第23話「見えてきた未来」

 灯牙トウガは夢を見ていた。

 それも、不思議な夢だ。

 まさしく明晰夢めいせきむなのだが、その光景はありえないとすぐにわかる。だから、すぐに夢だと気付いたのだ。


(あれ……父さん? 母さんも。どうして……泣いてるんだ?)


 ただただ暗い闇の中に、両親の姿が浮かんでいる。

 二人共、ほおを濡らしている。光のない目から、とめどなく涙を流しているのだ。そんなことは現実世界、元いた場所ではついぞなかった。ありえなかった。

 だが、不思議と灯牙は心がきしるのを感じた。


(なんで……え? まさか、僕がいないから、なのか? どうして)


 最初はすぐ、会社の跡取りとしての自分が消えたからだと思った。

 父にとっての、一番大事な手駒てごま

 母にとっての、父に一番ささげたい美術品。

 そういうふうに接してくるのが、灯牙の両親だった。ただ一つの目的を達成するために、それ以外のことを許されなかった。その目的すら、自分で選ぶ余地がなかった。

 だが、徐々にかすんで見えなくなる親は、そのことを忘れさせてくれる。


(どうして……どうして、そんな悲しい顔をしてるんだ! ……あれ?」


 ふと、灯牙は目が覚めた。

 そして、自分を覗き込む少女へとまばたきを繰り返す。

 左右で違う色の瞳が、じっと自分を見下ろしていた。その美貌は、世界の敵として魔王をやってる女の子、アルテアだ。

 状況が徐々に思い出されて、あとから現状に気付いた。


「あ、あれ? 僕は……アルテア?」

「はい。申し訳ありません、クトゥグア様。あの、お風呂で……ごめんなさい」

「いや、それは! いいんだ、全然いい。あと……どうして?」

「心配でしたので。あと、そうですね。そうしたいと思った、から? でしょうか」


 周囲へちらりと視線をさまよわせる。

 夜風が肌を撫でる、ここはどうやらフォーマルハウト城の外のようだ。芝生しばふの上に寝かされた灯牙は、どうやらアルテアに膝枕されているらしい。

 そう知ったら急に、後頭部で感じる感触にドギマギした。

 とても柔らかくて、少し温かい。

 慌てて立ち上がろうとした灯牙を、そっとアルテアは手で制した。


「どうか、このままで。クトゥグア様、もう少しこのままでいさせてください」

「え、いや、うん。いい、けど」

「ありがとうございます」

「ち、ちなみに僕は……あ、いや、俺は、どうやって服を」


 そう、灯牙はすでに服を着せられていた。

 そのことを問うたら、アルテアは耳まで真っ赤になって顔を逸らす。自然と向けられた横顔には、びっしりと呪いの紋様もんようが光っていた。


「その、クトゥグア様。ええと、多分、お若い? ですよね? 大丈夫です、クトゥグア様はえある太古の邪神なのですから」

「え、なにそれ。ちょっと待って」

「しょ、将来性があると思います! それに、お肌もすべすべですし、肉付きだってこれから……あ! わ、わたしが御馳走ごちそうを作るというのはどうでしょう! 供物くもつ的な!」

「いやだから、ちょっと待って。……も、もしかして」


 アルテアは素直に告白してくれた。

 

 それも、一人で四苦八苦しくはっくして。


「わたしは詳しくはありませんが、殿方としての魅力はなにも、くわしい肉体だけではないと聞いています。そ、それに」

「ま、待って、もうやめて。ゴメン、なんだか自分がいたたまれないからさ」

「あっ! ご、ごめんなさい……その、初めて、でしたので。ただ、その……絵草紙えぞうし絵巻物えまきもの、物語などはよく読むので。つい、比べてしまって……不敬ふけいをお許しください、クトゥグア様」


 ますます赤くなって、アルテアは萎縮いしゅくしてゆく。

 身を起こした灯牙は、改めてそんな彼女の前に座り直した。

 フォーマルハウト城の城壁がそびえる、その外側に二人はいる。巨大な浮遊城も、城壁の外はねこひたいほどの土地しかない。

 そして、この小さな庭のような草原が、アルテアは秘密のいこいの場だと教えてくれた。


「ここはとても風が気持ちよくて、一人になることができるんです。でも、今は二人ですね、クトゥグア様」

「あ、ああ」


 わざわざ一度立って、アルテアは灯牙の横へと座り直した。

 肩と肩とが触れる距離だ。彼女は呪われた右半身を見せぬよう、灯牙の右側から見詰みつめてくる。もともと小柄な灯牙とは、体格もほとんど違わない。


「クトゥグア様。先程アビゲイルから聞きました。……本気、なんですね」


 恐らく、先にアビゲイルと相談していた今後のことだ。

 ウルス共和国のような世界を見たあとで、灯牙は一つの決意を固めていた。そして、魔王アルテアを唯一の敵とする世界を、一繋ひとつなぎにまとめる計画を考えたのだ。

 ある程度話を把握はあくしてくれてるなら、説明も簡単でありがたい。


「アルテア、改めて確認するよ。今でも、世界の敵として魔王をやる、その決意と覚悟は変わらない?」

「はい」


 即答だった。

 アルテアのまなざしには、迷いも戸惑どまどいもない。

 その真っ直ぐな一途さが、灯牙には少しだけ痛々しい。

 二つの超大国が争い合う、戦争状態が恒常化した異世界アースティア……その分断を解消し、平和をもたらすのがアルテアの目的だ。そのための手段として、彼女は魔王になることを選んだ。

 両国の民の混血児ゆえに、どちらにも居場所がなかった少女。

 彼女は、全ての人に安全な居場所を作ろうとしている。

 そのための、アースティアの民の最初の共同作業に……魔王である自分を倒すという試練を与えたのだ。


「もう、わたしのような人間を生み出してはいけないと感じました。ソリアのように、辛い想いをする人間もです」

「妹思いなんだな、アルテア。大丈夫、俺が最後までアルテアを支えるよ」

「ありがとうございます、クトゥグア様。わたし、クトゥグア様と出会えて……もう一つ、やりたいことが増えました。やらなきゃ、いけないこと」


 じっと見詰めてくるアルテアが、顔を近付けてきた。

 ふわりといい匂いがした。石鹸せっけんとフルーツの匂いだ。さらさらと揺れる彼女の灰色の髪が、まだ少し濡れている。そして、満天の星明かりにつやめいて見えた。


「全てが終わったら、クトゥグア様を元の世界にお返しします。クトゥグア様は、太古の邪神……今は去った邪神たちは皆、ルルイエと呼ばれる地に暮らしていると聞きます」

「いや、まあ……俺は日本だけど。でも、そうだな。いつか俺も帰る日がくるんだろうな」

「はい。わたしとクトゥグア様の召喚の契約、それが失われれば……先日のニャルラトホテプのように。だから、わたしは」


 アルテアが優しい笑顔になった。

 だが、次の言葉に灯牙は絶句する。


。リヴァイスとウルス、二つの民が一つになれば……必ずや魔王のわたしは倒されるでしょう。この命尽きる時が、クトゥグア様の帰還の時です」

「それって」

「召喚主が死ねば、いにしえ盟約めいやくに基づき邪神はこの地を去ることになります。ことがなったあかつきには、この命を断てば」

「駄目だ! そんなの駄目だ、アルテアッ!」


 思わず灯牙は立ち上がってしまった。

 大きな声に驚いたのか、アルテアはきょとんとしている。

 そして、灯牙の中に奇妙な違和感が浮かび上がった。まるで、自分が発した言葉に空虚くうきょ矛盾むじゅんひそんでいる、そんな予感がよぎる。

 その正体はわからないが、はっきりわかっていることは一つだった。


「アルテア、君が死ぬ必要なんかないんだ。自分から死ぬなんて言っちゃ……それじゃあ、自殺を予告するようなものじゃないか! 駄目だよ、アルテア」

「クトゥグア様……で、でも、そうしないとクトゥグア様はルルイエには」

「いいんだ。君の犠牲がなきゃ帰れないなら、俺は帰らない。俺は――」


 ――ずっと、アルテアのとなりにいたい。

 そう思って、口には出さずに言葉を沈めた。飲み込んだ想いが胸の奥で、初めて灯牙に気持ちを気付かせてくれる。

 きっと、多分、恐らく、確実に。

 

 これが、このもどかしいまでに制御不能な熱さが、恋心なのだ。

 知らず学ばなかったことを今、灯牙は体験していると感じた。


「クトゥグア様? ど、どうしましょう。わたしのような人間の命など」

「そういうこと言っちゃ、困るよ。俺の……俺の、すっ、すす……大事な、大切な人のことをさ」

「わ、わたしがですか!?」

「駄目、かな。嫌なんだよ、アルテアのことを『わたしのような』なんて。アルテア自身に、一番そう言ってほしくない」


 灯牙はそっと手を差し伸べる。

 その手に手を重ねて、アルテアも立ち上がった。

 かたどる星座さえ忘れた見知らぬ星空だけが、二人を見守っていた。


「……灯牙、だ」

「えっ? それは」

「僕は、九頭竜灯牙クズリュウトウガ。それが本当の名前なんだ。でも、今は僕は俺として邪神クトゥグアをやる。アルテアの理想のために戦う。だから」


 見様見真似で、その場に灯牙は屈み込む。

 好きな異性に、どうしていいかわからないからだ。勉強しかしてこなかったので、テレビや映画も、小説さえも見たことがない。

 だから、歴史の中で騎士が姫君にするようにひざまずいて、アルテアの手にくちびるを寄せる。

 驚きつつも、アルテアは双眸そうぼううるませ微笑ほほえんだ。


「灯牙、様。わたしの邪神クトゥグア様は……その名は、灯牙様」

「ああ。俺はアルテアのために戦う、そう決めた。だから、自分から死ぬなんて言わないで」

「……はい。では、わたしも一つお願いが……その、二人きりの時だけ、灯牙様とお呼びしてもいいですか?」


 勿論もちろん、灯牙は大きくうなずく。

 アルテアの命を犠牲にしてまで、帰る価値なんてあの日常にはない。それはこのアースティアから見て、遠い過去なのだ。ならば、自分にとっても過去として忘れても構わない。

 再度立ち上がった灯牙は、気付けばアルテアの手に指を絡めて握り合う。

 そうして二人並んで、しばらくただ黙って星を見上げて過ごしたのだった。

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