第12話「トリックスター」

 その声が悲鳴をかなでるのを、初めて聴いた。

 どこかはかなげで、切なく鼓膜をでる美声がささくれだっている。

 灯牙トウガは持ち前の瞬発力で、一気に階段を駆け上がった。

 すぐに二度目の悲鳴が聴こえて、そっちはリアラの噛み殺したような声だった。


「くっ、なにが……なにが起きてるんだ?」


 見れば、ウルス共和国の兵士たちが大勢で逃げてくる。

 その流れに逆らいながら、灯牙は必死で中庭へと駆け抜けた。

 そして視界が開けると、目を覆いたくなるような惨劇が広がっている。おびただしい血は四方の壁を染め上げ、無数の兵士がただの染みとなっていた。

 そして、中央の噴水前で振り返る人影がある。

 ひょろりと背が高くて浅黒く、肩に少女を片手でかつぎ上げていた。


「あれは……アルテア! おいっ、お前! なにをした……みんなに! アルテアに、なにをしたっ!」


 灯牙は怒りいきどおるままに叫び、わたわたと武器を抜こうとする。

 だが、突然の侵入者に取り乱し、どの武器を使っていいかわからない。迷った挙げ句、腰の太刀たちを抜いて両手で構える。

 その男は……そう、灯牙と違ってどこか野性的なボサボサ頭の青年は、ニヤリと笑った。

 髪は金髪だが、顔立ちとのアンバランスな雰囲気が奇妙だ。

 染めてるのだと気付いた時に、灯牙は声をかけられる。


「あァン? お前、黒い髪に黒い瞳……同じ日本人か? おいおい、マジかよ」


 そう、気を失ってるらしいアルテアを担いでいるのは、同じ日本の青年だった。獰猛どうもうな肉食獣を思わせる顔つきは、表情を引き締めれば精悍せいかんだろうし、美男子だろう。

 だが、粗野そや下卑げびた笑みを浮かべて、彼はどこか浮かれたように喋り出す。


「お前も邪神として召喚されたんだろう? このアースティアによぉ!」

「な、何故なぜそれを! じゃ、じゃあ、えっと……お兄さんも、召喚されてここに?」

「おうよ! オレサマは、こっちに来てからもう五年は経ってるな」

「そ、そうなん、ですか。俺の他にも、召喚された人がいたんだ」


 灯牙の言葉に、男はピクリと身を震わせる。

 次の瞬間、空気が沸騰したかのような絶叫が周囲を飲み込んだ。


「人じゃねえよ……邪神だ! オレサマはっ! 邪神っ、! 千の名を持つ無貌むぼうの邪神、這い寄る混沌こんとんとはオレサマのことだ!」


 思わず灯牙は、半歩後ずさった。

 何故だろう……どう見ても、同じ日本から来た日本人、加えて言えば同じ時代の人間に見える。よくよく観察すれば、耳にはピアスをしているし、素肌すはだそでのないジャケットを身に着けている。

 なんとなく自分と服装のチョイスが似ていて、妙な落胆を感じた。

 だが、男は名乗った……ニャルラトホテプと。

 それがどんな邪神かはわからないが、灯牙はこの世界で初めて自分と同じ境遇の人間に会ったのだった。


「えっと、ニャルラトホテプさん、ですよね。俺は灯牙……今は邪神クトゥグアです」

「あァ? クトゥグアだあ? ってか、いきなりリアルネーム暴露してんじゃねえぞ、タコォ! ネトゲだったらオメー、この瞬間にSNSでさらされて自主的に垢BANあかバンだかんな!」


 ちょっと、言ってる意味がわからない。

 ニャルラトホテプの言っていることが、灯牙には理解できなかった。

 そもそも、こっちの世界に来てからずっと、日本語で話している。それでアルテアとも通じ合えたし、リアラやトレイズとも話せている。

 異世界アースティアは、何故か言語の不都合を感じさせなった。

 だが、ニャルラトホテプの言葉には知らない単語や専門用語らしきものが入り交じる。


「リアルネーム、えっと……現実の名前! で、タコっていうのは侮蔑ぶべつ、かな。エスエヌエスってなんだ? 晒す……アカバンとは? えっと、スミマセン! わかりません!」

「あァ? テメー、めてんのか!」

「あ、それはかろうじてわかります。確か、見くびってるのか、って意味ですよね」

「お、おう。まあ、わかりゃいいんだよ。……じゃねーよ!」


 どうも話が噛み合わない。

 そうこうしていると、視界のすみで倒れていたリアラが身を起こした。

 あのリアラが、まるで抵抗した様子もなく身を震わせている。気丈きじょうで気高い女騎士を、どうやったら無力化できたのだろうか。

 それに、周囲に満ちる濃密な血のにおい。

 文字通り、今の中庭は血の海だった。


「う、うう……クトゥグア、頼む……魔王を、アルテア様を」

「リアラさん!」

「奴もまた、邪神の、ようだ……この場の兵士は、共和国の者たちは……あっという間に」


 そういえば、ここに来る前に恐慌状態きょうこうじょうたいの兵士たちとすれ違った。

 十分な物資と金を受け取り、あとは母国に帰るだけだったウルス共和国の者たちである。それが、まるで死のふちに立たされているかのように必死だった。

 今はそれが、比喩ひゆ表現ではなく現実だったと灯牙にもわかる。


「……ニャルラトホテプさん。兵士たちを……共和国の人たちを、どうしたんですか」

「ん? ああ、殺した。皆殺しだぜ! 勿論もちろん、オレサマも腰抜けの負け犬は大嫌いだからなあ!」

「それじゃあ、この惨状は」

「どうやるか知ってるか? こうすんだよ……オラァ!」


 ニャルラトホテプは、左手で肩のアルテアを保持したまま、右腕を突き出した。

 その右腕が、あっという間に鉤爪かぎづめのように膨張する。そして、次の瞬間には無数に枝分かれしながら伸び始めた。それはまるで、植物の成長を早回しで見ているような感覚だった。

