第29話「炎の邪神、再臨」

 光のが何度も、灯牙トウガへ迫り、去ってゆく。

 上下も左右もない世界で、まぶしさの中……何度も何度もその輪をくぐる。

 その都度つど、灯牙は自分が邪神へと戻ってゆく感覚に震えた。

 そして、一際巨大なが現れる。

 通り抜けた瞬間、認識する全てが弾けて霧散した。


「僕は……俺は、戻ってきた、のか? アースティアに」


 全身が燃えるように熱い。

 周囲の空気はひんやりと冷たいが、火照ほてった肌が白い湯気をくゆらせる。それはまるで、灯牙のたかぶりが闘気となって漏れ出ているようだ。

 そして、目の前には以前と変わらぬあの顔があった。

 相変わらず布地面積が小さな着衣で、右半身が呪いの紋様もんよういろどられている。

 だが、すぐに違和感に気付く。


「あれ? えっと……アルテア、じゃないよね。勿論もちろん、あるあでも……あ、ソリアさん? ソリアさんじゃないか」


 そう、目の前で赤面して硬直する少女は、灯牙のパートナーである魔王ではなかった。その妹、ソリアである。

 彼女は両手で顔を覆って恥じらいつつも、指と指の間で目を見開いていた。


「ちょ、ちょっと、きみ! なんで素っ裸なのよ!」

「いや、召喚された時はいつもそうだけど……初めて来た時も裸だったし」」

「そんな話、聞いてないわよ!」

「ゴ、ゴメン。でも……なんでソリアさん、アルテアの格好してるの?」


 その場でぴょんぴょん跳ねるソリアに近付く。

 やはり、間近で見れば間違いなく妹のソリアだ。

 言葉にならない声をはわわとつぶやきながら、彼女はよろけて倒れそうになる。

 慌てて灯牙が抱き留めると、ますますソリアは顔を紅潮こうちょうさせた。


「おっと、大丈夫?」

「――ッ! へ、平気よ! 大丈夫だから!」

「アルテアもいつもそう言ってたけど、ね」

「……放して。事情を説明する。それと、みんな待ってた……信じて待ってたから」


 周囲を見渡せば、まずリアラの姿が見えた。背を向け見ないようにしているが、その鎧姿は間違いなくリアラだった。トレイズやアビゲイルといった面々も揃っている。

 だが、アルテアだけがいない。

 きょろきょろと探すが、灯牙の目には彼女の姿は映らなかった。


「あれ、アルテアは……なにか、あった?」

「そ、そうよ。……フン、すぐ見破ってくれちゃって。今までずっとバレなかったのに」

「いや、一目瞭然いちもくりょうぜんだけど。胸だって小さいし、向こうであるあを見てるから、ちょっとした違いがすぐわかるようになったのかも」

「はぁ!? だれが貧乳ですって! 今、まな板娘って言ったわよね! あと、あるあって誰よ! 姉様や私だけじゃ飽き足らず、まさか」


 言ってる意味がわからないが、灯牙の不安は広がってゆく。

 そして、ようやくトレイズが事情を説明してくれた。

 灯牙は、彼が投げてくれたいつものマントを羽織はおる。


流石さすがですな、クトゥグア様……無事のご帰還、再召喚に応じていただき恐悦至極きょうえつしごく

「トレイズさん。状況は? 奴は……ニャルラトホテプは!? いや、それ以前に、アルテアになにかあったのか!?」

左様さようで……アルテア様は今、このにはおりませぬ」

「反乱軍? 魔王軍じゃなくて?」

「かいつまんで説明しましょう。まずは、一週間前のあの戦いから」


 今度は逆に、アースティアでは一週間が経過していたという。

 どうやら、灯牙の行き来によって現実世界とアースティアの時間軸がゆがんでぶれるようだ。だが、今はそんなことよりアルテアのことが気がかりだった。

 そして、トレイズの言葉は先ず、灯牙の予想を肯定してくれる。


「あの時、恐るべき機械神ギガントルーパーなるものに、クトゥグア様は捕らえられました。握り潰されそうになったところで、アルテア様は契約を解除、クトゥグア様を邪神群の栄えた旧世紀へと強制転移させたのです」

「やっぱり……そうか、俺はアルテアに助けられたのか」

「その後、邪神の召喚主としての呪いから解放されたアルテア様は、我らを逃がすためにニャルラトホテプと戦い――」

「捕まったのか!? ま、まさか!」


 アルテアが……死んだ?

