第26話「久遠の果てより蘇るもの」

 地鳴りのとどろく大地が揺れる。

 混乱の悲鳴と絶叫を掻き分け、巨大な敵意が近付いてきた。遠近法を無視しただまし絵のように、距離感を食い潰して巨神ギガンテスが迫る。

 そう、まさしく神の威容を讃えた巨躯きょくだ。

 そして、いわゆる普通の魔物、モンスターではないと灯牙トウガは察した。


「な、なんだあれは……あれも、ニャルラトホテプの邪神の力なのか!?」


 目測だけでも、巨神の全高は50m以上はある。その姿は、両手両足が肥大化して太く、両肩は大きくとがった衝角パイルが無数に伸びていた。豪腕ごうわんにして剛脚ごうきゃく、しかし胴体は優美な女性的ラインで引き絞られている。

 頭部は美しい女神のようで、それでいて無機質な恐怖を見る者全てに刻んでいた。

 そう、これは魔物などではない。

 そして、灯牙の疑問に答える声が響き渡る。


「ヒャハハハッ! こりゃすげえぜ! レア武器ゲット、ってかあ? こいつは……地球も砕けてなくなっちまう訳だよなあ、クトゥグア!」

「くっ、ニャルラトホテプ! どうやって蘇った……お前は俺が焼き尽くしたはず! それより、どうしてここに! そして、それはなんだ!」

「おいおい、質問は一つずつしろよぉ? オレサマ、自慢じゃねえが頭はよくねえんだ。賢くねえからよぉ……こういう単純な力がっ、大好きなんだよ!」


 突如、巨神の双眸そうぼうが光を帯びた。

 それは、まばゆい閃光と共に世界を白く染める。

 灯牙は見た……あっという間に、ウルス共和国の大軍が切り裂かれるのを。

 まるで審判のいかずちごとく、苛烈な光線が地平の彼方へ放られた。一瞬だけタイミングが遅れて、轟音と共に火柱が無数に噴出する。

 わずか一瞬で、何千という人間が焼かれて消えた。

 邪神クトゥグアの炎と違って、無慈悲で冷酷な冷たい光だった。


「見ろぉ! これが旧世紀の技術……邪神群の残した太古の遺産ってやつだ!」


 陶酔感とうすいかんにひたった声で、ニャルラトホテプは笑い続ける。

 すぐそばでソリアの声が、灯牙に状況を教えてくれた。

 そうとしか考えられず、ニャルラトホテプの言葉はそれを裏付けている。


「これが……地下の遺跡に封じられしもの。かつて世界を滅ぼした、邪神の遺産」

「ソリアさん、それじゃあ」

「……君の言う通りだったわ、クトゥグア。あれは……この世界にあってはならないものよ。姉様も多分、それを知ってて」


 アビゲイルは以前、言っていた。

 灯牙が邪神クトゥグア……つまり、旧世紀の人類だと。伝説の邪神群とは、遠い過去の人類であり、灯牙の元いた時代から見て未来の人々である。

 アビゲイルは、灯牙に遺産の継承の資格があると言った。

 そして、それを断った理由は目の前にある。

 灯牙の子孫たちは、発達し過ぎた科学文明で、地球を失うほどの戦争をしてしまったのだ。


「とにかく、今はあのロボットをなんとかしなきゃ! ソリアは兵たちを統率とうそつして逃してくれ! ウルスもレヴァイスもない、ここの全員を助けなきゃ」

「ロボット? えっと……古き言葉で奴隷どれい従者じゅうしゃって意味よね。……あれが?」

「ロボットにも色々あるけど、確か……そう、俺の時代には子供の玩具おもちゃとして、人型の戦うロボットが大人気なんだよ」


 幼少時はいつも、羨望せんぼう眼差まなざしで見ていた。

 玩具のたぐいは、何一つ灯牙には与えられなかった。情操教育じょうそうきょういくの観点から、好ましいと思われるものだけが与えられ続けた。とてもいいお話の絵本や、良質な素材の積み木、知育のためのパズル……そしてそれも、物心ついた頃に消えていった。

