第14話「世界の底へ」

 空飛ぶ要塞、フォーマルハウト城が再び高度を取る。

 城主である魔王アルテアの不在が、皆の空気をわずかに緊張させていた。淡々と仕事をするホムンクルスの兵士たちでさえ、普段より表情が硬い。

 灯牙トウガはアルテアに代わって、玉座に座って平常心を心がけていた。

 細かな仕事は全て、リアラとトレイズがやってくれる。

 そして、かたわらにはあのアビゲイルが控えていた。


「クトゥグア、これより実験用アイランドでアースティア外縁部に向かう」

「ああ、頼むよ。……実験用アイランド?」

「このフォーマルハウト城のことだ。この浮遊城はもともと、アースティアを平面世界として安定させるために、実験として造られた……いわば、小型のアースティアなのだ」


 異世界アースティアは、その名の通り地球の涙。

 何百年も昔に、とっくに地球は滅んでいる。物理的に破壊され、その破片の一部がこうして空中大陸として浮いている。フォーマルハウト城は、アースティアが完結したコロニーとして稼働する以前に造られた、各種テストを行う機材だったらしい。


「500年が経過していても、稼働率は85%を上回っている。今、ほぼ全ての機能を再起動したところだ。ん? どうした、クトゥグア」

「いや……アビゲイルさん、なんか着ませんか? その、裸っていうのはちょっと」

「自分は機械、これは外装に過ぎんのだが」


 あれから紆余曲折うよきょくせつを経て、カルスト要塞の地下遺跡からアビゲイル本人が出てきてくれた。彼女は今、実際のボディを使っているので、立体映像ではない。

 だが、メタリックな女性的ラインは、中学生男子だった灯牙には目の毒だ。

 光沢のある曲線で編み上げられたボディは、関節部などはロボットそのものである。それを差し引いても、誰が見たって裸、それも全裸なのである。


「ふむ、クトゥグアは妙なことを気にするのだな」

「俺のいた時代には、まだアビゲイルみたいなロボットがいなかったから」

「わかった、仕事に差し支えるのならば考えておこう」


 無表情のジト目で、アビゲイルがうなずく。

 そうこうしていると、リアラとトレイズも玉座の間へと戻ってきた。

 報告を受けて、いよいよだと灯牙は立ち上がる。


「よし、じゃあ……ウルス共和国へ向かう。リアラさんはフォーマルハウト城の守備を頼むよ」

「心得た」

「トレイズさん、ホムンクルスたちは大丈夫かな。今回も少数精鋭で潜入を考えてるけど」

「この城の防衛だけならば、十分な数がそろっております。皆、クトゥグア様への忠義に燃えて士気も高く、これはもう流石さすがとしか!」


 準備は万端だ。

 そして、フォーマルハウト城はこれよりウルス共和国へと国境を超える。

 だが、首都までの道中は全く戦闘が発生しないだろう。

 灯牙がアビゲイルと相談して決めた、秘密のルートがあるのだ。それは、この異世界アースティアが『宇宙に浮かぶ平面の大陸』であるからこその秘策でもある。

 周囲を見渡し、灯牙が号令をかけようとした、その時だった。


「私も必要になると思うんだけど? 君たち、ウルス共和国のことをなにも知らないでしょうし」


 不意に、玉座の間に意外な人物が顔を出した。

 アルテアの妹、ソリアだ。レヴァイスの剣姫けんきと呼ばれる、帝國ていこくの最強騎士でもある。そのソリアが、つかつかと真っ直ぐ玉座へ歩いてきた。

 身構えるリアラを、そっと灯牙は手で制する。

 そして、近付くソリアに自分もまた歩み寄った。


「ソリアさん、協力してくれるんですね? 助かりますよ」

「私は……愚かな姉を放置しておけないだけ。いっ、いい、家の恥だし! それに……姉様が死んだら、いやだもん」


 後半は小声で、うまく聞き取れなかった。

 だが、俯きもごもごと話しつつも、ソリアは大きく頷いた。

 これは大きな戦力が味方してくれたと、灯牙も安心感を増してゆく。彼女の剣技は頼りになるし、聞けばウルス共和国の内情にも少し詳しいという。


「私、何度か単身で潜入したことがあるわ」

「えっ、一人で? だって、将軍なんでしょ、帝國の」

「後でふんぞり返ってちゃ、なにも見えないの! 前にも言ったでしょう? 商人を装って、堂々と正面から出入りするの。下っ端の兵士たちには、顔なんて知られてないしね」


 それでも、一応彼女は傘を被って素顔をずっと隠していた。だから、レヴァイスの剣姫に関する情報は、きっと共和国も不鮮明だったに違いない。人相書きや身体的な特徴、年頃……そうした断片的な情報の寄せ集めが、致命的な間違いに至ったのである。

