第11話「地下へと秘められたもの」

 激闘から夜が明け、灯牙トウガは朝日の中で眠気と戦っていた。

 魔王アルテア率いる軍勢は、邪神クトゥグアの力をもってカルスト要塞を陥落かんらくさせた。捕らえられていたエルフやドワーフ、ホビットたちは解放されたのである。今はトレイズとホムンクルスの兵たちによって、休息と食事を与えられている。

 そして、ぼんやりと中庭のすみに座る灯牙は、リアラに怪我の手当を受けていた。

 彼の視線の先には、せっせと働くアルテアの姿がある。


「なあ、リアラさん」

「なんだ? ……なんですか、クトゥグア様」

「いいよもう、普通に話してって。えっと、タメ口? っていうんだよな、それで頼むって」

「そ、そうだったな。ゴホン! アルテア様は慈悲深い。


 それは灯牙も同感、そして痛感である。

 魔王をやってる少女は、あまりに優しく、温かい。世界の敵と自らを名乗っていても、目の前の光景は恐るべき魔王からは程遠いものだった。

 今、アルテアは戦意を喪失そうしつしたウルス共和国の兵を処理している。

 魔王が敗軍の兵たちに課したのは、カルスト要塞の退去、母国への帰還である。


「にしたって、手土産てみやげを持たせてやらなくても……まあでも、そこがアルテアのいいとこだな」

「フッ、クトゥグアにもわかるか? アルテア様はああいう方だ。お守りせねばな」

「ああ、そうだな。なあ、リアラさん。俺に剣を教えてくれよ」

「ん? どうした、急に」


 目の前では今、一列に並んだ共和国兵がアルテアからなにかを受け取っている。それは、帰還のための路銀ろぎんと、わずかな食料である。

 アルテアに言わせれば、これも大いなる戦略の一つだという。

 皆殺しにするより、生かして返せば……母国に戻った人間は、魔王軍の恐ろしさ、とりわけ邪神クトゥグアの偉大さを語る生き証人になる。こうして、世界の敵である魔王アルテアの存在が、徐々に大きくなってゆくのだそうだ。

 生真面目きまじめな顔でそう言う彼女に、灯牙は言えなかった。

 説得力ゼロだし、魔王アルテアの悪行は世に広まらないと思う。

 命を生きながらえた上に、国に帰してもらえて、物資まで融通してもらえているのだ。並んだ兵士たちの顔を見ても、彼らが魔王をどう語るかは明らかだ。


「はぁ、しょうがないよな。ああいう魔王が俺の召喚主だからさ。だから俺、炎の魔力を使わずに守ってやりた、っ! 痛えっ!」

「男児がこれしきのことで! ほら、あとはいいだろう。私だって忙しいのだ」

「お、おう……手当、ありがとな。リアラさんは次はなにを?」

「お前が倒した男と、数名の戦死者と……とむらってやらねばならん。帝國騎士ていこくきしとして、それは当然のことだ」


 バシン! と灯牙の背を叩き、リアラは去ろうとする。

 だが、意外な言葉を聞いて思わず灯牙はその背を見詰めてしまった。

 何故なぜ、今まで気付かなかったのだろう? 確かに、肩越しに振り返ったリアラのひとみは、アルテアとはまた違った深みのある緑色だった。その輝きは、まるで深い海のあおにも似ている。


