その角を3回右に
僕らのアパートは公立高校の真裏にあった。
高校のグラウンドを囲む緑色のフェンスが、アパートの駐車場のすぐ前に広がる。時間帯によって、部活をする高校生の声がよく聞こえるんだけど、今日は授業中なのかしんと静まりかえっていた。
天気がよく、風もほとんどない。この辺りは緑も多く、久しぶりに草の匂いを全身に感じていた。
僕も兄も、夜に働いている。あ、僕は工場で夜勤。ケータイのカメラのレンズを組み立てる細かくて地味で肩がこる作業を、まぶしい蛍光灯の下で一晩中やる。兄は夕方から働き始めて夜通しお酒を飲む。だから2人とも昼間に活動するのは久しぶりだ。テンションの上がった兄は、太陽はなんて素晴らしいんだ!と、どうでもいい話をしてきてかなりうざい。
とにかくテンションが高い。何がそんなに楽しいのか、どうしてそんなに次から次へと話すことがあるのか理解に苦しむ。
しばらく歩くと、兄が働いているような店や風俗店が並ぶエリアに入った。
夜は飲み屋や怪しいお店のネオンがチカチカ光るこの通りも昼間は静か。高校の近くにこういうエリアがあるのもどうかと思うけど…
ビルの勝手口のような扉から三角巾をしたおばちゃんが顔を出すと、兄に気づいて手を振る。向こうから歩いてきた派手な格好の女の人も、兄を見つけると遠くから走ってきて僕らに話しかけてくる。僕らにってか、兄にだけど。
とにかく兄は、すれ違う人がみんな知り合いなんじゃないかっていうくらい顔が広い。
「ツカサくん今日早いね。もう出勤?なんかあるの?」
「今日は久々のオフ!今から友達のとこに行くんだー」
「そうなんだー」
話している女の子と目が合った。
「もしかして、ツカサくんの双子の弟って、この人?めっちゃ似てるし!」
あわてて僕は会釈をする。
「そうそう。タクミっていうの。顔は似てるんだけど、最近ネクラだからあんまり仲良くすると俺もネクラになっちゃうかもー」
まじでー!ちょーうけるー!
そんな楽しそうな会話に入っていけるはずもなく、僕は1人で歩き始めた。僕が最も苦手とするタイプの女の子だ。昔はがんばれば話せたんだけどな。
そんなことを考えながら歩いていると、アーケード街に着いた。
この辺りはファーストフード店やホビーショップが並ぶ安全なエリア。すれ違う人間も夜の人間ではなく、普通に生活をしている人たちが行きかう、安心する場所。なんだかこんなテンションでシンヤに会いに行くのも気が引けて、僕は道をそれて細い路地に入った。
この路地は、昔よく僕らがたむろしていた広場に続いている。
アーケード街から外れるにつれて、耳に入る陽気な音楽はしだいに小さくなっていった。昔と同じように。
そこに行くには、路地を突き当りまで進み、右に曲がる。さらに進んで、右に曲がる。地面がアスファルトから土に変わるまで進んで、だんだん細くなっていく道を右に曲がる。
すると、雑居ビルに囲まれた懐かしい広場が現れた。
ビルは相変わらず古くて、日当たりのいい場所に僕らが並べたコンクリートブロックも、コンビニからいただいてきた灰皿も少しだけ古くなってそのまま残っていた。
ここは僕ら兄弟とシンヤが見つけたとっておきの場所。昔は悪いことをするたびに、ここに逃げてきていた。どんな作りになっているのかわからないけど、4つのビルに囲まれていて、こじんまりとした部屋のようだ。
入口は、ビルとビルの隙間にあるあの細い道だけで、木や草も生えていない。妙に落ち着く、隠れ家だ。久しぶりに来たけど、昔のままの空気が流れているような不思議な場所。
扉のついているビルもあるから、中庭のようなところなのかな。灰皿の中には真新しい吸殻が捨てられている。こんなビルでも誰か働いているんだな。
そんなことを考えながら、僕はコンクリートのブロックに腰を下ろした。
と、「サトウ便利店」という看板が目に入った。
向かいにあるビルだけ窓にブラインドが下ろされ、入居者募集の広告が張られていない。タバコに火をつけながらぼーっと窓を見ていると、一瞬ブラインドが動いて人影が見える。なんとなく、無断でどこかの敷地内に立ち入っている事にバツの悪さを感じた僕は、広場を出ようとあわてて立ち上がった。
「ねぇねぇ。ヒマならちょっと手伝ってくんない?」
これが僕の新しい人生の始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます