第22話「魔王と邪神の休息」

 灯牙トウガは取り返した武具の手入れをして、あとは休むことにした。

 今も異世界アースティアの底を見上げて飛ぶ城は、ようやく星空の下へと出る。それを見上げる露天大浴場で、湯に浸れば深い深い溜息ためいきがこぼれた。

 疲れているのか、全身の血行がよくなると眠くなってくる。


「それにしても、異世界まで来て露天風呂とはなあ。……あれ、これって生まれて初めての露天風呂じゃないかな」


 灯牙は、透き通る湯を手ですくってみる。

 温泉ではないそうだが、そこかしこに花びらが浮かんでいる。なんでも、薬効のあらたかな薬草を選んで、湯を沸かしているそうだ。

 こういったことも全て、ホムンクルスたちがやってくれる。

 その生みの親、錬金術師トレイズの言葉が思い出された。


「アルテアは少し落ち着いた、かあ。大丈夫、かな。俺はまた……でも、あの場はああするしかなかった」


 今でも、ニャルラトホテプとキュクルのことを思い出す。

 太古から蘇りし邪神と、その召喚主……両者は二心合一にしんごういつ一心同体いっしんどうたい。ただしそれは、空を羽撃はばた比翼ひよくと比翼ではない。邪神がその恐るべき力を振るえば、強過ぎる魔力の反動が召喚主に呪いとなって跳ね返るのだ。

 ニャルラトホテプはキュクルのことを、アイテム……道具だと言っていた。

 そして,文字通り物のように使い捨てたのだ。


「俺は……絶対にアルテアを死なせはしない。そう、誓ったんだ。彼女の願う理想のために、彼女の祈りを形にするために。俺は、その先にアルテアを連れていきたい」


 最初は、有り余る力と自由に興奮した。

 今は、少し違う。

 自分の自由意志が、初めて求められるより先に望んでいるのだ。自分から自発的に、やりたいことを見つけた気がした。それは、決してアルテアたちが自分の力を欲しているからではない。

