第28話「ここが帰る地、故郷と知って」

 それからの日々は、あっという間だった。

 かなりの高さから落ちたにも関わらず、灯牙トウガは軽い脳震盪のうしんとうだけで外傷も少なかった。知り合った少女あるあの話では、落下した時一瞬消えたように見えたらしい。

 恐らく、その一瞬がアースティアでの数日間だ。

 そして、あちらの世界でアルテアは召喚主として決断した……


「つまり、守られた……か。参ったなあ、守りたいのは僕の方だったのに」


 灯牙は今、自由だ。

 学校を休んでいるが、その事自体がまずありえない。以前、両親は勉強以外を許さず、むしろ学校の方が比較的自由だったくらいだ。それが、学校に行かなくてもいいから、しばらくゆっくり過ごしなさいと言われたのだ。

 以前なら、ちょっとありえない発言である。

 父は、灯牙を一人の息子として見ようとしてくれている。

 母も、ちょっとびっくりするくらい優しくなった。

 だが、今この場所に立つ灯牙が想いをせるのは、この世界ではない。


「そうか、僕は……この高さから飛び降りたのか」


 灯牙は改めて、目の前のさくから身を乗り出す。

 落下防止用のフェンスは、胸のあたりまでの高さだ。自他共に認める、貧弱なもやしっ子の灯牙でも乗り越えられる。

 乗り越えられると思ったのだが、試してみるとなると結構しんどそうだ。

 今の灯牙は、邪神の魔力は勿論もちろん、無敵の身体能力すらない。

 見た目通りの痩せたチビで、目の前の壁すら超えられる気がしないのだ。

 ここは、市立図書館がある大型商業施設の屋上だ。


「もう一度飛び降りたら……アルテアたちを助けに行けるか? ……行けるのか、僕は」


 灯牙のつぶやきが、冷たい風に溶け消える。

 もう、答は出ていた。

 二度と飛び降り自殺なんてゴメンだ。

 アルテアにまた会いたい。アルテアの仲間たちと共に、戦いたい。彼女たちを救いたいと本気で思っている。でも、灯牙には既に踏み出す理由がなくなっていた。

 両親は少しずつ、自分の言葉に耳を傾けてくれるようになった。

 こうして出歩くことも、勉強を目的としない行動そのものも初々しさに満ちている。なにもかもが初めてで新鮮で、灰色だった町並みが色付いて見えた。

 だからもう、命を捨てる理由がない。

 また飛び降りてアースティアに行けるとは限らないと、言い訳してしまうだけの未来がここには生まれていた。この現実には、昨日とは違う明日が生まれたのだ。


九頭竜クズリュウくーん! お待たせしました!」


 背後で突然、黄色く弾んだ声が響いた。

 振り向くとそこには、やたら気合の入ったオシャレ少女が駆けてくる。灯牙は詳しくはないが、可憐な美少女という形容がピッタリだった。

 北部キタベあるあだ。

 あるあは、両手にアイスクリームを持っていた。

 正確には、恐らくソフトクリーム……勿論、灯牙には知識でしかない。牛乳を使って作る氷菓子こおりがしという認識しかなく、冷たさも甘さも経験したことがないのだ。


「九頭竜くん、こっちが抹茶で、こっちがバニラです! どっちがいいですか?」

「えっと……北部さんが好きな方、選んでいいよ」

「はいっ! じゃあ、まずはバニラを舐めて、甘みにとろけてきたところで抹茶をいただきますね!」

「い、いや、両方は」

「なので、九頭竜くんは先に抹茶をめててください。あとで交換しましょう!」

「な、なんていうか……今の不勉強な僕でもわかる。北部さん、凄く変わってる女の子だよね。変だよね!」

「ふふ、それほどでもないですよぉ。照れます!」

めてないよ!」


 灯牙が全く気づけなかった少女、それがあるあである。あるあは、ずっと灯牙のことを追いかけてくれていたのだ。

 犯罪スレスレだが、想い続けてくれていたらしい。

 そんな訳で、半ば両親公認の状態で彼女は灯牙につきまとい始めた。

 そのテンションたるや、ブッチギリMAXマックス爆超ばくちょうである。

 だが、彼女のおかげで灯牙は笑うことができている。

 不慣れな自由時間も、こうして町を案内してもらっているのだ。


「変わってるというのは、逆です。九頭竜くんが変わってるのだと思いますよ?」

「僕が?」

「はいっ! 普通、自分が飛び降りた場所を見たいなんて、言わないです」

「それ、めてる?」

「褒めてません! ……でも、わたしは九頭竜くんが望むなら」


 そう言ってあるあは笑った。

 あるあ、変わった名前だ。

 本人はキラキラネームだと豪語して憚らないが、なにかしら意味があるのではないだろうか。そう、生みの親である両親が望んだ、願いや祈りが込められているのではないだろうか。

 ふとそう思ったら、灯牙は自分もそうな気がした。

 ともきばと書いて、灯牙……なにを灯すのだろうか?

