第13話「真実の軛」

 灯牙トウガは激しく動揺していた。

 それでも、どうにか自制心をフル動員させる。

 魔王アルテアは、邪神ニャルラトホテプを名乗る男に連れ去られた。

 レヴァイスの剣姫けんき、妹のソリアと間違われての誘拐だった。

 それは、灯牙にとって召喚主の喪失を意味していた。


「大丈夫か? クトゥグア。少し休んだほうがいい」


 ようやく後始末の終わった要塞内で、灯牙はまんじりともせず玉座に座っていた。

 本来、この場所に腰を下ろすのはアルテアのはずだった。

 あくまで灯牙は、世界の敵となって世界そのものをまとめようとする、優しい魔王の剣にして盾になりたかったのだ。

 だが現実には、守るべきあるじを失ってしまった。


「リアラさん、トレイズさんは」

「まだ少し、雑事が残っているようだ。この要塞は大きいからな。我々の戦力では維持は難しいだろう。……そのことについても、アルテア様には考えがあったようだが」

「当の本人がいないんじゃな」

「そう、だな」


 リアラの傷は幸いにも、浅い。気丈な彼女は、すぐに仕事に復帰してくれた。だが、灯牙にはわかる……自分以上に、リアラはアルテアの喪失に気を乱していた。これぞ才媛才女さいえんさいじょという彼女が、あれからわずか数時間の間につまらないミスを連発していた。

 それでも、どうにか残ったウルス共和国の兵を全員見送った。

 その際、不確かながらも少しだけ情報を手に入れることに成功している。


「例の、邪神ニャルラトホテプだが……どうも、共和国に肩入れしているらしい」

「それは、共和国の兵たちが?」

「ああ。彼らは皆、二等市民だ。詳しいことは知らないものが多いが……噂話は以前からあったらしい」

いにしえの邪神が、共和国にいるって話か」


 改めて灯牙は、先程の戦闘を思い出す。

 あれはまるで、遊んでいるようだった。ニャルラトホテプは、まるで一時のたわむれのような感覚で、他人の命を散らす。無残に、無造作にだ。

 なにより、戦いそのものを楽しんでいる。

 それは灯牙だって同じだが、ベクトルが違うと感じた。

 ニャルラトホテプは、戦いを楽しみつつ、一方的に鏖殺おうさつすることに歓喜していた。それは、灯牙とは決定的に違う。あの男は、殺したいから戦っているように見えたのだ。

 しばし黙考に沈んでいると、イライラを隠さぬ声が響き渡る。


「ここにいたか、クトゥグア! なにをほうけている、君の主が……姉様がさらわれたのだぞ!」


 ソリアだ。

 彼女は頭のかさを脱ぐと、リアラを押しのけるようにして詰め寄ってくる。

 以前の人当たりのよさと、それを壁にした底知れなさはもう感じない。今は怒りもあらわで、緑の瞳に激しい炎が燃えているかのようだ。

 その感情的な態度が、逆に灯牙を冷静にさせてくれる。

 だが、彼女は腰の太刀たちを抜くなり、その切っ先を灯牙の鼻先に突きつけた。


「君ね、邪神クトゥグアともあろうものが……相手も邪神だったとはいえ、無様にも程がある! ……どうしてくれるのよ、なんとか言いなさいよ!」


 リヴァイスの剣姫と恐れられた、帝國ていこく最強の女将軍ソリア。その仮面は今、瓦解がかいしていた。そして、険悪に思えた姉妹仲が実は、そうでもないのではとさえ思えてくる。

 灯牙は黙って、突きつけられた刃を見詰める。

 自然と手がそれを握れば、痛みと共に真っ赤な血が滴り落ちた。

 それでも構わず、灯牙は自分から剣を喉元のどもとへと招き入れる。


「ごめん、ソリアさん。僕の……俺のミスだ。すぐに助けに行くから、協力してほしい」

「協力? この私が、魔王軍に!? 馬鹿言わないでよ、できる訳ないわ! できないもん……そんな、こと」

「……そう、だよな。ソリアさんにも立場ってものがある。本当にごめん」

「あ、謝らないでよ! えっと、そう! 謝って済む問題じゃないんだからね!」


 ソリアの剣は、小さくカタカタと揺れていた。

 ソリア自身が震えているのだ。

 それだけの怒りと、やるせなさが燃えている。それが灯牙には、手の流血以上に痛いほど伝わってきた。

 そうこうしていると、リアラが間に入ってくれる。


「そこまでにしてもらおうか、リヴァイスの剣姫。お前にも責任がある」

「私に? どうして!」

「ニャルラトホテプは、アルテア様をお前だと思って連れ去った。つまり……お前がここにいることを知っていた。身分を隠して単身乗り込んできた、お前の存在をな」

「そ、それって……」

「そうだ。


 ソリアは一瞬で表情を失った。

 太刀を手放し、よろりとよろける。

 慌てて灯牙は、白刃を握る手とは逆の手で彼女を支えた。

 そうしなければ、彼女はその場に崩れ落ちてしまいそうに見えたからだ。


「しっかしして、ソリアさん。急いで助けに向かう……ソリアさんを見てたら、俺も落ち込んでいられないしさ」

「……クトゥグア、君は」

「俺をこの世界に召喚してくれたのは、アルテアだからさ。俺は、アルテアを守るとちかった。俺たちは世界の敵だけど、その中の俺はずっとアルテアの味方だから」


 ソリアの目が、うるんでいる。

 彼女はその涙をこぼすまいと、必死にくちびるを噛んでいた。

 突然、部外者の声が響いたのはそんな時だった。


「取り込み中にすまないが、いいかな? 自分にも使命があって、今はそれを果たせる時にも等しいのだが」


 突如、玉座の間にぼんやりと人影が浮かんだ。

 先程、地下の遺跡、その入口で見たロボットの女性だ。そう、やはりロボットにしか見えない。そして、優美な曲線で構成された彼女の輪郭は、立体映像らしく時々ぶれてにじむ。

