そうしてどれくらい経っただろうか。


「てか、来ないっすね。お客さん。何時予定ですか?」


「いやー、時間はもうとっくに過ぎてて。お前が来るちょっと前に電話が来たんだけど。おかしいなー。なんかお客さんの会社の電話番号しか知らなくてさ。さっきは非通知でかかってきたし、連絡しようがないんだよね」


「なんの仕事ですか?この時間だから、浮気のアリバイかな?」


「さあねぇ。ツカサからの紹介だからそんなとこかな。会社の社長みたいだし」


「今日だったらオレなんかしに行くよ!まだ人集めてないんでしょ?」


「まぁ…アリバイだったらよろしく」


僕は応接ソファーから立ち上がった。窓に下していたブラインドを上げ、めったに開けることのない窓を開ける。夜の涼しい風が部屋に吹き込み、タバコの匂いで汚れた部屋の空気を洗い流してくれるようだった。


少し体を傾けて、広場を見渡した。灯りはこの部屋の電気だけ。真正面に、はるか昔にコンビニからいただいてきた灰皿と、コンクリートの小さなブロックがあるだけで他には何もない。舗装されていない地面と雑草があるだけ…のはずだった。


「ケイちゃん。救急車呼んだ方がいいかな?なんか下、やばいんだけど」


僕はケイの返事を聞く前に部屋を飛び出していた。久しぶりに全力疾走。秋口だからなのか、ぞっとするものを見たからなのか、ゾクゾクと全身に鳥肌が立つのが分かる。


後ろから「タクミさーん」と、ケイの声が聞こえて、すぐにやべぇやべぇという動転した声。その間に、階段を駆け下りて灰色の無機質な空間に出る。鉄製の古いドアを押し開けると、そこには色の変わった地面が広がっていた。


すぐそこに、うつぶせに人が倒れている。


「おい!」


お腹のあたりから血が出ていて、周りの土の色を赤黒く変えていた。肩をゆすっても返事がない。危険な仕事は何度もこなしてきたはずなのに。初めてのケースに手が震える。


大丈夫ですかと肩を揺らし続けていると、ケイがスマホで話をしながら飛び出してきた。


「…もう、救急車なんだから来てよ!だれか倒れてんだからさぁ!」


ケイは電話相手の細かい質問にキレたらしく、僕にケータイを押し付けると、倒れている人に駆け寄ってその体を仰向けにする。低いうなり声が聞こえて、男の顔がゆがんだ。

黒い長髪は後ろで束ねられていて、よく整えられた口髭。顔色は、唇がもうすぐ皮膚の色と同じになるくらい悪い。


結局、ここの場所に救急車をつけるのは無理で、場所もよくわからないと電話で言われた僕は、アーケードにつながっている路地まで血だらけの男をおぶっていくことになった。


幸い死んでいないようで、男は苦しそうに背中で息をする。後ろでは男が背中からずり落ちないように、ケイが一生懸命体を支えていた。


「タクミさん、これマジやばい。いつから血出てんの?」


「そんなの知らないよーでも、この人たぶん、今日の依頼人だよね?」


「用事ない人あそこまで来ないでしょ、なんかやばい仕事なんじゃない?」


そんな話をしているうちに、遠くからサイレンの音が聞こえた。僕らは救急車が到着するという待ち合わせの場所に着いて男を地面におろす。痛かったのか、男が今までで一番大きな声を上げた。


ケイはじっとしていられず「探してくる」と言って大通りの方に走って行った。


「大丈夫ですか?もうすぐ病院行けるから、しっかり」


「…あ、……あの」


「何?しゃべれんの?痛いの?てか、カトウさんですよね?」


「…かばん」


「はい?」


「…鞄を……」


男はそう言いながら、黒いジャケットのポケットに手を入れて紙切れのようなものを出そうとした。出そうとしたが、手からだらりと力が抜けて、うめき声しか出ない。僕はその紙切れをポケットから引っ張り出した。


「見ますよ、これ」


僕の声が聞こえたのか聞こえなかったのか。急にうめき声がやんで、男は気を失った。それからすぐに救急車が到着。男は隊員に声をかけられても何も反応しない。


ケイは違う方向に走って行ったらしく、疲れきった顔で戻ってきたと思ったら

「オレ、こうゆうの初めてなんです」と、少しはしゃぎながら救急車の中を覗いていた。男はストレッチャーに乗せられ、いつの間にか点滴の管をつけられている。


そうしているうちに、辺りが騒がしくなってきた。


時間は深夜0時過ぎ。


この町の中心にあるアーケード街の近くでは、夜中でも人通りはそれなりにあった。遠くの方からまたサイレンの音が聞こえる。どうやら、血だらけの男を抱えている僕を見た誰かが警察に連絡したようだ。


「意識を失ったのはいつですか?」


「ついさっき、到着するちょっと前です」


「お知り合いの方…ではないんですね?」


そうです。救急車から降りてきた人にそう答えると、いつも内ポケットに入っている名刺を渡した。依頼人と会う時だけに着る一張羅のスーツが血で台無し。


救急車がいなくなると、それまでできていた人垣がさっといなくなり、点々と血の跡が残る道だけが残った。


「さて、どうしましょうか」


「どうしましょうかって、とりあえず便利屋に戻るよ」


「まぁ、事務所に帰ってゆっくりお話を聞かせてくださいね。この血はこちらで処理します」


そう言って僕の肩に手を乗せてきたのは、顔なじみの刑事リョウタだった。





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