第2話
家庭科室からは校庭が良く見える。
「ん?なんか今トミーに怒られてなかった?」
アヤは持っていた針を針山に刺して、家庭科室の窓を開けた。職員室で鍵をもらい、手芸部のアヤはこの時間、いつも家庭科室にいた。
家庭科室は一階なのだが、さすがに窓を開けてもトラックのスタート地点にいる綾の会話までは聞こえない。
「なーんか、狼狽えてない?」
部長って大変なのかしら。
まぁいっか、後で何があったのか聞けたら聞こう。
冷たい風に肩がすくんで、アヤは窓を閉めて再び針山に刺した針を手に取った。もうすぐ出来上がる。
布一枚だったものが、少しずつ立体的になっていく様は、まるで新しい命を吹き込んでいるようでワクワクする。
探しに探した、冬の晴れた日のような、薄い水色。少しくすんでいる所もお気に入りだ。
ヒダを作りレースを作り、縫い合わせていく。
中に履くパニエはどうしよう。買ってもいいし、思い通りのボリュームを再現する為に作ってもいいな。
頭はどうしよう?リボンにしようかヘッドドレスにしようか…生成色のレースをリボンに縫い付けるのもいいな。
はぁー、こうやって服の事を考えてる時が一番幸せだ。小さい頃からそうだった。母が言うには、二歳ごろから着る服を自分で決め、それ以外は頑として着なかったそうだ。
あの頃から、リボン、レース、イチゴや花柄やらの可愛い柄が大好きだった。好きが講じて今ではこうやって自ら作るまでになった。ズボンは多分人生で数える程しか履いていない。アヤはそんな自分を誇っていた。
少女趣味だとか痛いとか言われても、ロリィタのお洋服だけはやめられない。
初めてロリィタ服で綾の前に立った時、前日から緊張して眠れなくて、当日は手の汗と震えが止まらなかった。なのに綾ってば「いつもそんな感じじゃん?何がいつもと違うの?」と本気で言い放ったのだった。
「この洋服音痴!」と叫びそうになったが内心有り難かった。そして綾からのこの一言。
「アヤはいつも可愛いよ」
私はその場にへなへなとへたり込んで、まさかの号泣をしてしまった。
引かれたらどうしよう。その格好で一緒に歩きたくないって言われたら?ママのように。
そんな不安が一瞬で消し去った、綾の言葉。
でも同時に、綾の存在がどれだけ大事か、どれだけ支えられてるのか、そして私がどれほど綾に依存しているのかも分かってしまった。
「ごめんね」
でも一生胸にしまっておくから。
将来、綾が誰かと結婚しても、心から祝福するから、許してね。
見てるだけで凍えそうな冬の曇り空が、ニッコリ笑った気がした。
キーンコーンカーン…
12時20分に鳴るこのチャイムは、皆が心待ちにしていた。
「やったー、お昼だー!」
誰からともなく皆同じような事を言って、教室はざわめいた。朝練を終えて来た者達にとっては、学校生活においてこれ程待ち遠しい瞬間は無いのではないだろうか。
「お腹空いたね、今日はどこで食べよっか?いつもの所行く?」
アヤがいつものように、綾に声をかけた。
「そうだね、いつもの所行こう。」
全校生徒が楽しみにしているはずの時間。なのにいつもこの時間、綾の顔は暗い。気付いていても、アヤは気付かぬフリをしていた。
二人で体育館の裏の、古いベンチに座った。ここは誰も来ない、二人の秘密の場所だ。でも…と、夏には雑草だらけ蚊だらけになるので、どこか他の場所を探さなくては…とアヤは思っていた。
いつからだろう。綾と二人、こっそり抜け出してお昼を食べるようになったのは。
「はい、アヤ。今日も交換お願い。」
綾の差し出したお弁当にお礼を言い、自分のお弁当を綾に渡した。
「ありがとう」
綾もお礼を言い、お弁当箱の蓋を開けた。中身は、サラダと鳥の胸肉とゆで卵だ。
アヤが「痩せたいから」と母に言って、自分で毎朝作っているお弁当。アヤの母は近頃ポッチャリしてきた娘の体重を気にかけていたので、それはそれは大喜びで娘のお弁当に賛成した。
一方で、綾のお弁当箱はエビフライ、卵焼き、鳥の唐揚げ、きんぴらごぼうに、プチトマト、そしてそぼろのかかったご飯だ。
「今日も美味しそう!いただきまーす!」
アヤはニッコニコで食べ始めた。
「あ、綾は食べれる分だけでいいからね。」
アヤがそう言うと、綾は安心したように「ありがとう」とだけ言った。一見素っ気なさそうで、でも心からの言葉だった。
本当は全部食べて欲しいけど…そう言いかけて、アヤは口をつぐんだ。
ゆで卵を口の中に入れると、モサモサと口の中が乾いた。それを一気にお茶で流し込んだ。
アヤの作ったこのお弁当だけは絶対に吐かない、いつも綾はそう誓っていた。
「ワンピース、完成しそう?」
家庭科室でロリィタのワンピースを作っている事は、綾だけには話していた。
「うん!あと全体的に少し手直しして刺繍したら完成しそう!その刺繍が一番手間なんだけどね。」
「アヤならできるよ。」
アヤなら近い内に必ず完成させられるだろう。そう綾は確信していた。
「ありがとう。これが完成したら次は同じ布でヘッドドレスも作るつもり。」
アヤは楽しそうにキャッキャと話しているが、綾の食事の手が止まっている事に気付いていた。
