第16話「忘れ去られた迷宮にて」
フォーマルハウト城が浮かぶ場所は、アースティアの底面を見上げる暗き空。その下には、虚空の宇宙が広がっている。
だが、見上げれば岩盤のさらに先に、ウルス共和国の首都が待っている。
早速灯牙は、トレイズに留守を任せて出発した。
同行するのは案内役のアビゲイルとソリア、そしてリアラだ。
「こりゃ、凄いな……迷路だ」
周囲には、等間隔に灯る明かりが並んでいた。近付けば、明らかに科学的な光のように感じる。少なくとも、魔法の力によるものではなかった。
ここは、何百年も前に造られたアースティアの基部だ。
地下深くに広がり、大陸の全てを
すぐにアビゲイルが、周囲に映像を散りばめはじめた。
「アクセス開始、電源は……まだ生きてるな。経路チェック、共和国の首都座標を取得」
いわゆるロボットであるアビゲイルは、魔法ではなく科学の力で動いている。しかも、灯牙が知る二十一世紀の日本より、圧倒的に進んだ科学力でだ。
だが、今のアビゲイルの格好を見ると、なんだが落ち着かなくなる。
それは同行者も同じようで、最初に口を開いたのはソリアだった。
「ねえ、ちょっと……クトゥグア。あれ、
「いや、違う! 確かに似合っているけど、俺じゃない!」
そう、今のアビゲイルはとてもかわいらしい格好をしている。無機質な
アビゲイルは
頭にはヘッドドレスをつけ、モノクロームのエプロンドレス姿である。
「な、なあ、アビゲイルさん」
「なんだ、クトゥグア」
「その服……」
「これは、トレイズ氏が調達してくれたものだ。防御力には期待できぬが、ふむ……なかなかに悪くない」
どうやら、トレイズの趣味らしい。
動きづらくはないのかと心配になるが、アビゲイルは気にした様子もなく進み始めた。
「こっちだ、みんな。移動するぞ」
ソリアがすぐに、アビゲイルの背に続いた。
それを追って灯牙も歩き出すが、立ち尽くすリアラがぼんやりと動かない。声をかけると、はたと彼女は我に返った。
「おーい、リアラさん?」
「……はっ! あ、ああ! 違う、違うぞ!
「え? それって」
「メイド服とは、主人である
「いや、なにも言ってないんですけど」
「違うからな!」
天井の高い通路は、平坦に真っ直ぐ続く。
明らかに人工の被造物で、しかもかなりの高レベルな造りだ。
そっと手で触れると、コンクリートや木材ではない質感。そんな壁がずっと、継ぎ目なく先まで続いているのだ。天井を見上げれば、時折明滅する光の下を通り過ぎる。
一同は黙って歩を進めていたが、沈黙に絶えきれずにソリアが口を開いた。
「ちょっと、クトゥグア! ……なんか、退屈だわ」
「えっ? いや、もうここは敵地の真下だし」
「知ってるわよ。でも、それってまだまだ先でしょ? なんか話しなさいよ」
「なにか話せって言われてもな」
「……姉様、じゃない、姉とはどうなの? その、どこまで進んでるの?」
「へ?」
突然、
ソリアは既に、第一印象のよそよそしさを完全に脱ぎ捨てていた。そして、こっちが彼女の素顔なのだと灯牙は思う。
本当は、姉想いの妹なのだ。
レヴァイスの
なんだか、ソリアがずっと身近な存在になった気がする。
だが、灯牙に語れるアルテアのことなど、ほとんどなかった。
「逆にさ、ソリアさん。俺……もっとアルテアのこと、知りたいんだよな。色々教えてよ」
「えっ……な、なによ! まだ、その程度なの? だって、呼び捨てにしてるし」
「ああ、そういえば。あれ、どうしてだろ。不思議だな、自然とアルテアのことは呼び捨てで呼んでた。彼女も嫌がらなかったし」
邪神としてアースティアに転生してから、灯牙は生まれ変わった。
束縛された病弱な僕は、もういない。
そう、そんな惨めな自分から救ってくれたのが、アルテアなのだ。
だから、お前が魔王で俺が邪神。
これが俺の新たな日常だと思ったら、自然とアルテアを身近に感じていたのだった。
「……君、さ。姉のこと……どう思ってるのよ」