「わ、私は……レヴァイス帝國の人間だ。だった、と言うべきかな。人は生まれる国も親も選べぬ。そして、国や親は私を選んではくれなかった。それだけだ」


 リアラは行ってしまった。

 残された言葉は、灯牙の胸に深々と突き刺さる。

 そう、親は選べない。選べるのなら、この世はもっと幸せに満ちているはずだ。灯牙は今も、自分を生んでくれた両親への気持ちを整理できない。

 自分を会社の跡継ぎとして育てる……いなのに夢中だった父親。

 父親を盲信もうしんして、身体が弱いからと型に押し込めようとした母親。

 二人共、灯牙の言葉を聞いてはくれなかった。

 親を選べぬ自分に、なにも選ばせず未来を押し付けてきたのである。


「なんか、異世界も世知辛せちがらいってことか。……ん?」


 ふと気付けば、アルテアに注ぐ熱っぽい視線を感じた。

 アルテア本人が気付かなくても、灯牙にはすぐにわかる。現実世界、元いた世界では同級生たち、そして同世代の少年少女に自分はそういう目を向けていた。

 スポーツや遊び、友達同士の付き合いに和気あいあいとしてた人たちがいる。

 それらは全て、灯牙から見れば異端いたんだ。

 そして、向こうから見ても灯牙は異端である。

 そんな疼痛とうつうともななつかしさが、その人物からは感じられた。

 灯牙は立ち上がると、遠巻きにアルテアを見詰めるソリアに歩み寄った。

 彼女は既に、以前同様に傘を被って旅装に身を固めている。


「やあ、ソリアさん。さっきはありがとな。姉妹なんだし、声をかけてみれば?」

「クトゥグアか……いや、いい。今更いまさらながら、姉の愚かさに辟易へきえきしていたところだ。それはそうと、先程は見事だったな。だが、何故だ? どうして、もっと炎を使わない」

「いやぁ、アルテアに悪くて。俺は彼女を泣かせたくないんだ。優しい魔王のための、優しい邪神でいたいんだ」

「馬鹿馬鹿しい! 私とてひまではないのだ、用事を済ませて退散するとしよう」


 ソリアは、フン! と鼻を鳴らして行ってしまった。

 慌てて灯牙は追いかける。

 全身が痛んだが、あいにくと泣けてくる程じゃない。

 それよりも、姉妹が出会わずにこのまま別れるのは嫌だった。ソリアは、共和国軍にリヴァイスの剣姫けんきと恐れられた帝國の騎士だった。それはいい、むしろ関係ない。結果的にしろ、姉の戦いを妹が助けたように思えたからだ。


「ねえ、待ってくださいよ! ソリアさん!」

「しつこいな、君も。言っておくが、姉が私を、私の家を捨てたのだ。今更どの面下げて会おうというのだ?」

「それには事情があるんじゃ……あ、あれ? 地下に?」

「ついてこなくてもいい! 君たちは知るまい……このカルスト要塞の真の価値を」


 そういえばと、灯牙は思い出す。

 以前、トレイズたちが言っていた。このカルスト要塞だけが、国境にそびえる城塞の中で激しい争奪戦にさらされてきたと。ウルス共和国とレヴァイス帝國、双方は何故か無数にある侵攻ルートの中で、カルスト要塞を経由する道だけを奪い合ってきた。

 その理由が、どうやらソリアにはわかるようである。

 彼女は、勝手知ったる我が家も同然に地下へと階段を降りる。


「地下になにかあるのか? なあ、ソリアさん」

「うるさいな、もう! ま、いい……この要塞は、


 初耳だ。

 そして、なんと心のときめくワードだろう。

 灯牙には、いわゆる中学生がドキドキワクワクするようなものは、なにもわからない。知らないし、接する機会がなかったのだ。それでも、なんとなくわかる。

 同級生たちは、ゲームや小説の話をしていた。

 勇者だ、異世界だ、転生だ……そして、遺跡というワードも何度も聞いた。

 遺跡には宝物があったり、恐ろしい竜が住み着いたりしているのだ。

 流石さすがは異世界アースティアだと、灯牙はますますソリアを追いかける。

 彼女は嫌そうな顔をしたが、姉のアルテアに比べて随分と感情表現は豊かだ。そして、力で灯牙を追い払おうとはしなかった。前だけを見て階段を降りながら喋り続ける。


「……むしろ逆ね。遺跡があったから、それを隠蔽いんぺいするためにカルスト要塞が建てられた」

「へー、それってつまり?」

「どちらの国が建設したか、それは記録には残ってないわ。何百年も昔だし、戦争の理由すら私たちには記憶がない。でも、双方でこの遺跡を奪い合い、取られぬようにこの要塞を改築し続けた」