 未来を照らす炎か、人を導く希望か。


「九頭竜灯牙、だから……クトゥグア、か。でも、もう俺は終わって今は僕なんだよな」

「九頭竜くん? あれ、おセンチですか? それとも、もうバニラがほしくなりましたか?」

「あ、いや、抹茶も美味しいよ? うん、いいね……初めて味わったけど、これは美味しい」

「ですです! ……で、クトゥグアってなんですか?」

「いや、なんでもないよ」

「九頭竜灯牙だから、あだ名みたいなものですか?」


 元ストーカーの女の子がグイグイくる。

 ちょっと、気圧される。

 けど、好奇心と探究心、そして敬愛の眼差まなざしが光る瞳からは逃げられない。彼女の視線を浴びると、否が応でも灯牙はアルテアを思い出してしまった。

 澄まし顔でいつも冷静沈着、に見えて実はド天然で放っておけない魔王様だ。

 彼女は妹のソリアとも似てるし、目の前のあるあにもそっくりだ。

 でも、アルテアは灯牙にとってもはや、特別な存在で、そう思わせたまま去ってしまった女の子である。そしてもう、恐らく二度と会えない。

 そして、あるあは熱心にソフトクリームを食べつつフェンスの下をのぞく。


「そうそう、あそこに黄色い車がありますよね? あの辺りに落ちました」

「うっ、そう言われると……確かに助かったのが奇跡に見えるよね、当然」

「わたしは慌てて階段で駆け降り、救急車を呼びながら走りました!」

「あ、ありがと」

「どういたしました! 本当にダメかと思いましたが、よかったです」


 ニッコリとあるあは笑う。

 心からの笑顔に、自然と灯牙は頬が火照ほてった。

 この笑顔を、アルテアに届けたいと思う。

 アルテアにも、この笑顔になってほしい。

 けど、もう――


「あっ! そうでした、忘れてました!」

「えっ!? な、なに!? あ、抹茶? こっち食べる?」

「いーえっ、それはまだ先の話です! もっとバニラを堪能してから、抹茶の深みで突き抜けたいのです!」

「……ごめん、日本語でお願い。僕が学んだレベルの日本語で」


 ぐっと、あるあが身を前傾させて顔を近付ける。

 そう、あるあの方がちょっと背が高い。そんなところもアルテアに凄くよく似ている。だが、彼女は屈託くったくない笑みを浮かべながら、とんでもないことを言い放った。


「いいですか、九頭竜くん……YESイエスOKオーケーで答えてください!」

「あ、はい。って、それは意味が同じじゃない? ま、まあ、OK」

「いいですか? 北部さんって少し硬いです。あるあって呼んでください!」

「……YES」

「その代わり、わたしも九頭竜くんのこと、今度から灯牙くんって呼びます!」

「オ、OK?」

「なんで疑問形なんですか?」

「いや、それは――!?」


 その時だった。

 突然、昼下がりの青空が白く染まった。

 快晴も快晴、日本晴れだった世界が眩しさに包まれていく。

 フェンスの向こうから、光が溢れていた。


「こ、これは……」

「あっ! 灯牙くんが一瞬消えた時の光! えっと、これは」


 そう、まばゆい光が周囲の景色を消し飛ばしてゆく。

 なにもかもが輪郭を失う、その向こうから声が聴こえる気がした。

 思わず灯牙は、金網を掴んで、そしてよじ登る。

 だが、当たり前だがあるあが脚にしがみついてきた。


「灯牙くんっ! またですか!? わたしというものがありながらっ!」

「ち、違うよ! それに……君は、物じゃない。君は僕の自由にはできない」

「それはそうですけど、なんでまた飛び降りようとしてるんですか」

「いや、今度は……飛んでみようと思う。ぶんだ、あの世界……あの時代へ」

「灯牙、くん?」


 自分でも、おかしなことを口走ってる自覚はある。

 だが、なにを言っても普通の人には信じられないだろうし、むしろ信じてもらえる方が怖い。異世界……正確には、はるかなる遠未来から、再び灯牙は召喚されようとしているのだ。

 そして、もう一つ確信したことがあった。


「なら、なんで一人で飛ぶんですか! わたしだって、一緒に行きたいですっ!」

「……は?」

「落ちるんじゃなく、今度は飛ぶんですよね? なにかこう、天才少年の素敵なひらめきとかですか? なんだかわからないですけど、なにかが起きそうなの、わかります!」


 

 やっぱり変人の類なのだとわかったが、彼女は本気も本気、大真面目である。

 だから、一度降りて灯牙は優しく彼女を引き離す。


「ごめん、やり残したことがある。そして、説明するには時間がないんだ」

「わかりました! じゃあ、ここでお見送りします」

「理解はやっ! ……いいの? 自惚うぬぼれる訳じゃないけど、僕は君と」

「大丈夫です! いつも追いかけてきましたから。まだまだずっと、追いかけ続けます!」


 あるあはそう言って、満面の笑みを咲かせてくれた。

 その笑顔を見て、灯牙は悟った。

 生きて帰ってこなければいけない理由が、今この瞬間にできたと。

 だから、力強くうなずいて、そして地を蹴る。

 現世からの逃避ではなく、再び仲間たちの元へ戻るため……彼は光の中心へと大きく跳躍ジャンプするのだった。

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