 逆に、守るべき者たちと共有する目標を、灯牙の方がむしろ求めていた。


「うん、やっぱり明日にでもお見舞いに行こう。アルテア、もう身体の半分が呪いに……本当に心配だ。平気だって言うけど」


 腕組みウンウンと頷いていた、その時だった。

 不意に、湯けむりの奥から声が響いた。


「わたしは大丈夫です。平気なんです、クトゥグア様」

「ああ、うん。口ではそう言うんだよ。いつも、いつでも……多分、アルテアってそういう子なんだよ」

「そう、でしょうか」

「いやあ、本人にそう言われると……って、あれ? ……えっ!?」


 ぼんやりと、夜の闇に浮かび上がる光。

 それは、起伏の豊かな曲線美を半分おおっている。

 そこには、裸のアルテアが立っていた。


「えっ、あ、お、おおう……ええと。や、やあ!」

「はい、クトゥグア様。先程はお見苦しいところをお見せしました」

「い、いや! そうじゃなくて! な、なんで! どうしてアルテアが!?」

「わたしだけじゃありません。ソリアやリアラもすぐに来ます。安心してください」

「やばい! それはやばい……どうして!」


 アルテアは、自分そのものの美しさを隠そうともせず微笑ほほえむ。

 そして、彼女は実にのんきなことをにこやかに話した。


「少し汗をかいたので、沐浴もくよくをと……丁度ちょうど、ソリアとも久しぶりに話したいと思っていたところです。それに、リアラのことも心配で……あ」

「ど、どうした、どうかしたか? って、そうだよな、どうかしてるのは俺か!」

「い、いえ……えっと、リアラはちょっと、その……お、男の人が苦手なんです。ええと」

「おっ、おお、俺は出るよ! ごめん、ひょっとして今の時間って」

「い、いえ! わたしがトレイズに確認しなかったのがいけなかったのです。こんな夜にまさかと……でも、なんだか、少し、嬉しいです」


 だが、すでに脱衣所の方からは二人の話す声が聴こえてくる。

 ソリアとリアラの影が、今にも見えてきそうだった。

 絶体絶命のピンチである。

 勿論もちろん、ここは広大なフォーマルハウト城の高みにあって、見える景色の下は断崖絶壁だんがいぜっぺきだ。出入りは脱衣所からしかできない。


「わかりました、クトゥグア様。少々お待ちを……下僕しもべの星よ、我に応えよ」


 不意にアルテアが、そっと手をかざす。

 魔法が使われ、灯牙は音が奇妙な反響に包まれるのを聴いた。まるで、見えない壁に包まれてしまったみたいだ。


「周囲の空気を捻じ曲げました。これでクトゥグア様は見えないはずです」

「あ、ああ……いや、でも」

「一応、わたしの後ろへ。ちなみに、リアラに見つかったら大変です」

「ど、どれくらい?」

「…………」

「ま、待ってよ、黙らないでよ!」


 だが、湯船の中でアルテアは振り返った。

 そうして、背に灯牙をかばって守るように立つ。

 それは、ソリアとリアラが姿を現すのと同時だった。


「姉様! 今、誰と話してたの? なんか、誰かいたような気がするんだけど」

「気のせいですよ、ソリア」

「って、姉様! ダメよ、まずは湯で身体を洗って清めてから! ほら、こっち来て! 私が髪を洗ってあげるわ。背中も流してあげるんだから」

「え、ええ。そうですね、では」


 手桶ておけが並んだ洗い場の方へと、アルテアはソリアに連れられ行ってしまった。

 だが、リアラだけがぼんやりと立ち尽くしている。

 やはり、普段の覇気が全く感じられない。

 普段のリアラには、凛冽りんれつたる活力がみなぎっている。アルテアを守る最強の剣にして盾、誇り高き武人のたたずまいがあるのだ。

 それが今は、まるで抜け殻のようだ。

 それでも、彼女はじっとこちらを見詰めてくる。

 灯牙は、アルテアの魔法で姿を隠せているのに、恐ろしく居心地が悪かった。


「リアラ、どうしたのですか? さ、こちらに」

「え、ええ……すみません、アルテア様」

「いいえ、リアラはわたしの大切な仲間です。こうしてねぎらうくらいでは、まだまだ全然感謝が表せてません」


 アルテアは、なんだかごちゃごちゃ沢山の小瓶こびんを持っている。多分、こっちの世界でのシャンプーやリンス等、整髪料のたぐいだろう。

 なにやらリアラは、キラキラ光る小瓶を渡され恐縮している。

 高級品らしいのだが、アルテアはこれを使ってほしいと優しく笑っていた。

 そんな姉に対して、妹のソリアが泡立てた手で髪に触れてゆく。

 まさに、女神たちの水浴びを見ているような光景だった。


「ちょっと、姉様! 髪が傷んでる。もぉ、いつも私が言ってるじゃない!」

「ご、ごめんなさい。色々と、忙しくて」

「それに……その肌。な、なんか光ってるけど、痛いの?」

「今は、少し落ち着いています。少しずつ消耗はしていますが、平気です」

「平気だ、大丈夫だって、いつもそう。あ、リアラ! そこの青い瓶を取って」


 こうして見ていると、やはりソリアのアルテアへ向ける表情は柔らかい。ツンケンとして時にはいつわりの仮面を被る、リヴァイスの剣姫けんきなどという偶像アイドルも演じるあのソリアがだ。

 腹違いの姉に対してつれない態度は、あれは愛情の裏返しだったのかもしれない。

 ソリアはリアラが投げた瓶を片手で受け取ると、どんどんアルテアの髪を泡立てる。

 世界の全てを敵に回した魔王は今、固く目をつぶって身を小さくしていた。


「そういやさ、リアラ……君、やっぱり帝國ていこくの人間だったわね」

「……そうだ。かつて私は、リヴァイスの騎士だった」

「知ってるわよ。白百合しらゆりの騎士……やっぱり、国を捨てて魔王軍に入ったのは」

「アルテア様の理想に未来を見出したからだ。……そのためになら、命をかけられる。今のこの場所でしか、命を燃やすことがもうできないのだ」

うわさは本当だった、って訳ね」


 ソリアはせっせとアルテアの髪を洗いながら、語り出した。

 かつて、リヴァイス帝國には若き最強の騎士が存在した。名は、リアラ……そう、今ちょうど灯牙の視線の先にいる女性である。彼女は、同世代の男児は勿論もちろん重鎮じゅうちんたちにも才能を認めさせた実力者だった。

 だが、リアラには居場所がなかった。

 彼女に周囲が求めたのは、剣の道や軍略、統率力や兵法ひょうほうではなかったのだ。


「リアラ、君さ……よめに行って子を成せって言われたそうね」

「ああ。だが、それは私にはできない。私は……」

「知ってる。なんか、男がダメなんだってね。あ、ちょっと! 姉様、動かないで! ……それで、君は全ての求愛を断った。母皇帝ぼこうていの話さえ蹴ったってね」

「母皇帝陛下はリヴァイスそのもの、私とて忠義を誓っている。だが、何故なぜ……どうして、剣ではなく子を産むことしか求められないのか。私は……男は、怖い」

「まあ、私みたいに器用で世渡り上手なタイプじゃないもんね、君」

「……私が伴侶はんりょとしたいのは、こう、アルテア様みたいな清らかな乙女なのだ。……はっ! いえ、今のはもののはずみで! ごめんなさい、本音が出た! いや、本音というか、ただの本心で」


 なるほどと、灯牙は胸の奥で得心した。

 確かにリアラの瞳は、緑色……リヴァイスの民を証明するものだ。それは、ソリアのような若葉色の輝きではなく、深く濃い宝石のような色だ。

 灯牙が生きていた、二十一世紀の日本でさえ、女性と男性の平等はまだまだ課題だらけだ。まして、男性が苦手な人間が中世のようなこのアースティアでは生きづらいだろう。

 だが、そんなリアラにアルテアがかける言葉は温かい。


「リアラ、大丈夫です。必ず、あなたのような強く優しい女性が必要とされる時代が来ます。わたしが、その世界へあなたと連れていきますから」

「アルテア様……ッ!」

「あら? リアラ、鼻血が……ふふ、もうのぼせたのですか? わたしと一緒の時はよく、リアラは鼻血を――!? ソリア、熱いです、湯が熱いです! 目に泡が! 熱いです……」


 ソリアは容赦なく、リアラに語りかけるアルテアの頭に手桶の湯を浴びせた。

 灰色にくすんでいた魔王の髪が、つやめいて星の光に輝いて見えた。

 そして、ゆっくりと灯牙の視界がにじんでぼやける。

 自分の方が本当にのぼせたと気付いた時には、意識が朦朧もうろうとして暗くなってゆくのだった。

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