第31話「勝利者たる帝國へ」

 エレベーターが辿たどり着いた場所は、墓地ぼちだった。

 小高い丘の一面、見渡す限りに墓標が等間隔で並んでいる。

 振り返れば寺院があり、その建築様式は灯牙トウガに母国日本を思い出させた。遠くに見える町並みもそう、まるで封建社会だった平安時代前後の日本を彷彿ほうふつとさせる。


「ここが、レヴァイス帝國ていこく……そういえば、ソリアさんも日本刀を使ってたっけ」


 灯牙はチラリと、隣を見やる。

 先程まで自分の背に背負われていたソリアは、長杖ロッドを支えにするようにして立っている。その表情は汗ばみ、小刻みに震えていた。

 やはり、邪神の呪いで体調が優れないようである。

 だが、ソリアは灯牙の視線に気付くや背筋をピンと伸ばした。


「さ、行くわよ! 急がないと……姉様が危ない。一度は私と姉様とを見間違えたニャルラトホテプだもの。二度は同じミスはしないはずよ」

「ああ。リアラさん! トレイズさんとここで待機しててくれ。アルテアを救出したら、また地下の迷宮を使って逃げることにしよう」


 リアラとトレイズは、互いに顔を見合わせてからうなずきを返す。

 先程のエレベーターは、出入り口が巨大な石碑の下に隠されていた。なにかの慰霊碑いれいひだろうが、酷く古いものに見えたし、その下が遺跡に繋がっていても不思議ではない。

 むしろ、地下に眠るなにかをまつるため、石碑があるのではないだろうか。

 興味をかれるが、今はアルテアの救出が最優先である。

 灯牙はすぐに、再びソリアを背負って走り出した。


「ちょ、ちょっと! もういいわ、降ろして! 目立つじゃない」

「ソリアさんが騒がなきゃ、そうでもないよ。ほら、マントをかぶってて」

「もう……クトゥグア、きみね。ちょっと強引。……けど、ね」

「ん?」

「なんでもない! ほら、走った走った!」


 墓地を町へと下ってゆけば、ちらほらと墓参ぼさんする帝國の民が見て取れた。

 皆、神妙しんみょう面持おももちで墓碑に向かっている。喪服の者たちもいて、全員が和装にとても良く似た姿だった。やはり、ここは旧世紀の日本の文化が色濃い土地なのだろう。

 厳粛げんしゅくな静けさに満ちた墓地を、灯牙はひたすらに走る。

 そして、向かう先の町からは不思議な熱気が感じられた。


「あの、一番大きなお城が」

「宮殿よ。帝國は代々、女系の皇帝が治めているわ。母皇帝ぼこうてい御所ごしょでもあるわね」

「へえ、代々女系って珍しいね」

「文字通り、私にとっての母国よ。姉様にとっても本当はそう」


 あの町のどこかに、アルテアはいる。

 自ら妹のソリアと入れ替わって、すでに宮殿に入り込んでいるかもしれない。

 その目的は、ニャルラトホテプの討伐である。

 灯牙にはすぐにわかった。自分との邪神の契約を解除し、アルテアは灯牙を元の世界……彼女たちが旧世紀と呼ぶ現実世界へ帰してくれた。そこから先は、リアラたちが話した通りである。

 ウルス共和国は滅び、レヴァイス帝國が戦争に勝利した。

 数百年も続いた戦争は終わったのだ。

 それも、アルテアの想定する融和ではなく、片方の滅亡という形で。


「姉様は、昔からそう。愚直なまでに真っ直ぐで、これと決めたら迷わないの」

「ああ、知ってる!」

「それに……すっごくドジだから、心配だわ。多分もう、正体がバレてることだってありうる。あのね、実は凄くどんくさいし、ド天然だし、頭いいのにバカなの。わかるでしょ?」