 その灯牙の言葉に、トレイズはゆっくりと首を横に振る。


「我らは全員で逃げおおせましたが、すでに魔王軍は瓦解がかい。私の造ったホムンクルスたちも多くが……そして、フォーマルハウト城も奪われたのです」

「そんな……みんな、気さくでいい人たちばかりだったのに」

「今は、ウルス共和国のレジスタンスと合流し、反乱軍として戦っております。しかし、既に戦略的な勝敗に影響する戦いは出来ず、事実上の敗北というところですな」


 そう、魔王軍はニャルラトホテプに敗北し、壊滅した。

 そして、さらなる驚きが灯牙を襲う。

 なんと、この世界で数百年も戦われてきた、ウルス共和国とリヴァイス帝國ていこくの戦争が終結したというのだ。それも、リヴァイス帝國の圧倒的な大勝利で。

 魔王軍を滅ぼしたニャルラトホテプは、返す刀でウルスを攻めた。

 ギガントルーパーを持つニャルラトホテプの前に、なすすべなくウルス軍は敗北したのである。


「じゃあ、戦争は終わったっていうのか? だけど、これじゃあ」

「はい。これは、アルテア様の望んだ戦後ではありません。そのことを誰よりも知るからこそ、邪神の呪いから解き放たれたアルテア様は、決断なさいました」


 すると、話の言葉尻をリアラが拾った。

 彼女は、灯牙から離れてへたり込みそうになるソリアを支える。


「ここからは私が話そう。ソリア、大丈夫か? 部屋まで誰かに運ばせよう」

「あ、ありがと。ゴメン、クトゥグア……悪いけど下がらせてもらうわ」

「フッ、私が触っても気持ち悪く思わない女は、お前で二人目だな」

「姉様、そういうの気にしない人だったから。私も、まあ、今は仲間なんだし?」


 リアラは手早く、兵士たちを呼ぶ。

 部屋の扉がプシュッ! と音を立てて開いた。

 そういえば、どこか近代的な白い壁、明るい照明に自動ドア……どこかで見たことがあるような気がする。

 ソリアを生き残りのホムンクルスにたくして、リアラは話し始めた。


「私たちはウルスで反政府活動をしていたレジスタンスと接触し、反乱軍を結成した。そしてアルテア様は……」

「アルテアは、どうしたんだ!?」

「端的に言うと、。呪いの紋様がなくなった今、二人はニャルラトホテプも間違える程に瓜二うりふたつだからな。アルテア様はレヴァイスの剣姫けんきソリアとして、今はレヴァイスにおもむいている」


 一度言葉を切って、リアラは躊躇ためらいを見せた。

 だが、逡巡しゅんじゅんしたのも一瞬で、彼女は現実を灯牙に突きつけてくる。


「アルテア様は帝國の中枢深くへと潜り込み……ニャルラトホテプと刺し違えるつもりだ」

「なっ……どうして止めてくれなかったんです! それじゃあ、アルテアは」

「止めた! 私も一緒に行くとも言ったし、二人で逃げようととさえ言ったのだ!」


 灯牙にも容易に想像できてしまう。

 リアラはアルテアの忠臣だが、彼女は理想や理念だけに従っていた訳ではない。

 恋愛経験や社会通念に乏しい灯牙でも、わかる。

 リアラはアルテアのことが好きなのだ。世界で唯一、同性しか愛せない自分を許してくれた人……そして、自分の居場所を作ると言ってくれた人。それが、彼女にとってのアルテアの全てだ。

 だが、そんな未来は奪われてしまった。

 そして、少しでも取り戻そうとして、アルテアは行ってしまったのである。


「私たちはアビゲイルの助言を得て今、地下の大迷宮に身を潜めている」

「あっ、以前俺たちがウルス共和国に忍び込んだ時の」

「そう、旧世紀の時代に造られた、このアースティアの隅々まで広がる巨大なダンジョンだ。どうやらニャルラトホテプの奴も、この地下を使ってカルスト要塞に忍び込んだらしいな」


 ウルスの大軍を相手した時を思い出す。

 あの時、何故なぜか突然ニャルラトホテプは復活した。しかも、カルスト要塞の地下遺跡から現れたのである。

 そのカラクリが、この地下迷宮という訳だ。

 地球が砕けて割れた際の破片、それが地球の落涙アースティアである。そして、邪神たち……当時の人類は、宇宙の彼方へと去る際、新しい人類が生きる場所としてこのアースティアを整理したのだ。

 地下に広がる構造物は、その時の名残だとアビゲイルが以前教えてくれた。

 そのアビゲイルが、扉の方をちらりと見やる。


「おや、待ちきれないようだな。ともかく、ニャルラトホテプが再召喚されているのだ。クトゥグアも再召喚が可能だと思ってな。どうやらお前は、以前アルテアに刻んだ呪いを、ソリアに引き継がせたようだ」


 突然、部屋に大勢の男たちがなだれ込んできた。

 皆、屈強な軍人のようである。

 彼らは自分たちをウルスのレジスタンスだと名乗り、口々に叫んで詰め寄ってくる。


「邪神クトゥグア! やはり、あの時の少年だな!」

「ああ、間違いない! 俺もあの戦場に潜入してたから、よく覚えている」

「邪神再臨……これならばまだ、希望があるぞ! まだ俺たちは戦える!」


 男たちの中から、精悍せいかんな顔つきの長身が歩み出た。

 その声に灯牙は、聞き覚えがある。


「邪神クトゥグア、俺は既にウルスの将ではない……我が国は蹂躙じゅうりんされ、守るべき民も奴隷となった。もはや一等市民いっとうしみん二等市民にとうしみんもない! ようやくさとった……真の敵がなんなのかを」

「あ、あなたは……その声、ガイアスさんか! この間戦った」

「そうだ。今は反乱軍に身を置いている。クトゥグア、俺たちを導いてくれ! 武器ならある……使い方もアビゲイルから今、学んでいるところだ!」


 ガイアスが突き出した手に、武器が握られている。

 受け取るとすぐ、それがライフル銃だとわかった。今、地下のダンジョンを探索し、リヴァイス帝國の首都に繋がる道を確保しつつあるらしい。その調査の過程で、旧世紀の武器が発掘されたという訳だ。

 まじまじと銃を見て、刻印された文字にふと灯牙は笑みがこぼれた。


「……そっか。追いついてくれたんだな、あるあ。よし、俺は再び邪神クトゥグアとして戦う。ニャルラトホテプを倒して、アルテアを救う。そして、これをアースティアの最後の戦いにするつもりだ。みんな、俺に力を貸してくれ!」


 ガイアスに銃を返すと、周囲から口々に闘志が叫ばれた。皆、同じ銃を高々と天井へと振り上げる。その銃身には、はっきりと北部重工きたべじゅうこうの文字が刻印されているのだった。

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