第20話「夢見るままに意を得たり」

 あっという間に、灯牙トウガの着衣が溶け消える。ぶかぶかの服が、一瞬で燃え尽きた。そして今、全裸の彼は炎の鎧を身に纏っている。

 ゆらゆらと揺れる炎そのものとなって、彼は周囲の異形を睨んだ。

 手にした剣の刃が、ドロドロに溶けて滴り落ちる。


「ニャルラトホテプ、そこを動くな! 今、行ってやる」


 無造作に一歩、踏み出す。

 あっという間に、進行方向に立つ大樹のバケモノが発火した。

 バチバチと音を立てて、あっという間に木々が燃え広がる。それはまるで、炎の中で踊る黒い影だ。藻掻もがくように、足掻あがくように激しく身悶みもだえ、絶叫と共に消滅する。

 周囲に広がる森自体が、灯牙から溢れ出る烈火に消し飛ばされようとしていた。


「ヒャハハッ! すげえぞ、クトゥグア! やるじゃねえか!」

「そっちか。待ってろ、アルテア……必ず助ける!」

「そのアルテアちゃんもすげえぜ! ハッ、頑張るじゃねえか。見ろ、呪いの紋様もんようが……って、見えねえか? 早く見にこいよ、クトゥグア!」


 不思議な程に、灯牙は冷静だった。

 熱くたぎる怒りも、アルテアを想う気持ちも燃え盛っている。

 それなのに、炎の化身となった身は理性と精神力で制御されていた。これほどの力を解放すれば、アルテアもただでは済まない。

 それでも、彼女は耐えると言ってくれた。

 ならば、なるべく短い時間で決着をつけたい。


「それと、ニャルラトホテプ。さっきの子は……キュクルって子は無事だろうな」

「はぁ? 知らねーよ、んなことぉ!」

「……彼女はお前の召喚主だ。それをお前は、まるで使い潰すようにして」

「ありゃ、いうなれば俺のMPタンクなんだよ。マジックポイントの詰まったアイテムさ!」

「訳のわからないことを……彼女はアイテム、道具なんかじゃない。一人の人間だ!」


 ますます勢いよく、灯牙の炎が火焔かえんとなって広がる。

 近付く敵は全て、瞬時に燃え尽きていった。

 そして、突然現れた森が完全に消え去る。

 風に灰が舞い散る中、再び灯牙はニャルラトホテプの前に立った。突然巨大な森に覆われ、観客たちには見えていなかったのだろう。ようやく視界が開けたことで、再び大歓声が響き渡った。興奮に足踏みしながら、誰もが熱狂的に叫んでいる。

