第18話「狂気の理想郷、ウルス」

 灯牙トウガは、見知らぬ街の中を走った。

 ウルス共和国の首都は、一言で言えば灰色の都市。なにもかもが無個性で、道行く人々も同じ格好をしている。気味が悪い程の統一感は、灯牙の心胆しんたんを寒からしめた。

 まるで、絵に描いたようなだ。


「確か、イギリスの作家が書いた『ユートピア』って小説……あれが間接的にえがいた、どこにもない場所。そう、理想的に見えて歪んでいる都市を、ディストピアって言うんだ」


 周囲の建造物は皆、灰色。

 真昼にあっても曇っているのは、空気が少し悪いからだろう。さながら19世紀の産業革命のように、沢山の煙突が黒煙を撒き散らしていた。

 道行く人々の顔にも、精気が感じられない。

 そして、灯牙とすれ違ってもなにも関心を寄せてこなかった。

 皆、決められたタスクを消化するために動くロボットのようだ。そして、ロボットそのもののアビゲイルの方が、何倍も人間らしい。

 これが、アースティアの西側を支配する超大国、ウルス共和国の正体なのだろうか。


「ん、なんだ……? 悲鳴? いや、歓声だ!」


 向かう先、大通りの向こうに巨大な建造物が見える。

 そこから、常軌をいっした声が割れ響いていた。

 そう、尋常ならざる空気の振動だ。まるで大気が沸騰したように、異様な熱気が発散されているのだ。

 灯牙はすぐに、先程知った国営闘技場こくえいとうぎじょうという言葉を思い出す。

 先程から収まらぬ嫌な予感は、確実にアルテアの危機を察知していた。

 古代ローマのコロシアムを彷彿ほうふつとさせr建物へと、灯牙は全力で跳躍する。


「これは……なんだ? 何故なぜ、こんなに……あっ! あれは!」


 国営闘技場の外縁がいえんに立てば、熱狂に酔いしれる大衆が目に入った。軽く見積もっても、五万人くらいはいるだろう。その全てが、中央の戦いに興奮して声を張り上げている。

 そう、戦いだ。

 周囲を取り巻く民へと、娯楽をささげる悲壮な戦いが行われている。

 そして、必死に華奢きゃしゃな身で逃げ回っているのは、誰であろうアルテアその人だった。

 すぐに灯牙は、石畳いしだたみを蹴って宙へと身を投げ出した。

 その影に気付いた何人かが、呆けたように目をまたたかせる。


「あぁ? なんだあ? 鳥、じゃねえ」

「お、おいっ! あの兵士、妙だぞ!」

「二等市民の脱走兵じゃないのか? ……いや、違う!」


 あっという間に、混乱が広がってゆく。

 だが、構わず灯牙は戦いの大地に舞い降りた。

 それは、巨大な獅子ししがアルテアを追い詰めるのと同時だった。よく見れば、その獅子には蝙蝠こうもりのような翼があり、首には山羊やぎの頭部が並んでいる。こちらへ真っ先に気付いたのは、そんな異形の怪物の尾だった。


「尾は、へびだ……なんだ? ああ、そうか。キメラってこれが語源の用語なんだな。それより、アルテアッ! 今、助けるっ!」


 そう、多種多様なけものが入り混じって融合した、見るもおぞましいモンスターだ。

 そのキメラは、尾の蛇に反応するように二つの頭部で振り返る。

 向こう側で長杖ロッドを構えるアルテアは、さらわれた時のままの格好をしている。普段の露出度が際どい、魔王の戦衣せんいだ。

 彼女は灯牙を見て、一瞬だけ表情を明るくした。


「クトゥグア様……嘘、どうして」

「アルテアが仲間で、魔王で、俺の召喚主だからだ! それだけじゃない、お前がアルテアだから、みんなで来たんだ!」

「みんな? もしや、リアラやトレイズたちも」

「トレイズさんはフォーマルハウト城で留守るすを守ってくれてる。さあ、帰ろう!」


 脱出時に奪ってきた剣を、腰から引き抜く。

 本気の殺意を自分なりに込めれば、輝く切っ先にキメラは警戒心を見せた。すで合成獣キメラは、灯牙を新たな敵として認めたようだ。

 そして、ヒートアップする観客のボルテージが最高潮へと昇り詰めてゆく。


「ヒョォ! 新顔が飛び入りだ!」

「血だ、血を見せてくれぇ!」

「逃げ回るのが精一杯の女より、やっぱ男、若い男だよなあ!」

「キメラーッ! 食い殺せっ! お前の勝利に労働免除権ろうどうめんじょけんを三ヶ月分賭けてるんだ!」


 ぐるりと360度全てから殺到する、狂気。

 新たな生贄いけにえの登場で、見守る市民たちは目をギラつかせている。

 やはり、この国は……ウルス共和国は、妙だ。

 おかしい、それも不快で恐ろしいと感じるのだ。


「やな雰囲気だな、まったく……さあて、さっさと片付けて逃げなきゃな!」


 もう、炎を使おうという考えは頭に浮かんでこない。

 うっかり使ってしまうこともないだろう。

 今の灯牙は、邪神として生まれ変わった屈強な肉体だけが武器だ。

 そして、それはリアラのお陰で鋭く研ぎ澄まされている。

 短期間とはいえ、一流の騎士との特訓で灯牙は一回りたくましくなっていた。精神力こそまだまだで、すぐに弱気になることもある。だが、アルテアの前では格好悪いところは見せられない。

