第21話「世界の歪みの敵となれ」

 フォーマルハウト城に戻ると、大広間に意外な大歓迎が待っていた。

 エルフやドワーフ、ノームといった亜人たちが、歓呼かんこの声で灯牙トウガを囲む。その腕にアルテアを抱き上げたまま、灯牙は自身の凱旋がいせんに興奮を禁じえない。

 今なら堂々と胸を張って、自分を誇れるような気がした。

 目の前は今、歓喜の声に満ち満ちている。


「クトゥグア様! いあ! いあ!」

「いあ! いあ! くとぅぐあ、ふたぐん!」

「おお……クトゥグア様がアルテア様を!」


 亜人たちは皆、興奮に床を踏み鳴らす。

 彼らにとっての救世主メシア、そして希望がアルテアであり、灯牙なのだ。

 だから、灯牙は視線でうながされてアルテアを降ろしてやる。彼女は少しよろけたが、しっかりと自分の脚で一歩を踏み出した。

 りんとした表情で、居並ぶ多くの者たちを見渡し言葉を選ぶ。

 今この瞬間も、邪神の呪いに蝕まれているのに、だ。

 立っているだけでも辛く、全身を苦痛でさいなまれている……それでも、彼女のよく通る声は力強く、どこまでも透き通って響いた。


「エルフ、ドワーフ、そしてノーム……他にも、多種多様な少数民族の者たち。あらゆる人間の生活と文化を守るため、わたしはこれからも戦います。この魔王アルテアが、皆の未来を約束しましょう」


 誰もがアルテアの言葉に聞き入っていた。

 気付けば、腕組み見守る灯牙の隣にソリアが立つ。彼女の眼差まなざしも、マント姿のアルテアの背中に注がれていた。

 アルテアはもう、赤い右目を隠してはいない。

 二つの民族の混血であるあかしに、亜人たちからはどよめきも漂ってきた。だが、アルテアは静かに言の葉をつむぐ。


「わたしは見ての通り、ウルス共和国とレヴァイス帝國ていこく、二つの血筋を持つ人間です。ゆえに、どちらにも居場所を許されません。だからこそ、皆の気持ちがわかるつもりでいます。どうか、わたしに使命を……このアースティアの未来を明るく照らす仕事をさせてほしいのです」


 大歓声があがった。

 灯牙は、熱気をはらんだ声が連鎖する波を全身に受ける。

 アルテアの言葉は、確実に亜人たちの心に希望をともした。エルフもドワーフもホビットも、皆が肩を組んで手を取り合い、若き魔王の言葉に歓迎を叫ぶ。


「俺たちゃアルテア様についてくぞ! 武器から投石機、いしゆみまで俺たちドワーフに任せろ!」

「我らも配下にお加えください! エルフは弓や魔法の長じています! もう、人間たちにみすみす同族を殺されるのを見てはいられないのです!」

「オイラたちホビットが、ウルスとレヴァイスの両方から情報を集めるぜ!」

「そうだ、座して滅びを待つものか! さりとて、救いを強請ねだらず……我らはこれからは、アルテア様と、クトゥグア様と共に! いあ! いあ!」


 多くの期待と信頼が、アルテアの双肩にのしかかる。それが灯牙には、はっきりと見て取れた。そして、彼女自身がそれは一番よく知っているはずだ。

 アルテアは、このアースティアの戦争を終らせるために決起した。

 自分にだけ敵意を集めて、世界の敵として振る舞うこと。そうして、無意味な戦争を永らく続けてきた超大国同士を結ぶ。敵の敵は味方として、まずは強引に手を結ばせるつもりなのだ。


