第19話「炎邪再醒」

 ざわめきで周囲は、空気に重さが乗ったように尖っている。

 緊張感に身を硬くしながら、灯牙トウガは眼前の男を真っ直ぐにらんだ。長身のたくしい肉体に、派手な金色の髪。ニャルラトホテプは、けだもののような目を充血させて笑った。


「さあ、よく見な! これが……魔王アルテアちゃんの秘密だぁ!」


 酷く興奮して、高揚感に満ちた声だった。

 そして、ニャルラトホテプの手が、アルテアの右目を覆う眼帯がんたいを引き千切る。

 悲鳴が響いて、アルテアは必死で灯牙から目を背けた。

 だが、無情にも真実が暴かれた。


「アルテア、君は」

「見ないで、ください。クトゥグア様、わたしは……ッ!」


 そこには、が宝石のように輝いていた。

 赤い右目と緑の左目。

 それは、単に彼女がオッドアイ、左右の瞳の色が違うというだけではない。それ以上の意味が、この異世界アースティアには存在する。

 それは、長らく戦い続けているレヴァイス帝國ていこくとウルス共和国、その両者を分かつ身体的な特徴でもあるからだ。レヴァイスの民は緑の目を持ち、ウルスの民は赤い目を持つ。

 


「ハッ! この意味がわかっかよ、クトゥグア! アルテアちゃんはなあ……レヴァイスの将家しょうけの男が、奴隷どれいだったウルスの女に産ませたらしいぜ?」

「……それが、どうした」

「おいおい、リアクション薄いなあ! 特大のイベントだろぉが、もっと盛り上がれよ」

「それがどうしたって、言ってるんだ!」


 決然とした怒りが、心の奥底から燃え上がる。

 それは、全てを焼き尽くす炎となって今にも吹き出しそうだ。

 必死で理性を総動員して、灯牙は邪神の力を制御し、押し止める。すぐにでもニャルラトホテプを、地獄の業火ごうかで焼き尽くしたい。灰さえ残らず、焼却したくなる。

 だが、その力を振るえばアルテアはさらに苦しむことになるのだ。


「アルテア、今の話は……本当かもしれない、けど」


 アルテアは泣きながら、小さくうなずいた。

 色の違う双眸そうぼうから、等しく同じ光が濡れて伝う。

 その涙は、優しい魔王をただの乙女にしてしまったのだった。


「わたしは……この男の言う通り、いやしい女です。どちらの国にも居場所のない、生まれてはいけなかった人間なんです」

「それは違うっ!」

「……クトゥグア、様?」

「生まれたこと自体を罪に問うなんて、間違ってる。そして今……お前は自分の生き方に意味を見出みいだしてたじゃないか、アルテア。だから、俺とこれからも世界の敵をやろう」


 茶化すように、ニャルラトホテプが口笛を吹いた。

 だが、構わない。

 灯牙は邪神クトゥグアとして、魔王アルテアに召喚された。彼女の願いは、終わらぬ戦争を終わらせること。レヴァイスとウルスが手を取り合うために、両国の共通の敵、世界の敵になることだった。

 祈りのように清らかで、あまりに理想的過ぎる透き通った願望だ。

 それでも、自由を得た灯牙は、そのための希望になると誓ったのだ。

 だが、突然少女の声が国営闘技場に響き渡る。


「ニャルラトホテプ! その女を殺しなさい! そして、クトゥグアも!」


 振り返って、灯牙は目を見張った。

 そこには、初めて会う女の子が立っている。手にした長杖ロッドを支えにして、今にも崩れ落ちそうに震えていた。よく見れば、それは長杖ではなく……点滴が何個かぶら下がった医療用のスタンドだ。

 そして、驚いたのは酷く顔色が悪いからではない。

 病院の検査着みたいな、簡素な服の少女は息も絶え絶えだ。

 そして、大きく肩を上下させるその身は……全身に呪いの紋様が浮かび上がっている。

 笑えば愛らしいであろう顔にまで、びっしりと呪いがうごめいていた。


「あぁ? オレサマに命令すんのかよ、キュクル」

「そうよ……! あんたはあたしが召喚したんだもの!」

「あ、そうだっけ? そういや、今回はそうだったな」

「さあ、クトゥグアを……お父様のかたきを殺しなさい!」


 灯牙は絶句し、思わずゴクリとのどが鳴った。

 邪神の力は強過ぎて、使えばその反動を召喚主へ返してしまう。強力無比にして純粋な魔力は、使った分だけ召喚主の身体に呪いを刻みつける。それは命をむしばみ、召喚主を食い潰してしまえば邪神も消えるしかないのだ。

 だが、キュクルと呼ばれた少女の姿は異常だ。

 こんなになるまで、ニャルラトホテプは力を使い続けたというのだろうか。


「え……父親の、敵? 俺が?」

「そうよ! あたしはザベックの子キュクル! よくも……よくもあたしのお父様を!」


 以前、カルスト要塞を攻略中、強敵と戦った。

 灯牙が初めて出会った、本物の武人だった。

 薄氷はくひょうを踏むような辛勝しんしょうの中で、殺さず手加減することなどできなかったのを思い出した。そう、自分が邪神として命を殺めれば、残された者へと憎悪を刻んでしまう。