 確か彼女は、墓守はかもりと言っていた。


「そういえばまだ、名乗っていなかったな。私の名は、アビゲイル。古の時代より、遺跡を守りし者。今は邪神と呼ばれる、旧世紀の者たちの奇跡を守護する墓守だ」


 アビゲイルの立体映像は、真っ直ぐ灯牙を見詰めてくる。

 まるで、全身をくまなく精査されてるような、そんな視線だ。

 そしてそれは、当たらずも遠からずといったところだった。


「フム、クトゥグアだったか……確かに、旧人類だ。それも、日本人。ならば、君をかぎとして私は遺跡を解放することが可能だが、どうする?」

「どうする、って……え? ちょっと待って、今なんだか……あ、あれ? それって」

「鍵である君に決定権がある。少年、よく考えてみたまえ」


 なにか、灯牙の中でひらめきが走った。

 そう、まるでパズルのピースがそろい始めて、全体像がぼんやり見えたかのような発見。日頃の勉強もあって、灯牙は僅かなヒントで回答への筋道を見出すことにけていたのである。

 だから、彼は恐る恐るアビゲイルに聞いてみた。


「ひょっとして、さ……アビゲイルさん。ここ……地球?」

「かつてはそうだった、と答えるしかないな」

「なら、今は西暦何年?」

「西暦でカウントすると、2807年だ。あの星滅戦争ノーデンス・ウォーから、すでに500年以上が経過している」

「……その、星滅戦争とかってのが、邪神たちが世界を滅ぼした戦いなんだよね、多分」

「そうだ」

「じゃあ、邪神っていうのは」


 ゴクリと灯牙の喉が鳴る。

 自分は、異世界へと転生した訳ではなかったのかもしれない。

 なぜなら、

 すぐに言葉が、日本語が通じた意味もわかった。何百年も前に滅んだものの、日本の文化や言葉が残っていたからだ。ソリアたちリヴァイス帝國の武人が、日本刀を持つ和装の民族なのも納得できる。

 そして、今の時代に古の邪神として崇められているのは――!


「旧人類、古き者ども……古の支配者。そう、西

「……なんてことだ、じゃあ」

「そうだ。人間たちは星滅戦争で全て滅びたのだ。地球は物理的に破壊され、今はもうない。バラバラに砕けた地球の一部がここ……地球の落涙アースティアと呼ばれた平面大地だ」


 このアースティアは、旧人類……今でいう邪神たちが人工的に生み出した平面世界だったのだ。地球と呼ばれる惑星の欠片かけらが、文字通り涙となって滴り落ちた訳である。

 アビゲイルの衝撃的な独白は続いた。


「旧人類は母星を自らの手で失い、この宇宙を去った。だが、最後に自分たちの足跡と共に、自分たちが生み出した生命体をこのアースティアに残した。下僕しもべの星と呼ばれる無数の神装衛星しんそうえいせいで包み、完全循環型かんぜんじゅんかんがたのコロニーとしてこの世界を造ったのだ」

「じゃあ、魔法というのは」

「西暦末期の旧人類、その科学力はもはや魔法とさえ言えるものだった……その全てが、下僕の星に収められている。アクセス方法だけが今、呪文の詠唱として残っているのだ」


 絶句するしかない、壮大な物語だ。

 世界を滅ぼした邪神、それは灯牙たちの血に連なる人類だ。人間たちは大戦争をやらかして、自分たちで地球を破壊してしまったのだ。

 そして、絶望の中でアースティアを残して去った。

 だが、そのアースティアで今度は共和国と帝國が終わらぬ戦争を演じている。

 人のごう、そんな言葉が脳裏を過る。

 そして、灯牙は大きな驚きを自分の中に沈めた。


「……アビゲイルさん。あなたは旧人類、邪神の叡智えいちを管理し、守ってきた。この要塞をめぐる争いは、太古の昔のオーバーテクノロジーを奪い合う戦いだったんだ」

「そうだ」

「そして僕は、文字通り邪神……西暦時代の日本人。だから、その技術を手にする資格がある」

「そういうことになる。返答は?」


 そんなことは決まっていた。

 灯牙は、暗黒に沈んで絶望しつつあった自分を奮い立たせる。


「その技術、全て俺がもらう! もしかしたら、アルテアを助けるために役立つ力が手に入るかも知れない。そして……それは全て、共和国にも帝國にも渡してはいけないんだ」


 灯牙は決意し、覚悟を決めた。

 愚かさゆえに地球を滅ぼし、人類はどこかへと去った。その遺産を今、受け継ぐ。今度は、世界を破滅させるのではない……たった一人の少女を救うために使うのだ。

 灯牙の言葉に、アビゲイルは無機質な無表情を静かに和らげたように見えたのだった。

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