「少しは! それにしても」


 長い長い石階段を降りて、大通りに続く道を疾走する。

 少し妙だ。

 まるで祭のような喧騒で、どこもかしこも浮ついた空気が満ちていた。すれ違う誰もが笑顔で、こちらのことなど気にもとめない。季節の祝祭か、それとも皇家こうけの祭事か……だが、灯牙の言葉にソリアは首を横に振る。


「こんな時期にやってるお祭りなんて、帝國にはないわ。ただ」

「ただ?」

「大きな戦争が終わったんだもの、みんな浮かれるに決まってるじゃない。それも、勝ちいくさなんだもの」

「なるほど」


 どうやら大通りでは、戦勝パレードが行われているらしい。

 あっという間に灯牙たちは、人混みの中へと放り込まれた。すぐに進むことも退くこともできなくなって、人垣の一部に取り込まれてしまった。

 小さな灯牙は、居並ぶ人々の中で前が見えない。

 その代わり、背中でマントを頭からかぶったソリアが、耳元でささやいてくれた。


「大したパレードね。まったく、私を抜きにしてこんな……レヴァイスの剣姫けんきあっての帝國軍なのに」

「そ、その、レヴァイスの剣姫は今は」

「あ、そっか。姉様がやってるんだった。妙ね……知った顔ばかりだけど、姉様の姿がない」


 どの将軍も、馬の上で着飾って凱旋がいせんの熱狂に手を振っている。

 それが灯牙にも、人と人の隙間すきまからわずかに見えた。

 騎馬隊の整然たる行進と、ひるがえる無数の軍旗。軍楽隊の演奏は、ふえの音が主旋律を幾重いくえにも膨らませていた。紙吹雪が舞う中を、群衆たちは歓喜の声で祝っている。

 そこに、どうやらアルテアの姿はないらしい。

 灯牙は恐る恐る、そばで小旗こばたを振る老婆ろうばに声をかけてみた。


「あのう、すみません。これってやっぱり、戦争終結のパレードなんですか?」

「おや、知らないのかい? そうさ、この間やっと戦争が終わったんだよぉ。これで死んだ旦那も息子もむくわれるってもんさ」

「はあ……それで、えっと、ソリアさんは、リヴァイスの剣姫は」

「ソリア様かい?」


 シワだらけの顔をくしゃくしゃにしていた老婆が、固まった。その笑顔があっという間に陰って、俯いてしまう。

 彼女の言葉に、背のソリアが息を飲む気配が伝わった。


「ソリア様はねえ……あたしたちを裏切っちまったんだよ。でもねえ、あのソリア様が」

「そんな馬鹿な、それって」

「そうさ、馬鹿な話さ。誰も信じちゃいないよぉ。けどねえ……みんな遠目にしかお会いしたことがないから、偽物にせものだって言われてもねえ」


 既にもう、ソリアを演じて潜り込んだアルテアは、正体を見抜かれたようだ。

 老婆の言葉に気付いた周囲も、口々に彼女を擁護ようごする。

 臣民しんみんたちにとって、リヴァイスの剣姫ソリアは英雄だ。

 民の信頼も厚く、母皇帝の第一の臣下としてほまれいさおしに満ちた女将軍……その威光は今も揺るがないと皆が言う。だからこそ皆、ソリアの裏切りという現実を受け入れられずにいた。


「ソリア様は、ウルスに寝返ったんじゃよ。兵を率いて、ウルスに加勢したんじゃ」

「ボウヤ、なにも知らないんだねえ……邪神クトゥグアはあの時、ニャルラトホテプ様に倒されたのさ。ニャルラトホテプ様は最初から、ソリア様が魔王軍に通じていて、ウルスと共に帝國に弓引くと見破ってたんだねえ」

「そんなこと、信じられねえんだけどよ。その、ニャルラトナンタラつう邪神が言うんだからなあ。いやしかし、母皇帝様も思い切ったことをなさる。旧世紀の邪神を、禁忌きんきの術で召喚なさるとは」