「皆、ありがとう。協力の気持ちには感謝します。ですが、皆はわたしにとって守るべき者たち。それを、戦いを止めるための戦いで散らすわけにはいかないのです」


 アルテアははっきりと宣言した。

 これからカルスト要塞に戻り、残留している兵士たちを回収すること。その時点で、亜人たちを地上へと解放すること。

 いつまでもフォーマルハウト城にいては、魔王の軍勢の一部と思われかねない。

 アルテアの望みは、自分以外の全てを一つのきずなで結ぶこと。

 エルフやドワーフ、ホビットたちもこれからは、戦争の終わった人間社会と共存してほしいのだ。だから……今後恐らく、アルテアは亜人たちの敵にもなる。

 世界の敵として振る舞うとは、そういうことだ。

 その想いを胸に沈めて、彼女は今後の方針だけを話し、そのまま長杖ロッドで身を支える。

 倒れそうになったアルテアへと、急いで灯牙は駆け寄った。


「アルテアッ!」

「大丈夫、です……まだ、わたしは」

「もう、右半身へくまなく呪いが。少し休もう、あとは俺が」

「……すみません、クトゥグア様」

「構わないさ。君の苦しみは全部、俺のせいだ」

「違います……それは、違うのです。この痛みすら、わたしには愛しいのですから」


 腕の中のアルテアは、震えていた。

 その身体は冷たく、まるで死体のようだ。

 苦しげな息を浅く刻む彼女の、白妙しろたえの肌に不気味な光が明滅めいめつしている。まるで呼吸するように、呪いの紋様は暗い光を放っているのだ。

 やはり、邪神の力を使って炎を呼び出せば、アルテアに負担がかかる。

 自然と脳裏に、ザベックの子キュクルが思い出された。自分が殺した人の娘で、邪神ニャルラトホテプを召喚した少女。そして、自らが招いた邪神の魔力に食い潰され、非業の死を遂げた女の子だ。

 その最期さいごの姿は、今でも灯牙の胸を疼痛とうつうで締め上げる。

 突然、抱き寄せるアルテアを奪われたのは、そんな時だった。


「ちょっと、いいから姉様から離れて! ……あ、いや、姉は、そうね、消耗が激しいわ」

「ソリアさん」

「あとは私に任せてもらうから。そ、そうね! これはほら、借りを返すだけ。魔王アルテアは反逆者、レヴァイス帝國にとっても敵だわ。でも、私と間違われて誘拐されたんだし」


 もごもごとソリアは、要領を得ない。

 顔は真っ赤で、しどろもどろにだがアルテアの看病を申し出てくるのだ。そんな妹に肩を貸されてると気付いて、アルテアは苦しげに呻くような言葉を発した。


「ソリア、ちゃん? ああ……夢見たい。ソリアちゃんが」

「そ、そうよ! まったく、手のかかる姉ね。なんでこう愚かなのかしら! 禁忌きんきの召喚術を使って、邪神を呼び寄せるなんて。……どうなるかわかってる筈なのに、姉様のバカ」

「ごめん、なさい……わたし、どうしても……大切な人、を……

「――ッ! そ、それは」

「わたしの、たった一人の妹。レヴァイスの剣姫けんき、ソリア。優しいあなたに、剣は似合わないわ。あなたが笑顔で暮らせる未来を、わたしは……でも、ごめんね。グズなお姉ちゃんを、許して、ね?」

「ゆ、許すもなにも」


 アルテアは最後に、リアラを見舞わねばと言いながら去っていった。

 最後までずっと、仲間や妹のこと、民のことばかりを気にかけていたようだ。その気丈な姿が、灯牙の胸を打つ。

 そして、意外な事実に素直に驚いた。

 それは、少し嬉しい発見だった。


「なんだ、大事な人って……妹のソリアさんだったんだ。俺はなにを」


 そのソリアにも、先程とても大きな仕事を頼んだ。

 それが意外にも快諾されたので、こっちが驚いたくらいである。彼女はアルテアの妹であっても、レヴァイス帝国の将、軍人である。誰が呼んだか、レヴァイスの剣姫……両軍から畏怖いふ畏敬いけいの念を集める、このアースティアの英雄なのだ。