「ん? えっと……召喚主だろ、そいでまあ……相棒? 同志、かな」
「そんだけ?」
「だって、アルテアには恋人がいるんだよ? 大事な、大切な人がいるって言ってた」
「嘘っ! ちょっと、誰よ! 教えなさいよ、いいから早く!」
「えっ、なんだよ急に。っと、あれ? アビゲイルさん?」
突然、冷たく硬い背中にコンと当たった。
アビゲイルが立ち止まってしまったのだ。
彼女は、ゆっくり肩越しに振り返る。
「みんな、非常に申し訳ないのだが」
「はい?」
「敵だ」
「……はいいー!?」
同時に、警報がけたたましく鳴り響く。
そして、赤い光が通路の向こう、曲がり角の奥から近付いてきた。ガシャガシャと、無数の足音が
「なにか来るっ! アビゲイルさん!」
「ふむ、警備用のロボットだな。戦力的には大したことはない。ただ」
「ただ?」
「探知音は200以上、この数では突破は難しい」
「ですよね! ってか、なんで落ち着いてるんですか!」
剣を抜いたものの、まともに戦っては勝ち目がない。
ソリアやリアラも臨戦態勢だが、その顔には戸惑いが見て取れた。
そして、曲がり角の向こうから警備ロボットが現れた。
第一印象は、
「なによ、弱そうじゃない。アースティアにはもっと大きな毒蜘蛛も沢山いるわ」
「いや、ソリアさん。なんか、こぉ……嫌な予感が」
警備ロボットは、複数の細長い脚でボディを支えている。コンパクトでシンプルな作りだが、その中央部には明らかに銃口と思しきパーツが突き出ている。
だが、ソリアやリアラに驚いた様子はない。
無理もない……魔法文明の中で、中世的な生活水準を生きてきた二人だ。
この世界には、あれを見て銃や大砲を想起する下地がないのだ。
「ええと、逃げましょう! 危険です。そ、そう、飛び道具! 飛び道具を撃ってきます!」
「ふーん、弓? ボウガン?
「説明はあとですよ! アビゲイルさん、最適な逃走ルートを!」
そこから先は、全速力だった。
彼女たちの足元に、警告射撃が着弾したからだ。
煙をあげる床を見て、二人が血相を変えたのは言うまでもない。
背後からは、サイレンと共に警告メッセージが無数に迫る。
「ケイコク! ケイコク! タダチニ停止シ、武装解除シナサイ! ケイコク!」
すぐにアビゲイルが、今しがた来た道から違う方向へと進む。
入り組んだ通路は、まさしく大迷宮……しかも、びっしりと大陸全土の地下に広がっているらしい。アビゲイルがいてくれなければ、一生太陽を
たとえそれが偽りの空でも、星々が巡るように造られている。
召喚された灯牙にとっても今や、アースティアはこれから生きてゆく大地なのだ。
「こっちだ、クトゥグア。みんなも」
どこをどう走ったかは、覚えていない。
何度もはしごを駆け上ったが、ついに行き止まりへと追い詰められた。
だが、アビゲイルが光学キーボードを出して操作する。あっという間に、隠されていた扉が左右に開かれた。
灯牙にとってはお
「よし、地上への直通だ。乗ってくれ」
「え、ちょっと? なによこの箱……行き止まりじゃない」
「こんな狭い部屋になにが? っと、クトゥグア! 押すな! 男のくせに触るんじゃない!」
どうにか四人で乗り込み、扉を閉める。
モーター音が重々しく高鳴り、銃声があっという間に足元に遠ざかった。
まさしく、九死に一生を得た気持ちである。
「この部屋、動いているぞ! なんと……」
「上に向かってるわね。アビゲイル、どういうこと?」
「
危機を乗り切り、一息ついたのも束の間のことだった。
10分近く昇ってから、不意にエレベーターが止まる。
扉が開けば、差し込む光。
そして……灯牙は視界に広がる光景に絶句した。
そこには、無数の共和国兵士が振り向く姿。
あっという間に、灯牙たちは包囲されてしまうのだった。
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