「でも、それで戦争が終わったんだぜ? ニャルラトホテプ様の操る巨神ギガントルーパーは、圧倒的さ」


 灯牙は、事態が最悪の方向に転がってしまったことを痛感した。

 アルテアは自ら魔王となって、リヴァイスとウルスの共通の敵になろうとした。そして、魔王軍と戦うために両国を共闘させようとしたのである。そんな強引な手を使わねばならぬほどに、二国間の関係は冷え込み、不信と疑念が数百年の戦争を継続させてきた。

 だが、拮抗きっこうする両国のパワーバランスは一変した。

 今まで戦争を長引かせるために暗躍していた、ニャルラトホテプ……彼はとうとう、表立って力を振るい、太古の遺産である超兵器を使ってウルス共和国を滅ぼしてしまったのだ。


「あっ、ごらんよ! ソリア様だ」

「おいたわしや……せめて、母皇帝様の寛大かんだいなる御沙汰ごさたがあれば」

「それにしても、お美しい。まだあんなにお若いのに……なんというはずかしめを」


 灯牙は、頭上でソリアがビクリ! と身を震わせる気配を感じ取った。彼女は灯牙の頭に、まるで覆いかぶさるようにしがみついてくる。

 そして、灯牙も目撃する。

 ほんの僅かな隙間を、アルテアが通り過ぎた。

 両手を鎖で繋がれ、裸足はだしで歩いている。

 四方を屈強な騎士に囲まれ、裸も同然のボロ着姿だ。

 思わず彼女の名を、叫びそうになった。

 だが、ソリアが両手で口を塞いでくる。


「黙って! あやしまれる、から」

「でも」

「よく見て。奴が……ニャルラトホテプがいる」

「――ッ!」


 アルテアを拘束する鎖を、まるで飼い犬のリードを握るようにして歩く男。それは誰であろう、あのニャルラトホテプだった。

 その表情は、ニヤニヤとしまらない笑みを浮かべている。

 完全に勝ち誇った人間の、揺るがぬ優位性を噛みしめる笑顔だった。

 いつにもまして豪華絢爛ごうかけんらんな衣装を身にまとい、悠々と歩いていた。

 そして、周囲の者たちの声に灯牙は絶句する。


「これからソリア様は、公開処刑になるのさ……首をねられてしまうんだよ」

「酷いねえ。せめて自尊死じそんしたまれば。何故なぜ、ソリア様が咎人とがびとのように……裏切ったとはいえ、この帝國のために働いたお人が」

「おや、ボウヤ。連れの子は大丈夫かい? 酷く震えてるじゃないか」


 灯牙は、今にも飛び出しそうな自分を必死で抑え込んだ。

 背のソリアの重ささえ、彼を引き止めるには足りない。そして、確かな重みは今、凍えるように震えていた。全身で灯牙にすがりながら、ソリアは姉の危機に奥歯を噛み締めている。

 ここで軽挙妄動けいきょもうどうを選べば、なにもかもが台無しになる。

 たった二人で、武装した兵士たちの並ぶパレードに突っ込むのは愚策ぐさくだ。

 だが、指をくわえて見ている間に、アルテアは反逆者ソリアとして処刑されてしまう。それだけは、絶対に阻止せねばならない。


「とにかく、なにか手を……考えろ、考えるんだ、灯牙。俺は……僕は、やれる筈だ。なにか、やれることがある筈なんだ」

「ちょ、ちょっと、クトゥグア! あれを!」

「ん?」


 その時だった。

 不意に、周囲が「おお!」と驚きに声を上げた。

 そして灯牙は見た……ニャルラトホテプの前に、小さな一人の少女が舞い降りるのを。

 初めて見るその顔には、凛冽りんれつたる怒りが浮かんでいる。

 灯牙は、背のソリアがつぶやくその名に耳を疑うのだった。

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