 そんな簡単なことが、今まで全然わかっていなかった。

 世界の敵を名乗っていても、人の敵になる恐ろしさに愕然がくぜんとする。


「あ、ああ……ニャルラトホテプ! あの子、お前を召喚してくれたんだろう? どうしてこんなになるまで、魔力を使い続けた! あれじゃあ、あの子は」

「ああ、死ぬんじゃねえかな。っべーよな、残機ざんき減っちまうよ。あーあ、1UPワンアップとかしねえかなあ。それによぉ、オヤジさんを殺しといてそりゃねえぜ? ギャハハ!」

「残機? 1UP? なにを言ってるんだ? それより、あの子を……俺は、謝らなきゃいけない。だから」

「ゲームなんだよ、ゲーム! 召喚主ガチャ、今回はクソ爆死だったってことだ」


 言ってる意味がわからない。

 そもそも、灯牙はゲームをやったことがないのだ。ビデオゲームやアーケードゲームは勿論もちろん、トランプやオセロだって触ったことがない。

 ゲーム、すなわ遊戯ゆうぎ

 お遊びだとニャルラトホテプはわらっているのだ。

 そのニャルラトホテプだが、いまだに嫌がるアルテアを離さない。その代わり、空いた左手を灯牙へ向けてきた。

 刹那せつな、キュクルが悲痛な叫びを張り上げる。


「さあ、やろうぜ! 真剣勝負、ガチバトルをよぉ!」

「その前にアルテアを放せっ!」

手前てめぇの勝利条件は、オレサマを倒してアルテアちゃんを助けること。さあ、気張りなぁ!」


 たけたかぶるニャルラトホテプが、手を突き出す。

 彼は、まるでなにかを呼び込むように、クン! とその手を振り上げた。

 刹那、闘技場のいたるところで木々が芽吹めぶく。あっという間に妖しい樹木が周囲を埋め尽くした。一瞬で開けた平面の大地が、薄暗い森に飲み込まれる。

 そして、鋭い殺気と共に、おぞましい声がそこかしこで動き出した。

 以前も見たが、どうやらニャルラトホテプの魔力は大地や草木を操るらしい。あっという間に、巨木が根を脚のように抜いて歩き出す。


「くっ、数が多い!」


 必死に灯牙は、剣を振るう。

 そして、またしても自分が恵まれていたことを思い知った。自分の強さは、ただおのれだけのものではなかったのだ。

 うごめく樹木を二体、三体と倒す度に、それは無言で弱さを突き付けてくる。


「この剣……あっという間に駄目になった! 切れ味が!」


 そう、ウルス共和国の兵士から奪った剣は、すでに先程キメラとの戦闘で血に濡れていた。それも、灯牙が邪神クトゥグアの胆力たんりょくでフルパワーを発揮したのである。

 もう刀身はボロボロで、その切れ味は斬撃の都度はつれて消える。

 普段は、フォーマルハウト城から持ち出した業物わざものばかりを使っていた。

 リアラも言っていたが、どの武器も伝説級の優れたものだったのである。

 灯牙はそれを、当たり前のように使っていたのだ。


「ギャハハハ! 手前ぇ、レア武器ねえと滅茶苦茶弱いじゃんかよ!」


 どこからともなく、ニャルラトホテプの声が響く。

 だが、灯牙には言葉を返す余力がない。

 倒しても倒しても、とめどなく敵意は押し寄せてきた。圧倒的な物量が、徐々に灯牙の動ける範囲を狭めてくる。そして、魔力で生み出した邪悪なクリーチャーは、どんどん増えていった。

 もう駄目かと思った、その時だった。


「クトゥグア様! 今こそ炎を……その力を! わたしは耐えます! 耐えてみせます!」

「ああ? おいこら、なに勝手に喋ってんだ? オレサマァ、キュクルを見てっから知ってんぜ。邪神の魔力のその反動、召喚主に跳ね返る痛みのヤバさをよぉ!」

「御決断を、クトゥグア様! わたしを信じて……それに、これ以上ニャルラトホテプに魔力を使わせては、先程の少女が死んでしまいます! どうか――キャッ!」

「うるせーぞ、女ぁ! NPCモブは黙ってな。魔王だかなんだか知らねえが、ここじゃ手前ぇは、奴隷以下の見世物なんだよ。ったく、俺のゲームをチョコマカかき乱してくれてよ、オラッ!」


 遠く森の奥から、こぶしが肌を打つ音が響いた。

 その瞬間、灯牙の中でなにかが弾ける。

 聴こえなくなったアルテアの声が、脳裏に反響していた。


 ――わたしを信じて。


 そう、いつだってアルテアは灯牙を信じてくれた。我が身をさらして共に戦い、自分以上の痛みをその身に引き受けてくれていた。

 彼女にむくいる、たった一つの方法……それをもう、悩んでいる猶予ゆうよはない。


「……わかった。アルテア、俺は……俺は、焼く。俺ごと炎となって、焼き尽くす!」


 必要最低限の炎を、極力セーブして使う余裕などなかった。その程度の炎では、周囲の魔物を倒すのに時間がかかってしまう。その間ずっと、アルテアを呪いがさいなみ続けるのだ。

 だから、最大火力を使って一瞬で消し飛ばす。

 灯牙は自分奥底に封じて沈めた力を、雄叫おたけびと共に解き放つのだった。

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