 すでに人の手ではなくなった無数の触手が、それぞれに刃をとがらせリアラに殺到する。

 瞬時に灯牙は、両者の間に割り込んで全てを斬り払った。

 斬り損ねた一本がリアラに向かうので、慌てて左手で掴んで引き寄せる。


「ほう? やるねえ、クトゥグアちゃん! まあ、こんな具合でよ、なで斬りだったぜ!」

「どうして!」

「あァ? こいつら、元々が二等市民だぜ? 一兵卒いっぺいそつはみんなそうだ。負けて帰りゃ、市民権の剥奪はくだつ、イコール不稼働市民ふかどうしみん、ってことでゲームオーバーだぜ」

「だからって、どうして殺すんです!」


 思わず、怒りが力を呼び起こした。

 手に握るニャルラトホテプの触手が、ジュウ! と音を立てて煙を巻き上げる。

 だが、その音で我に返って、灯牙は自分を厳しくりっした。

 魔力を使えば、またアルテアを苦しめてしまう。

 そういえば、ニャルラトホテプはその力を躊躇ちゅうちょなく使っているように見える。彼にもまた、きずなにして呪いである繋がりを得た召喚主がいる筈だ。

 だが、ニャルラトホテプは迷わず触手を戻して手の形に再構築する。


「お前さァ、空気を読めっての……ええ? テメーも邪神になれたんだろうが、なあ!」

「く、空気を読む、とは? 空気とは吸って吐いての、大気に満ちた空気のことですよね? それを読むとはどういう意味なんだ」

「いーからさぁ、オレサマもお前もこのアースティアじゃ無敵モードじゃん? それって、最高にハッピーじゃんかよ! このイカれたゲームをもっと楽しもうぜ!」

「ゲーム? いや、確かに俺はゲームというものに憧れてたし、けどこれは」


 灯牙には訳がわからない。

 灯牙が憧れこががれていたのは、ゲームで、アニメや漫画、同年代がいつも話していた娯楽の物語だ。自分にはわからないが、このアースティアがそれに近い異世界だというのは実感している。

 だからこそ、主人公になれた自分には、憧れた分だけの責任みたいなものがある気がした。うまく言えないが、理想を演じるからにはがっかりするようなことはしたくない。

 だが、ニャルラトホテプは違うようだ。


「このゲームはよぉ……ウルス共和国とレヴァイス帝國ていこく、両方に影から裏から働きかけんだよ。両者を拮抗きっこうさせてよ、殺し合わせんだ。ハハッ! 戦争をダラダラ長引かせて、どっちがどれだけ殺せるかを楽しむのさ! どうだ、手前てめぇも一口乗らねえか?」


 信じられない一言だった。

 そして、さらなる衝撃が灯牙を襲う。


「最近、帝國のクソ女がよぉ……なんか、レヴァイスの剣姫けんきとかっていきがってんだよ。そう、こいつだ。こいつのせいで、死人が減っちまった。ゲームになんねえんだよ!」

「えっ……ま、待って、その人は!」

「オレサマは、ゲームを長引かせるためにこの女が邪魔なのさ! だからまぁ、頂いてく。この場でバラバラにしてもいいが、中身をぶちまけるなら観客は多くねえとな!」


 そう言って、ニャルラトホテプはアルテアを連れ去った。そのまま空高く跳躍し、一気にカルスト要塞の一角をなす尖塔せんとうの屋根に降り立つ。

 同時に、周囲の地面からなにかが芽吹いた。

 そう、朝日に新芽が伸びるように、急激に異形が育ち膨らむ。

 あっという間に、大地に染み渡る血を養分としておぞましい怪物が生まれた。それも無数にだ。どうやら、ニャルラトホテプの置き土産みやげらしい。


「くっ、リアラさん! ここは僕に任せて!」


 怪物たちは皆、いうなれば植物怪人とでもいうべき姿をしている。最初は文字通り、植物として地から生えてきたのだ。だが、自ら引き抜いた根を脚として立ち上がり、その枝を手に変えて襲い来る。

 この場では唯一の生存者らしきリアラを、咄嗟とっさに灯牙は守った。

 太刀を振るえば、疾風が真空の刃となって周囲を薙ぎ払う。

 だが、敵の数は多過ぎた。

 そして、頭上からはニャルラトホテプの声が遠ざかる。


「ギャハハハハ! お前もゲームに参加すんなら、共和国にな! 同じ邪神のよしみで、仲間に入れてやっからよ! じゃ、あばよ!」


 ニャルラトホテプは去った。

 


「くそっ、待てニャルラトホテプ! ええい、名前が長いっ! 待つんだ、ニャルッ!」

「おいおい、待てと言われて待つ馬鹿ァいないぜ! って、ゴルァ! ニャルってなんだ、ニャルって! とにかく、この女はもらったぜ!」


 ニャルラホトテプは去った。そして、彼によってアルテアは連れ去られた。

 悔しさに奥歯を噛みながらも、今の灯牙は植物の魔物に対処するしかない。そして、その背中はリアラの噛み殺した泣き声を聴いていた。恐らく彼女は、ニャルラホトテプがアルテアを襲ったその時、その瞬間に居合わせたのかもしれない。敵兵の埋葬手続きを終えた彼女は、守るべき魔王を力及ばず奪われたのだ。

 灯牙は燃え上がる怒りに任せて、今は剣を振るうしかできないのだった。

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