 その無責任な声を、灯牙はぐるりとめつけた。

 炎邪の眼光は、あっという間に周囲を黙らせる。

 だが、ニャルラトホテプは不遜ふそんに鼻を鳴らすだけだった。


「大したもんだなあ、ええ? んじゃ、やっかよ! オレサマとお前の、ラストバトルってやつをなあ!」

「……アルテアは、どこだ? それと、キュクルは」

「っと、余所見してんじゃねえよ! オラァ!」


 ニャルラトホテプの両手が、突き出される。五本と五本の指が、あっという間に無数の触手となって灯牙を襲った。その切っ先は鋭く、触れる全てを貫くだろう。

 だが、もし触れてればの話だが。

 灯牙の全身を包んで燃える炎が、見えない壁を広げて全てを焼却する。

 そして、むちのようにしなる触手を伝って、炎は直接ニャルラトホテプへ燃え移った。


「アチッ! クソォ、手前てめぇ……やってくれるじゃねえか!」

「少し、周囲を燃やし過ぎたな。アルテア、無事でいてくれ」

「おいこら、オレサマを無視すんじゃねえよ! ……あァ!? あのアマ、どこいった」

「……いた。よかった、無事だ」


 すでに周囲は火の海で、陽炎かげろうが熱気をはらんで揺れている。

 その中に、灯牙は求めていた姿を見つけた。

 アルテアだ。

 彼女は今、倒れたキュクルを火から守り、魔法を実行中だ。灯牙の目にも、温かな光がキュクルの全身を包むのが見えた。

 驚いたことに、苦悶にゆがんだキュクルの表情がやわらぐ。

 どうやら、アルテアの魔法は攻撃や防御の他にも、他者をやすことができるらしい。

 だが、そんなアルテラの白い肌に、どんどん呪いの紋様が浮かび上がる。


「……急がないとな。これ以上は危険だ」


 改めて灯牙は、ニャルラトホテプを見据みすえる。

 両腕に燃え移った火を消そうとして、彼は必死にのたうち回っていた。やがて、ようやく炎が己の肉体から消えてゆく。


「クソッ、クソクソ、クソッ! クソゲーかよっ! 炎ってよく考えりゃ、相性最悪じゃねえか!」

「そうだな。お前の力はを操る……けど、俺の炎の前では無意味だ」

「ヘヘッ、オレサマの力は大地の力! これならどうだっ!」


 あっという間に、ニャルラトホテプの両腕が再生してゆく。

 同時に、突然の自身が闘技場全体を揺るがした。観客たちは、人知を超えたバトルに魅入られているようだ。それでも、激震が襲えばパニックに転じた。

 飛び交う怒号どごうと悲鳴の中で、ニャルラトホテプがニタリと笑う。


「オレサマは這い寄る混沌こんとん……人間の混乱と狂気こそがパワーのみなもと! 行くぜ行くぜぇ!」

「これしきの揺れで! なるほど、大地そのものが能力なのか」

「派手に中身っ、ぶちまけろおおおおおおっ!」


 突如とつじょ、地が割れデタラメに隆起りゅうきする。

 そして、地割れの中から鋭くとがった岩盤が無数に飛び出てきた。天へと向かって屹立きつりつする、それは地の底で研ぎ澄まされた天然の槍だ。

 だが、灯牙は静かに宙へと己を浮かべる。

 流石さすがに焼き尽くすことはできないが、触れるだけでも危険な一撃が全てすり抜けた。

 勿論もちろん、彼は自分よりも二人の少女へと気を配る。


「アルテア!」

「だ、大丈夫です……まだ、わたしは耐えられます! この子も、わたしが守りましょう……この命に代えても」

「いや、死ぬのはなしだよ。もう少しだけ……あとちょっとだけ、俺を燃えさせてくれ!」


 もう、アルテアの右半身にはびっしりと呪いが浮かんでいる。それは不規則に明滅めいめつしながら、淡雪あわゆきのような柔肌やわはだむしばんでいるのだ。

 このままでは、アルテアもキュクルと同様に、呪いに浸蝕されて力尽きる。

 それだけは絶対に回避しなければいけなかった。

 だが、瀕死のキュクルを容赦なく死へと追いやりながら、ニャルラトホテプは苛烈かれつな攻撃を続けていた。


「オラオラ、オラァ! どんどん行くぜェ!」

「もうよせ、やめるんだ! キュクルが死んでしまうっ!」


 灯牙は、かざした手より無数の火球を放つ。

 まるでマシンガンのように、燃え盛る流星がニャルラトホテプに殺到した。だが、咄嗟とっさに相手は、ダン! と地を踏み締める。

 幾重いくえにも折り重なる巨大な石壁が、あっという間に射線に立ちはだかった。