 姉妹であるアルテアとソリアは、本当によく似ていたから。


「……まあ、顔は似てるよな。確かに、顔は」

「なに? 君、ちょっと目つきがいやらしいんですけど?」

「いやあ、だってさ」


 ついつい、灯牙はソリアの胸へと視線を滑らせる。

 アルテアは細身ながらも肉付きがよく、そのたわわな実りを露出度の高い着衣で覆っていた。対して、ソリアの胸はなかなかに平坦である。

 灯牙の眼差まなざしに気付くや、ソリアは真っ赤になって剣に手をかけた。


「君ね! 不躾ぶしつけじゃない、もう……わ、私はまだ、これから成長するんだから!」

「お、俺はなにも言ってないって! ね、ねえ?」


 周囲に助けを求めたが、リアラからは抗議の意思を込めた視線を注がれてしまった。トレイズもニコニコと温かな笑顔で黙っている。アビゲイルにいたっては無反応だ。

 そんな時、不意にガクン! とフォーマルハウト城が揺れる。

 思わずよろけたソリアを、慌てて灯牙は受け止めた。


「なっ、なによ! どこ触ってるの?」

「いや、ゴメン! 胸です!」

「そういう話してるんじゃないの、放してよ……もぉ、なんで姉様はこんな邪神を」

「そ、それより、大丈夫かな。一瞬だったけど、変に揺れたみたいだ。」


 すかさずアビゲイルが、自分の周囲に光を広げる。

 それは、光学映像で構成された空中のキーボードだ。アビゲイルの指がものすごい早さで、複数のキーボードに触れてゆく。

 そして、玉座の間の頭上に立体映像が現れた。

 こえは、アルテアが居城としていた頃には停止していた機能だという。


「今、フォーマルハウト城はアースティアの外苑がいえんに到達し、一番内側のシールドに接触したのだ。現在地は、ここになる」


 そこには、宇宙に浮かぶ巨大な大陸があった。

 そう、アルテアたちにとって生まれ育った世界、その全て……アースティアが外からの視点で映っている。上部は緑にあふれ、ちらほらと大都市や村、小さな集落が点在していた。各所を流れる大小の河川が、大陸の端から滝となって流れ落ちている。

 本当にアースティアは、たった一つの大陸で構成された平面世界なのだった。

 改めてそれを視覚的に見せられると、誰もが言葉を失ってしまう。


「これが……おお! おおおおっ! これがアースティア! 世界!」

「ちょ、ちょっと、トレイズさん?」

「れんきんじゅつしとしての血が騒ぎますぞ! アビゲイル、このあともしよければ、私の工房に来ていただけませんかな? 色々と調べたい、聞きたいことがあるのです!」


 突然興奮した様子で、鼻息も荒くトレイズがアビゲイルに迫る。

 結局、灯牙はアビゲイルの服を選ぶことを条件に、彼女をトレイズに任せた。やはり学者肌なのか、トレイズは目を輝かせて自分の工房へと去ってゆく。

 一緒に去るアビゲイルは、最後に一度だけ振り向いた。


「クトゥグア。大陸の西側、確か今はウルス共和国と呼ばれている地域だが」

「ああ、さっきも話した通り……裏をかく。

「アースティアの地下には、メンテナンス用の坑道が今も残っている。その最下層に下から入れないかどうか、調べておこう」

「うん、サンキュな! 頼むよ」

「承知した」


 一通り段取りが終わり、フォーマルハウト城は徐々に高度を落としてゆく。

 このままアースティアの底へと回り込み、その下を飛ぶのだ。

 これならば、誰にも知られずに共和国の首都まで直行できる。首都の真下に到着したら、あとは上に徒歩で登るだけだ。

 だが、ソリアはまじまじと立体映像を見上げながら呟きを零す。


「……本当に姉は、共和国の首都にいるのか?」

「俺はそうにらんでるけどね。だって、ニャルラトホテプは『あの連中』って言ってた。それって多分、共和国の中枢部にいる人間、指導者的な立場の人たちだと思うんだ」

「なるほど、その中の一人が召喚主である可能性は高いな。共和国はその名の通り民主共和制だが、議会と別に元老院げんろういんなる組織が存在することでも知られている」


 ウルス共和国は、レヴァイス帝國と世界を二分する超大国である。

 だが、その実態をソリアから聞かされ、灯牙は言葉を失った。歴史の勉強で知ったどんな国家よりも、その姿は歪で恐ろしいものだったから。


「ウルス共和国には、一等市民と二等市民が存在するわ」

「……あと、不稼働市民ってのも聞いたけど」

「支配層が一等市民で、二等市民は労働者階級。そして不稼働市民は……奴隷以下の存在ね。ああ、レヴァイス帝國では奴隷は必要不可欠だけど、ちゃんと市民にもなれるのよ?」

「民主共和制だから議会政治は当然として……元老院?」


 元老院とは、受験勉強で得た灯牙の知識では、太古のローマ帝国を思い出させる単語である。執政官に対して助言したり、時には大きな権力で国の舵取りに鑑賞する集団だ。

 古くは日本にも、枢密院すうみついんと呼ばれる一団が明治時代に存在している。

 ソリアの講義は簡潔で、わかりやすいものだった。


「共和国を実質的に支配しているのは、その元老院。恐らく、姉と同様に邪神召喚の儀式を行ったんでしょうね」

「なるほど。まあ……共和国だけならいんだけど」

「そう、ね。帝國にももしかしたら、同じ考えを実行した人たちがいるのかも」


 ソリアの単独行動が、共和国には筒抜けだった。そのこともあって、灯牙には不安要素が複数存在する。

 だが、今は考えるより行動の時だと心に結ぶ。

 こうしている間も、魔王アルテアがどんなはずかしめを受けているかわからない。

 とりあえず灯牙は、首都の真下に到着するまで遊んでいるつもりもない。先日リアラに頼んだ通り、戦いに備えてやるべきことを一つ一つこなし始めるのだった。

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