 だから、彼女にしかできない仕事がある。

 そして、それはアルテアには思いつけない筈だ。

 妹を大切に想い、彼女が剣を取らなくていい世界を目指しているのがアルテアだから。

 亜人たちが押し寄せようとしていたが、アビゲイルが制してくれている。そんな中で、横から密やかに声をかけられた。


「少しよろしいですかな、クトゥグア様」

「あ、トレイズさん。よかった、俺も丁度相談したいことが……トレイズさん?」


 魔王軍の参謀役、トレイズがそっとマントを引っ張ってくる。

 そのまま灯牙は、民衆に背を向ける形で声をひそめた。


「クトゥグア様……ウルス共和国を見てこられたかと思いますが、如何いかがですかな?」

「如何、っていわれると、なあ。うん、あれは駄目だよ。俺は、悪いものだと思う」

「それはまた、随分とはっきりおっしゃる」

「よく考えてみてよ、トレイズさん。真っ当な民主主義国家なら、差別や貧困はもっと小さくなる筈なんだ。わざわざ国の名に『共和国』なんてうたう必要もない。俺のいた世界じゃさ、共和国って自分から名乗ってる国はおかしなとこばかりだったよ」


 そう言ったら、肩を震わせ小さくトレイズが笑った。

 そして、彼は「失礼」と小さく呟き眼鏡めがねを外す。

 そこにまた、新しい真実が浮かび上がった。


「トレイズさん、あなたは」

「今まで秘密にしていた無礼をお許しください」


 トレイズの双眸そうぼうは、。そしてそこには、光はない。彼は自ら、自分が視力を失った人間だと教えてくれた。

 ウルスの民である赤い目は、まるでほらのように底なしの闇を抱えている。

 だが、トレイズは今までその闇と共に生きてきたのだ。


「私のような人間を、あの国は不稼働市民ふかどうしみんとして処理します」

「処理、というのは」

「強制労働に使い潰してから、殺されるのです。それがあの国の法であり、民主主義による多数決で民が選んだ方針なのですよ」

「じゃあ、トレイズさんは」

「幸い、私には錬金術の心得がありました。それを、あの国を変えるために使いたい……ゆえに、アルテア様をお支えしているのです。あの国はもう、外からの力で変わるしかない。それが魔王軍の武力であり、共にそれと戦うレヴァイス帝國との同盟なのです」


 にわかには信じられない話だが、灯牙は自分の目で見てきた。

 ウルスの地では、人権を得るための条件がある。そしてそれを、生まれた瞬間に奪われる者も少なくないのだろう。トレイズはまさに、盲目の人間として生まれた故に人間扱いされなかった錬金術師なのだ。


「トレイズさん……教えてくれてありがとう。俺は、トレイズさんが見えてなくても、トレイズさんに未来を見せ続けるよ。約束する」

流石さすがは邪神クトゥグア様……なんとありがたきお言葉。この魔王軍に参集した者たちは皆、よるべなき者たちです。生まれながらの放浪者、はみ出しもの……故に、自分のような人間のいない世界を欲して求めているのです。探して見つからないので、作り出そうともがいているのですよ」


 灯牙は改めて、亜人たちを振り返る。落ち着かせようとするアビゲイルたちが困惑する程に、彼らは興奮していた。それも全て、人間同士の戦争に巻き込まれてきたからだ。

 だから、灯牙は改めて最大の決断をトレイズに告げる。


「トレイズさんたちの気持ち、想い……俺の戦う理由にさせてもらう。俺は、アルテアと一緒に、みんなの幸せのために戦うよ。だから……そう、だからカルスト要塞は――」


 灯牙の言葉に思わず、トレイズは手にした眼鏡を落とした。だが、慌ててそれを拾ってかけると、悪巧わるだくみに賛同する共犯者の笑みを見せてくれるのだった。

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