綾が食べない理由、それは太ったらタイムに響くから…表向きは。綾はダイエットする必要なんて無い…というよりも、人より食べた方が良い位にガリガリに痩せていた。でも本当の、綾の本心からの理由に気付いているアヤは何も言わなかった。言うべきではないと判断した。
「綾のお母さんの料理、相変わらず美味しーい。」
アヤがそう言うと、綾は「沢山食べて。」と笑った。その笑顔は儚さを含んでいた。それでも弱々しく見えないのは、綾の意志の強い瞳のせいだろう。
二人でお弁当の交換こ。二人だけの秘密の事情と秘密の場所。コートを着込んでも寒いこの場所で、冬の風は袖口から入って、全身をいたずらに駆け抜けるから、体は凍えてしまうけれど、それでもアヤには大事にしたい、失いたくない時間だった。
「綾は、決めた事絶対にやり遂げるもんね、昔から」
「なにそれ?どしたの急に?」
綾は笑った。
「陸上部の練習もだけど…覚えてる?マラソン大会で絶対に一位になりたいって、学校終わってから毎日近所の公園で練習したの。それで本当に一位とってさ、先生も驚いてた」
「あったねー、そんな事」
綾はサラダを含んだ口を手で隠しながらクスクス笑った。
「一緒に練習したはずの私はビリから数えた方が早くて、何でだろー!?って」
「でもアヤは器用じゃん。洋服作ったりさ」
「えへへ、ありがと。今作ってるワンピースも完成したら一番に見てね」
「分かった。楽しみにしてる」
綾は再び笑った。その微笑みは雲の合間のお日様のような明るさを讃えていた。
ねぇ、綾。
いつまでもそうやって笑っててね。
他には何も求めないから。でも、できれば隣で笑っててほしいな。幼馴染でいいから。
「ご馳走様でした」
ゆっくりとよく噛んで人よりもゆっくりと食べる、綾の昼食が終わった。
アヤはもっと早くに食べ終わっていて、先生がどうのこうのと、綾に話しかけていた。
もうすぐ二人だけの時間が終わると思うと、教室に戻りたくない気持ちだ。
「ね、おトイレ行ってから教室帰ろ?」
アヤの悪あがきに、綾は軽く「いいよー!」と言った。アヤは「ヤッタ!」と口に出して、綾に大袈裟だと笑われた。
西棟の一階のトイレは、あまり人が来ない。
と、いうよりいつも綾とアヤが二人で利用した時に誰かが来た試しがなかった。が、今日は先客がいた。
トイレのドアを開けると、隣のクラスの女の子がお腹を抑えてしゃがみ込んでいた。
「あの…大丈夫?」
声をかけると、女の子は顔を上げてくれたが、その顔色は悪く、今にも倒れそうだった。
「隣のクラスの柿崎さんと野々原さん…だよね?」
二人の返事を待たずに、彼女は喋り続けた。
「実は急に生理になっちゃって…ナプキン持ってないかな?」
「ごめん!今持ち合わせてなくて…」
アヤが気まずそうに言った。
「ごめん。私はまだ生理来てないから持ってないんだ。」
そう答える綾の声は何故か弾んで見えた。
「保健室行ってもらって来ようか?」
これは引き続き綾のセリフ。
「ううん。いいよそこまでは…ありがとう」
彼女は遠慮がちに断ったが、そこはさすが陸上部部長。
「全然大した事じゃないよ、走ったらすぐだもん。貰ってくるよ。アヤ、彼女の事お願い。」
綾は言うが早いか、サッとトイレから出て行った。
「ありがとう。二人とも、ごめんね」
「謝らないでいいよ、誰にでも起きる事なんだから。それよりお腹痛くない?」
「実は…痛い…でもこれ以上下着に血がついたら嫌だから動けなくて。」
「じゃあナプキン付けたら保健室行こう?」
「うん、ありがとう。」
綾は予想していたよりずっと早く戻って来て、彼女の準備を待って、二人で保健室まで送り届けた。
「保健室の先生に、多い日用なのかそうじゃないのか聞かれて焦っちゃった。そんなの私に分かる訳ないっつーの。」
「保健室に両方の種類があるのかな、それは助かるね。」
アヤは返事に困りかけたが、すぐに話題を変えた。
「さっきの女の子の下の名前、忘れちゃった。名字だけは覚えてるんだけど。綾は知ってる?」
「んー?分かんないな。同じクラスになった事無いし」
「そうだよね。今度また話す機会があったら聞いてみようかな。」
「そうだね、でも来年はクラス替え無いでしょ?受験生だから。もう同じクラスになるチャンス無いね。」
「それもそうだね。」
「こうやって、もし同じクラスになってたら仲良くなれたかもしれない人とのチャンスを逃してるのかもね。大人の手によって。」
「大人の手によって!?」
アヤは噴き出した。
「なんか急に話が壮大なんだけど。」
アヤは尚も笑う。
「その言い方だと大人が悪い者みたいだね。」
込み上げる笑いを堪える事なくゲラゲラ笑っていると、急に綾が真顔になった。
「信じられないでしょ?大人なんて。」
「…え?綾?」
その声はチャイムによって掻き消された。
キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン
「予鈴が鳴りました。皆さん、速やかに教室に戻って下さい。」
いつもの放送部のアナウンスが流れる。もうそんなに時間が経っていたのか。
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