第27話「灯牙、リターン」

 全身の感覚が、光の中へと溶け消える。

 灯牙トウガは、自分自身が光になっているのを感じた。

 それは、久々に味わう奇妙な時間。一秒を何倍にも引き伸ばされ、それが無限に続くかのような錯覚が襲い来る。

 それを以前、灯牙は味わっていた。

 そう、異世界アースティアに召喚された時のことだ。


(なんだ……アルテア、さっき……どうして、さよならなんて。アルテアの声……泣いてた)


 言葉が声にならない。

 思考はつむげども、それを表現する肉体が失われている気がした。

 だが、そんな違和感が突然消え失せ、世界が暗転する。

 まばゆい輝きのうずが一点、闇に包まれた。


(アルテア……我が魔王。そうだ、俺は……僕は、戻らなきゃいけないんだ!」


 瞬間、灯牙は身をバネにして上体を起こした。

 毛布を跳ね除け、真っ白い世界の中へと飛び出してゆく。

 そこは光あふれる温かな部屋で、灯牙はベッドへと寝かされていた。だが、突然どうして? 自分は確か、ニャルラトホテプと戦っていたはずだ。

 ニャルラトホテプが蘇らせた、太古の遺産……巨大人型兵器ギガントルーパー。

 その鋼鉄の手につかまえられ、圧殺寸前のピンチだったのである。

 それが今、灯牙は清潔感あふれる病室でベッドの上にいる。


「そうだ、ここ……どう見ても病室、病院だ! しかも……ここ、アースティアじゃないぞ!? ど、どういうんだ!?」


 驚きに目を白黒させていると、すぐ側で息を飲む気配があった。

 それで灯牙は、視線を横へと滑らせる。

 そこには、両手で口を覆った女の子が立ち上がっていた。彼女の手から、今まで読んでいたであろう文庫本が落ちたところだ。

 そして、挟んだしおりが宙を舞うより速く、彼女は不意に抱きついてきた。

 咄嗟とっさのことで驚き、灯牙は思わず少女の名を呼ぶ。


「え……あ、あれ? アルテア? なにがどうなって――」

「よかったです! 九頭竜クズリュウくん、目を覚ましたのです……本当に、ほんっ、ぉ、に! よかったです!」


 息が苦しくなるほど、抱き締められた。制服の上からでもはっきりと分かる膨らみに、顔が埋まって呼吸が奪われる。

 それで気付いたが、アルテアは何故なぜか灯牙の中学校の制服を着ていた。

 なにかがおかしい、妙だ。

 それも、推測だけは真っ先に脳裏をよぎる。


「僕は……戻ってきた、のか? もといた世界、二十一世紀の日本に」

「そうですよ、戻ってきたんです! 生きてるんですよ! あの世から帰ってこれたんです!」

「えっと、君は……アルテア、じゃないよな。はじめまして、だと思うけど」


 アルテアと違って、黒い髪に黒い瞳だ。左右の目の色が同じで、まるで黒曜石オブシダンのように奥深い輝きをたたえている。そして、そのつやめいた瞳は潤んでいて、今にも瞼が決壊しそうだった。

 そして、強く強く抱き寄せたまま離してくれない。

 病室のドアが外から開けられて、初めて彼女は腕を緩めた。

 現れたのは、灯牙の両親だ。


「ああ……ああ! あなた、灯牙ちゃんが……目を、目を、覚まして」

「……灯牙。も、もういいのか?」


 見知らぬ少女は、そっと灯牙から離れた。

 だが、今度は母が泣きついてきた。

 声を上げての号泣ごうきゅうに、思わず灯牙は驚いてしまう。こうして母の腕に抱かれたことなど、以前はいつだったか覚えていない。思い出すことさえ忘れていたのだ。

 そしてそれは、今の父の顔も同じである。

 いつも厳しく、鉄面皮てつめんぴの無表情だった父。

 その顔は今、以前のような覇気がまったくなかった。

 普段の無表情とは別の意味で、ありとあらゆる表情を失っていたのである。


「えっと、父さん。と、母さん……だよな。え? あ、あれ? なんでだ? やっぱここ、日本だ!」

「灯牙ちゃん? ああ、頭を打った時にもしかして」

「頭? いや、ちょっと待って……あっ!」


 思わず頭に手をやって、触れた包帯の肌触りに驚く。

 さっきから、再発見の連続だ。

 灯牙の頭には、白い包帯が巻かれていた。

 驚きつつ、泣きじゃくる母のぬくもりに触れる。自分を包んでくれる、その柔らかさは先程の少女とはまるで違う。慈愛に満ちた包容ハグは今、もう決して放すまいとするかのように強い。痛いくらいで、接する服越しの感触が自分に刻まれ続けていた。

 先程の少女は、少し灯牙とその両親から距離を取りつつ、言葉を選ぶ。


「ええと、九頭竜くん。覚えて、ないかな? あなた、さっき飛び降りたの」

「僕が……飛び降りた? さっき、だって? あ、ああ……そう、だった、気がする。そうか、それで僕はアルテアにあんなことを」


 少女は教えてくれた。

 灯牙は、飛び降り自殺を試みて失敗し、彼女の通報で病院に緊急入院したそうだ。

 そして灯牙は、ようやく全てを思い出す。

 逃避すら許されぬ人生そのものを、読んで字のごとく自分ごと投げ出したのだ。結果、何故か灯牙は死ぬことなく、こちらの世界から一瞬消えた。そして邪神としてアースティアで数日間を過ごし、戻ってきたのだ。

