処罰を受けておられます。別ルートで通信を繋ぐ方法もありますが、今後のためにも手っ取り早くあなたとお話しするにはこの方法しかないのです」
アミダは先ほど案内すると言った男に鍵束を渡しながらそう言った。
死にはしないって……
「はい。死にはしません。それにそろそろ…タクミ様も知っておいた方がいい時期でございます」
ご案内いたします。と、若い男が言った。
そう広くないインフォメーションセンターの隅に、そのドアはあった。
案内役の男は鍵束から古びた鍵を選んで鍵穴へ。ガチャリといって、すぐに鍵が外れた。
「あ、すみません。これってもしかして、あの入口ってやつですか?」
「さようでございます。ですから、ここから先はタクミ様お一人でお願いいたします」
そう言いながら、案内役の男はドアを開けた。無駄にいい声だ。
音もなく、ふわりとドアが開く。
懐かしいような初めてのような。そこにはあの真っ暗な空間があった。
シンヤの動揺した声が聞こえる。
いつの間に開通してたんだ?この通行口。案内役の男は何の躊躇もなくそこに足を踏み込む。
体全体が中に入った後、にゅっと片腕だけが暗闇から出てきた。
つかまれということだろう。
隣にいたシンヤは驚いたような声を上げたが、興味ありげに暗闇に顔を近づけた。
もちろん、僕の後ろに隠れながら。
「じゃ、そうゆうことだから」
「じゃ、って。俺は来るなって事か?」
「うん。お前が入ったら死んじゃうかもしれないから」
「何だよそれ!」
僕は暗闇から出ている腕をしっかり握ると、そのまま中に進んでいった。
その後、どうなったかはわからない。
暗闇は暖かくも冷たくもなく、昔と変わらずに、浮いているようなあの感覚だけがそこにあった。
すぐに僕は体の感覚をなくしていく。顔を触ろうとしても、それがどこにあるのかが分からない。
手を動かすという行為もしているのかしていないのか。まるで体が闇の中に溶けて、魂だけ、意識だけがここにあるような。
僕がはぐれないようにつかめといった意味のあの手も、今は何の感覚もない。
しばらくの間、暗闇を漂った僕は、なんとも言えない気持ちのいい感じに意識を手放しそうになる。
とても心地よい。
なんか…これに負けたら死ぬんじゃないかって、そう思うんだけど……
いつの間にか、僕は気を失っていた。
一人取り残されたシンヤは、なんとなく気味の悪い暗闇を見つめていた。
光を通さない真っ黒なドアの中。恐る恐る右腕を伸ばす。
「おやめ下さい」
「おっ!は、はい」
いきなり後ろから声をかけられて、シンヤが驚きの声を上げる。
伸ばした手を左手でさすりながら後ろを振り返ると、先ほどまでカウンターに立っていた男が立っていた。
「私はアミダと申します。わけあって、タクミ様と知り合いになったものです。普通の人間ではありませんが、あなたたちに害は加えませんのでどうかご安心ください」
その言葉に、シンヤは無言でうなずいた。
「おそらくこれからタクミ様のお店に帰れば、タクミ様がいらっしゃると思います。これからどうするかは、そこでお話し下さい」
アミダと名乗る黒服は、静かに扉を閉めながら言った。
「それと。今事務所に人がいるなら、備品棚をよけておいてくださいとお伝え願いますか?」
「わ、わかりました」
シンヤはアミダに向かって一礼し、逃げるようにその場を離れた。
インフォメーションセンターの外はいつもの飲食店街だった。
夜も更けてきた。
これから飲みに行く人、酔った若い男女の声。普通の夜だ。
シンヤはついさっきまで、タクミと一緒にタバコをふかしていたベンチに座り一服する。タクミが暗闇に消えた…非日常的な出来事を思い出して、その手が少しだけ震えていた。
「……あーケイ?うん、ちょっとね……」
スマホを操作し、便利屋にいるケイと話すことで少しだけ落ち着きを取り戻すシンヤ。
「でさ。頼まれたんだけど、備品棚をよけてほしいって。……え?ドア!?それ、開けない方がいいと思う」
シンヤはオレも今から行くからと言って、急いで電話を切った。
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