 やはり、地獄の業火に等しい灯牙の炎でも、岩盤を破壊する力はない。

 ――今は、まだ。


「そうか、熱量が足りないんじゃない。瞬間的な爆発と衝撃の熱じゃ、駄目なんだ。!」

「ブツブツ言ってんじゃねえぇ! ……へへ、じゃあよぉ! これはっ、どうだ!」


 ニャルラトホテプの殺意が、灯牙かられた。

 彼の血走る目は、闘技場の隅へと避難しようとするアルテアに注がれている。彼女はキュクルを抱えている上に、今も邪神の呪いで全身の力を奪われていた。

 素早く灯牙は、二人を繋ぐ最短距離の直線状に自分を押し出す。

 それは、押し寄せる高波のようにギザギザの岩が迫るのと同時だった。


「すり潰されて、っちまいな! ギャハハハハッ! ゲームオーバーだぜっ!」


 背に二人の少女をかばいつつ、灯牙は精神力を集中させる。

 自分の力を、その身に溜め込んだ知識を総動員してイメージを膨らませる。今、炎は全裸の灯牙を守るよろいだ。ならば、それを武器へと変えることができるはずである。

 やがて、灯牙の右手に眩い炎が集束してゆく。

 それは、真っ赤に燃える炎の刀身となった。

 迷わず横一文字よこいちもんじに薙ぎ払えば、泡立つように迫る巨岩が形を変えた。射撃のように放った火の、一瞬のインパクトでは岩は貫けない。だから、ハンダゴテを押し当てるようにゆっくり、を叩きつける。

 炎の剣は刃をしならせ、触れる全てを力強く溶かしてゆく。

 灯牙の周囲だけ、まるで避けるようにして岩の雪崩なだれが通り過ぎていった。


「な、なんだよそれ……チートだろ! オイッ! ク、クソッ、次は……ありゃ?」

「ゲームごっこは終わりだ、ニャルラトホテプ。二国間の戦争も、召喚主の命も……お前の玩具おもちゃなんかじゃないんだ!」

「うっ、うるせぇ、バーカ! 手前てめぇだって楽しんでただろうが! ええ?」

「そうさ、楽しい……嬉しかった。夢にまで見た本当の自由を得て、それをくれた人を守りたいと思った。だから、俺は世界の敵として、今の世界をむしばむお前を焼き払う!」


 既にもう、ニャルラトホテプからは魔力が感じられなかった。

 肩越しに振り返ると、静かにアルテアが首を横に振る。

 そう、這い寄る混沌の力の源は、力尽きてしまったのだ。最後まで灯牙は、彼女にちゃんと謝罪することができなかった。世界の敵になるという、その意味と重さを教えてくれた少女は……逝ってしまった。


「クソッタレがぁ! ……か、身体が? なんだよ、おい! またかよ! 崩れるっ!?」

「安心しろ、ニャルラトホテプ。お前は自滅しない。自滅なんて、させない」

「お、おい、まさか……ゲームセットだろ、なあ? お前、勝ったんだぜ? なら」

「俺は、俺たちは……いつか世界の敵として、。だから、ここで負ける訳にはいかない。そしてお前は、俺が、俺自身の意志が倒す!」


 ヴン! と、灯牙は炎の刃を振るった。

 一瞬だけ、ニャルラトホテプがおびえた表情を見せた。

 その姿も、塵さえ残さず炎の中へと消えてゆく。

 静まり返った闘技場の客席では、収まりつつある混乱に兵士たちの姿が集まり出していた。派手に暴れ過ぎたせいか、気付けば周囲をぐるりと敵兵に囲まれている。

 だが、なにも怖くはない。

 灯牙は静かに、アルテアへと歩み寄る。


「アルテア、キュクルは」

「……ごめんなさい。救えませんでした。わたしの魔法では、痛みを和らげるくらいしか」

「謝らないでよ、むしろ……ありがとう。さあ、帰ろう。俺、やろうとしてることの意味を、ようやくちゃんとわかったからさ」


 そっと手を伸べて、アルテアが立ち上がるのを手伝う。灯牙を取り巻く炎は、体の一部であり灯牙自身。決してアルテアを焼いたりはしない。

 そうして灯牙は、よろけるアルテアを両腕で抱えあげると、周囲を見渡し叫んだ。


「我が主、魔王アルテアの言葉を伝える! ウルス共和国よ、怯えて震えるがいい! 俺はクトゥグア、邪神クトゥグア! 魔王の命により、この地を滅ぼし焼き尽くす!」


 どよめきが連鎖する中で、灯牙は地を蹴った。

 あっという間に、空の大気が身体を冷やしてくれる。

 急いでフォーマルハウト城へと飛びながら、徐々にその炎を灯牙は小さく絞ってゆくのだった。

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