 幼稚園から受験だったし、その後も勉強だけをいられる生き方が続いたのだ。

 だが、知っている。

 あれはそう、アニメやゲームに出てくる戦闘ロボットのようなものだ。

 そして、興奮に沸き立つ声が暗に肯定してくる。


「それだぜ、それぇ! クトゥグア、まさしくそいつだ……ハッ、こいつは無敵のスーパーロボットだぜ!」

「くっ、ニャルラトホテプ!」

「まあ……本当の名前はって言うらしいけどな。こいつ、オレサマの命令ならなんでも聞くんだぜ? 最高かよ、ハッ!」


 最悪の状況だ。

 邪神の魔力にも匹敵する、恐るべき力が蘇った。しかもそれは、ニャルラトホテプが完全に支配下に置いてるらしい。

 すでにもう、このアースティアの文明では戦いにすらならなかった。

 そう、旧世紀の科学力が産み落とした破壊の権化ごんげ、それがギガントルーパーである。

 だが、その時代の力を持っているのは、ニャルラトホテプだけではなかった。


「クトゥグア様! これは……邪悪な気配を感じます。なんておぞましい」

「アルテア! フォーマルハウト城にいなきゃ駄目だ、ここは危ない!」

「リアラたちに任せてあります。わたしはクトゥグア様のとなりで、援護を」


 空から、アルテアが舞い降りる。

 かなり急いで来たらしく、彼女の逼迫ひっぱくした表情には汗がにじんでいた。

 邪神の呪いにむしばまれながらも、彼女は背に灯牙とソリアをかばって長杖ロッドをかざす。

 それは、ギガントルーパーが再び瞳に光を灯すのと同時だった。


下僕しもべの星よ! 絶氷ぜっぴょうの鏡にて我らを守れ……障壁、展開っ!」


 瞬時に、灯牙たちの前に氷山が持ち上がる。

 強力な魔法が実行され、あっという間に周囲の気温が激変した。空気中の水分が急速に冷えて、あまりの寒さに雪の結晶を散りばめる。

 だが、巨大な氷壁へと光の矢が注がれた。

 そして、真ん中から同心円状に熱が広がってゆく。


「まずい、アルテア! 貫通される!」


 咄嗟とっさに灯牙は、剣を捨ててソリアを抱き寄せた。細い柳腰に腕を回して、そのまま肩に担ぎ上げる。ソリアは「ひゃっ!?」と小さく甘い声を出して、遠慮なく肩の上から膝蹴ひざげりや肘打ひじうちを食らわせてくれた。

 構わず灯牙は、そのままアルテアをも抱き上げると、地面を蹴る。

 あっという間に過ぎ去る光景は、蒸発する氷のバリアが陽炎かげろうを生み出していた。

 アルテアが生み出した魔法の防壁は、あっという間に消え去った。

 文字通り、貫通して穿うがたれた穴を中心に、水蒸気となって霧散むさんしたのだ。


「ハ、ハハッ! なんだこれ、すげえじゃんかよ! チートだぜ、チート!」


 ギガントルーパーの肩に乗って、ニャルラトホテプが身をのけぞらせ笑いに震える。彼の遊び半分な、悪ふざけとさえ言える害意が周囲に満ちていた。

 心なき巨神ギガントルーパーは、それを表現するマシーンでしかない。

 ならば、倒すべき優先順位は自然と定まった。


「アルテア、えっと……援護、頼む。ただし距離を取ってくれ。ソリアさん、彼女のことを頼む!」


 灯牙は、大小二つのナイフを抜き放つ。それを逆手に持ち替えるや、身を低くして駆け出した。見た目を裏切る強靭な脚力が、あっという間に彼を疾風かぜに変えた。

 ニャルラトホテプを倒せば、とりあえずこの場は沈静化する筈だ。

 だが、先程の疑問はまだ心に引っかかっていた。

 以前、ウルスの公営闘技場こうえいとうぎじょうで奴を倒した。邪神クトゥグアの炎を持って、完璧に燃やし尽くしたのだ。そもそも、召喚主である少女キュクルの死で、この世界に顕現けんげんすることわりが途絶えた筈である。