 魔王アルテアが召喚せし太古の邪神……クトゥグアとして。

 灯牙は母の背をさすりつつ、そっと離れながら記憶を整理する。

 どうやら灯牙は、なんらかの術で元の世界に戻されてしまったようだ。


「えっと、それでアルテア……じゃない、君は、んと」

「さっきから、その名前! 九頭竜くん、誰? ねえ、それって女の子? ですよね!」

「あ、うん……魔王? かな?」

「魔王……?」

「そう、俺の魔王」

「あ、じゃあやっぱりわたしじゃないですか! そんな風に思ってたんですか? わたしのこと」


 謎の少女は、少し身を正すとはにかんだ。


「わたし、北部キタベあるあです。あるあ、って珍しい名前だと思うので、覚えてください。忘れないでくださいね? ……ふふ、キラキラネームもたまには役に立つんですね」

「あ、ああ……北部さん」

「はい」

「……初対面、だよね?」

「大丈夫です、わたしはずっと追いかけてましたから」


 どうも話が要領を得ない。

 だが、涙をハンカチで拭きながら母が教えてくれた。


「灯牙ちゃん、こちらのお嬢さんがすぐに救急車を」

「あっ、いいえ! 日課をこなしてただけです! いつも通り、九頭竜くんを追いかけてたら、突然あの場所で……あ! 違うんです、ストーカーじゃなくて、単純に一方的な好意をいだいた挙げ句に、日々の暮らしを陰ながら見守ることでまずは我慢しようと思って」


 それを人は、ストーカーと言う。

 あっけにとられた様子の母が、少し落ちつたようで笑った。こんなにも優しい微笑みは、初めて見るかもしれない。

 母は、いつも父に怯えていた。

 ずっと、灯牙を決められたわくにはめ込むことで、父を安心させようとしていた。

 今日は、なんだか妙に柔らかく泣き笑いしている。


「……そっか、僕は……自殺、しようとしたのか」

「ごめんなさいね、灯牙ちゃん。ママがいけなかったわ……それに、パパも」

「! ……そ、それは」

「いいの。ママ、パパとはあれから話し合ったから。ね? パパ?」


 落ち着かない様子で、ぼんやりとした父が「あ、ああ」と曖昧に言葉を濁す。

 いつも即断即決、言葉に迷いも戸惑とまどいものないのが灯牙の父だった。一代で会社を大企業へと成長させ、その莫大な富と地盤を灯牙に押し付けようとしていた。

 その父が今は、見る影もない。

 ただ、何度も視線を彷徨さまよわせつつ、父は真っ直ぐ灯牙を見詰めてきた。


「……灯牙。すまなかったな」

「父さん……どうして」

「私は、お前を会社の人柱のように考えていた。母さんが産んでくれたお前より、私が育てた会社の方が大事だと思っていたのだ」


 再度、父は「すまなかった」とうつむいた。


「もう、お前を縛るようなことはしない。今更いまさら許してくれなどとは言えないが……こんなにまで思い詰める状況へ追いやったのは、私だ」

「……でも、会社は」

「今は、なにも言えん。だが……私は今、わからなくなっている。会社とお前と、どちらが大切なのか。どちらも大事だが、どっちがどれくらい大事なのかがわからないんだ」


 人は、突然には変わらない。

 変わりようがないのだ。

 それでも、灯牙にとって父の言葉は衝撃的だった。自分を信じて疑わない、そんな人だったから……それが今、灯牙の前で初めて疑念を告白している。

 自ら信じて灯牙に課した、後継者としての重責をいているようにも見えた。

 そんな自分に、自分でも驚き、おののいてもいるのだろう。

 だが、父は言葉に詰まって話題を変えた。


「しかし、お前が北部重工の御令嬢ごれいじょうと知り合いとはな」

「あ、それね……知り合いっていうか、その……僕、全く面識がないんだけど」

「……何故?」

「いや、父さん。僕が聞きたいくらいで」


 全員の視線が、あるあに注がれた。

 だが、彼女は妙なところで堂々としていて、それはやはりアルテアに似てる。背格好から精緻せいちな美貌まで、本当にそっくりだ。だが、その顔に浮かぶ表情は別物である。


「わたし、いつも九頭竜くんのこと、見てて。片思いで、その……ほら、いつも九頭龍くんって試験で学年トップじゃないですか。わたし、万年二位で」

「……あ。そういえば、僕と同じくらい勉強のできる子がいるって」

「そう、それです! わたし、初めてでした……自分を負かした人は。でも、なんか話しかけづらいし、九頭竜くんはいつも一人だけど、なんか……それで、つい、ストーキング、じゃなくて、その! 見守りを!」


 あるあはそう言って、真っ赤になった。

 それを見た灯牙は、アルテアのことを再度思い出す。

 だがもう、彼女と会えることはないのかもしれない……アルテアは、圧死寸前の灯牙を逃がすために、こちらの世界へ帰してくれた。あのさよならは、召喚主と邪神の関係を断ち切ったという意味だと悟ったのだった。

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