 灯牙は彼女にとって、平和の願いと祈りをつむいで召喚した、希望なのだから。


「クトゥグア様、援護します」

「大丈夫だ。それよ!」

「それ、より?」

「なにか変なことされてないよな? 例えば、ええと……裸にされて、ほら、こう、色々と」

「わっ、わたしは大丈夫です。今まではなんとか、ここで勝ち残れました。今日はでも、危なくて、負けそうで……その時です、まさかクトゥグア様が助けてくださるなんて」


 聞けば、アルテアは連れ去られてからしばらくして、リヴァイスの剣姫けんきことソリアとは別人だと判明したらしい。そして、ソリアの姉であり魔王軍をべる者、アルテアだと知れたのだ。

 それからずっと、一等市民だけの娯楽である国営闘技場で見世物にされてきた。

 敗北が死に直結するこの舞台で、モンスターを相手にサバイバルを強いられてきたのである。


「よし、話はあとだ! なんか、あったまきたぞ……それが女の子にすることかっ!」


 キメラが三種の絶叫を張り上げ、飛びかかってきた。

 はやい、そして鋭い。

 あっという間に灯牙は、避けた瞬間に一秒前の自分を殺された。

 少しでも動くのが遅れていたら、鋭い爪が灯牙を切り裂いていただろう。

 それが分かる程度には、灯牙の目はキメラの動きについていけてる。そして、目から入る情報を元に、身体は以前より何倍も洗練された動きを見せ始めていた。


「悪いけど、やらせてもらうっ! まずは、山羊っ!」


 闘技場のすみでターンして、再びキメラが突進してくる。

 灯牙はそれを今度は避けず、逆にキメラへの突進で応えた。獲物が自分に向かってくるのを見て、キメラにわずかな異変が起こる。

 たける獅子の横では、怯えたように山羊が身を震わせていた。

 灯牙なりにキメラという動物を観察し、予想を立ててそれを実践した成果だった。キメラは、その大部分が獅子である。獅子をベースに、蝙蝠の羽と山羊の頭、そして尻尾に蛇を……

 その中で、山羊は獅子と違って草食獣……他の動物を襲うことはなく、逆に襲われる側だ。


「そりゃ、怖いよな……俺だって怖いよ。怖いから、勝つだけで精一杯だ!」


 うなりをあげて、キメラが獣の牙を繰り出してくる。

 ガチン! と顎門アギトが空気を断ち切った。

 その音を灯牙は後頭部で拾う。

 絶妙なタイミングで、横をすり抜けてすれ違う。

 その時もう、灯牙の剣は山羊の首を払い抜けていた。

 ドサリと山羊の頭部が地面に落ちて、赤い血柱が天をく。

 灯牙の意外な善戦に、国営闘技場が静まり返った。

 そして、今度は灯牙が先手を打つ番である。

 再び駆け出せば、背中は気丈にふるまう声を聴いた。


下僕しもべの星よ……我が主、邪神クトゥグアを照らせ。クトゥグア様! 星の加護を!」


 アルテアの魔法が、灯牙の肉体から疲労感を忘れさせた。恐れも怯えももう、感じない。どこまでも心身がクリアに洗練される感覚。魔法の力が、灯牙の持つ力を何倍にも増幅してくれるのだ。

 大番狂わせを前に、観客たちはどよめき狼狽ろうばいしながら叫び続けていた。

 そんな一等市民の罵声と悲鳴を浴びつつ、灯牙は落ち着いて剣を振るった。


「次は、獅子! と、蛇っ! で、終わりだっ!」


 キメラの獅子と蛇、それぞれの頭部を断ち割った。山羊を失いバランスが取れなくなった、その間隙かんげきを灯牙は見逃さない。

 あっという間に、全ての頭部を斬られてキメラが崩れ落ちた。

 力を増幅してくれる魔法の加護が消えて、灯牙は大きく安堵の溜息ためいきこぼす。


「ふう! はぁ……理屈でわかってても、怖いものは怖い。やっぱりキメラは、三つの頭部がある、。それぞれが補助し合って、一匹で三倍、それ以上の戦闘力を発揮する」


 だが、逆に一つを欠いてしまうとバランスが崩壊してしまうのだ。

 ひたいの汗をぬぐって、灯牙はアルテアへと振り返る。


「さあ、アルテア。帰ろう、みんなとフォーマルハウト城へ」


 瞬間、アルテアへと向けた笑みが凍り付く。

 疲労の極地にあってさえ、自分を魔法で助けてくれたアルテア。その彼女は今、突然現れた男の腕に拘束されていた。

 あらがう彼女の細い腰を抱き寄せているのは、あのニャルラトホテプだ。

 彼は好戦的な笑みで瞳を輝かせている。


「ちーっす、えっと……そうそう、クトゥグアだ。どうよ? ゲーム、楽しんでる?」

「なっ……ニャルラトホテプ! ゲームってなんだよ……ゲームなんかじゃないだろ! アルテアは殺されるところだったんだ!」

「そうそう、この子さあ? リヴァイスの剣姫ソニアじゃなくね? まさかまさかの魔王ちゃんでさあ……しかも、すっげえ秘密あんのよ。知ってっか? 知らねえよなあ!」


 相変わらず、ニャルラトホテプには真剣さや緊張感が感じられない。それなのに、身を刺し貫くような殺気が放たれている。

 禍々まがまがしいまでの敵意に囚えられて、アルテアは必死で逃げてと叫んでいた。

 だが、ニャルラトホテプは容赦なく……アルテアへと手をあげるのだった。

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