「ニャルラトホテプ! どうして蘇った! 目的じゃなく、その手順を俺は聞いている!」


 巨大な質量が、灯牙を狙って影を作る。

 さらなる加速で走れば、背後で土砂が舞い上がった。

 ギガントルーパーが、灯牙を踏みつけようとしたのだ。

 やはり、巨体だけに動きはそこまで速くはない。灯牙はそのまま最小半径でターンして、ギガントルーパーの背中を襲った。

 一気に、複雑なパーツが積み重なる中を駆け上がる。

 だが、振り向くニャルラトホテプから魔力がほとばしった。


「へへ、完全回復で復活してんだぜ? 力だって使いたい放題だぜ!」

「それは召喚主を傷つける! 苦しめるって、わかってるんだろ!」

「ああ、それな……さっきのクエスチョンへのアンサーだ。オレサマは、ウルスとレヴァイスの両方を影から後押しし、戦争を調律してきたんだぜ? つまり」

「――そうか! そういうことか!」


 無数の触手しょくしゅが灯牙を襲う。

 両手のナイフでそれを切り払うが、全然前に進めなくなった。

 そして、ニャルラトホテプの攻撃を処理することに忙殺され、すきをつかれる。

 不意に背後から、ギガントルーパーの手が伸びてきた。

 人ではなくロボットなので、逆関節に腕が曲がるのは当然だと気付いて、それが遅過ぎたと悔やむ。

 あっという間に、灯牙を圧殺する力に包まれた。


「ぐっ、ガアッ!」

「おっしゃ、ゲットだぜ! そのまま握り潰されちまいな。それとも……?」

「い、嫌だっ! 俺はまだ、炎の力に頼りたくない! 待ってろ、今……そこに行ってやる! ンギギギ――」

「ヘヘッ、超ウケるぜ! いーか、クトゥグア? 俺ぁ最初から、戦争継続を望む奴らに召喚されてんだよ。それはつまり、どっちの国にも召喚主が、そのスペアがいるってことだ!」


 灯牙は耳を疑った。

 戦争とは、国家が行う巨大な暴力事業である。国益のために、武力を持って目的の達成が求められる行為だ。そしてそれは、灯牙の生きていた時代では回避されるべき悲劇とされてきた。

 この世界でも、ウルス共和国とレヴァイス帝國が戦争をしている。

 もう何百年も、目的を忘れたまま戦い続けているのだ。

 戦争なればこそ、両国には勝利条件、自らを勝たせての終わりが存在する筈。

 だからこそ衝撃的だった……。そういう人間たちに召喚されたニャルラトホテプは、両国の影で暗躍していたのである。


「あばよ、クトゥグア。手前てめぇが引っ掻き回してくれたから、ええと、レヴァイスの剣姫けんき? ソリアちゃんを派閥はばつが元気になっちゃって、面倒なことになってんだよ」

「グッ、ま、待て……ニャルラト、ホテプ……俺と、戦えっ!」

「いや、戦う前に決着してるし? パーフェクトだぜ、完全勝利。で……魔王軍? だっけ、それも……ブッ潰す! そしたら、ウォーゲームの再開って訳だ!」


 灯牙の、邪神クトゥグアの膂力を持ってしても、ギガントルーパーの手から逃れることができない。それでも足掻あがいて藻掻もがけば、突然灯牙の身体が光り出した。

 そして、叫ばれる声が彼自身を光へと変える。


「クトゥグア様っ! ……わたし、嬉しかったです。貴方様あなたさまは、優しくて強くて、とても素敵な邪神。だから、もう……ありがとう、そして、さよなら!」


 ちらりと灯牙は、視界の隅にアルテアの姿を見た。

 彼女の肌から、呪いの紋様もんようが消えてゆく……それが最後に見た全てだった。

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