「それで、西洋と日本のお城がゴチャ混ぜになったような見た目なんだ」

「セイヨウ? ニホン? なにを訳のわからぬ……いや、ニホンか? 日本と言ったか」

「あ、それは俺の母国ね。って、ありゃ? なんだ、ここは」


 不意に、目の前の空間が開けた。

 等間隔に蝋燭ろうそくの火が揺れる下り階段が、突然途切れたのだ。そこは、何故かぼんやりと明るい。壁自体が光ってて、まるで蛍光灯の光のようだ。

 そして、目の前に巨大なとびらが現れる。

 現代の日本から来た灯牙でも、はっきりとわかった。

 このファンタジーな異世界アースティアとは、全く違う文化圏を思わせる扉だ。これが噂に聞くビデオゲームの世界なら、ここだけバグって違うゲームが混じりこんだようである。

 そのバグたる世界観は――


「ちょっとしたSFじゃない? これ」

「ん、なんだ……エスエフとは? まあいい、これが遺跡の入り口だ。そして」

「そして?」

「……そんなものを、奪い合ってたの? え、誰も入ったことないの? この先に?」

「うっ、うるさい! そんなこと言われたって、私だって知らないもん!」


 甲高く叫んでから、慌ててソリアは口をつぐんだ。

 なんか、一瞬彼女自身の素顔がのぞいたように見えた。

 だが、彼女はどうにか体裁を繕って帝國の女将軍を演じ直す。


「まあ、見るがいい。この遺跡の秘密を今こそ……ほら、出てきて! 門番! 私はリヴァイス帝國のソリア! リヴァイスの剣姫、ソリアだ!」


 彼女の声が、不思議な光を呼んだ。

 突然、黒光りする合金製のドアの前に光が集った。

 それは徐々に輝きを増して、人の姿になる。

 どこからともなく照射される無数の光は、立体的な人の姿をかたどった。

 それは女性的なフォルムで、響く声がそうだと教えてくれる。


怒鳴どならなくても聴こえている。リヴァイスの剣姫、ソリア……久しぶりだな。それと、自分は門番ではない。墓守はかもりだ」


 なんと、目の前に不思議な女性が現れた。着衣はなく裸だが、扇情的せんじょうてきな魅惑を全く感じない。それは、全身が鈍色にびいろに光る金属質だからだ。顔の表情も乏しく、光沢のある肌も異質な雰囲気を伝えてくる。

 そして、恐らくはこれは立体映像だ。

 灯牙の中では、女の子の姿をしたロボットとしか表現できない。

 残念ながら、彼の中にアンドロイドとかサイボーグという語彙ごいはなかったのである。

 平坦なジト目のロボットは、光ファイバーのような七色の髪で、両耳がエルフのように長く尖っている。そしてよく見れば、それはどうやらアンテナのようだ。

 彼女は灯牙を見て「ほう」と小さく驚いた。


「驚いたな、人間ではないか。そう、君は地球人だな? どうしてこんなところに」

「えっ? そ、それって」

「まあ、話せば長くなる。だが、君は、君こそがかぎだ。いいだろう、ソリア……君が長らく望んできたようにしよう。今回ばかりは、私も扉を開けざるを得ない、が」


 不意にメタリックな女性が目をそらした。

 天井をにらんで、ジト目をさらにじっとりとさせて眉根まゆねを寄せる。


「なにやら上が騒がしいが、いいのか? この声は……例の実験用アイランドを掘り出した少女の声だが。ふむ、揉め事だな」


 同時に、かすかに悲鳴が響いて、灯牙はその瞬間に走り出した。

 背でソリアの声を聞いていたが、その言葉の意味まではわからない。

 ただ、悲鳴がアルテアの声だったとわかって、身体は勝手に全力疾走で階段を駆け上がっているのだった。

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