第10話「魔王の覚悟、邪神の決意」

 灯牙トウガが思い出した、それは恐怖。

 無敵の邪神として生まれ変わった自分が、音を立てて崩れつつあった。

 やはり、肉体の強さだけでは勝てない。

 邪神クトゥグアとしての魔力、炎を使えないだけじゃない。自分が以前のままの、心の弱い人間だと気付いてしまったのだ。

 それと、もう一つ。


「くっ、俺は……僕は。勿論もちろん、気持ちの弱さもあるかもしれない。けど」


 なんとか灯牙は、突き立てた大剣にすがるようにして立ち上がった。

 月を背に、巨大なよろいのオバケが近付いてくる。

 肩にトントンと遊ばせたおのが、まるで木の棒かなにかのように軽そうだ。だが、それは当たれば確実に、灯牙をただの肉塊にくかいに変えてしまうだろう。

 そして、灯牙には敵との埋めようがない差が存在していた。


。同じ力でも、それを表現する心身の鍛え方が違うんだ。今までは……雑魚ザコばかりで、ごまかせてた。けど、これじゃあ」


 灯牙はまだ、見た目も中身も以前のままである。

 酷く痩せて華奢きゃしゃで、長い黒髪も手伝ってか少女然としているのだ。

 例えば、リーチ……攻撃の射程も全然違う。灯牙の巨大な剣は、相手の斧よりも長い。故に、それを振るう灯牙の技が大振り過ぎるのだ。

 強過ぎる邪神の筋力を、器である灯牙が使いこなせていない。

 それでも、振るえながら剣を構えて敵を睨んだ。


「ほう? まだ立てるようだなあ? どうした、自慢の炎で俺様を焼いてみろ! このウルス共和国自由軍、ザベックをな!」

「炎は、使わないっ! 俺の炎がなにかを焼く時、泣いてる女の子がいるんだ……それだけは、絶対に駄目だ!」

「なにを訳のわからないことをっ!」


 巨漢の武人、ザベック。

 彼はその図体ずうたいに似合わず機敏だった。

 灯牙はその動きを目で追えても、回避の動きが大雑把おおざっぱにならざるを得ない。

 反応できるのも全て、転生した時に得た力の賜物だ。

 だが、肝心の体捌たいさばき、肉体の使い方を灯牙は知らなすぎる。無理もないと思う……スポーツなんてやったことがないし、身体を動かすことは禁じられてきた。

 父の跡を継ぐ人間には、怪我することさえ許されないのだ。

 防戦一方の灯牙を見て、周囲の雑兵ぞうひょうたちもざわめき出す。


「おいおい、なんだありゃあ? あんなのにエルフ狩りの連中は負けたのか?」

「こっちはレヴァイスの剣姫けんきとやらを潰せば終わりだ! 囲めっ!」

「よく見りゃ、かわいい顔してんじゃんかよ……へへへ」


 ソリアの方も大変そうだが、情けないことに灯牙には守ってやる余裕はない。

 目の前の敵は、今までで最強の驚異だ。そして、今のままでは勝負にならない。数で押すだけの兵士たちよりも、本能で動くだけのサイクロプスよりも手強いのだ。

 専門の訓練を受けたザベックは、戦うための軍人なのだ。

 なんとか誤魔化すように、灯牙は相手の斬撃を払い流す。

 どんどん武器が重く感じられて、この肉体が疲労することが理解できてしまった。

 だが、そんな彼の目が不思議な光景を捉える。


「ん……あ、あれは!?」

「どこを見ている、小僧ぉ!」


 大きく飛び退いて、強烈な一撃から離れる。

 今まで灯牙が立っていた場所が、クレーターのように崩壊してしまった。そして、舞い上がる土煙の中からザベックが睨んでくる。完全武装のフルプレートメイルで、ヘルムの奥からは血走るような赤い瞳が燃えていた。

 だが、やはり灯牙には見えた。

 夜空の月に浮かぶ、巨大なシルエットが。


「やっぱり、! どうしてこっちに……ま、まさか!」


 そう、巨大な浮遊城が月を飲み込む。

 どんどん大きく見えてくるのは、急降下で接近しているからだ。

 すぐにその偉容が星空を覆う。

 カルスト要塞はすっぽりと、巨大な空飛ぶ城の影に包まれた。

 そして、りんと響く声が全ての人間を静止させる。


「そこまでです。邪神クトゥグア様の威光を恐れぬ、愚かな人間たちよ……今すぐいて、く疾く急いて去りなさい! その命が惜しいのなら!」


 巨大な城ごと浮いている、そんなフォーマルハウト城の先端に人影があった。マントをなびかせる、可憐な少女だ。そして、この距離でも闇に明滅する呪いの紋様もんようがはっきりと見えた。

 灯牙は、その紫色の妖しい輝きに思わず目を奪われる。

 魔王アルテアは、居並ぶ全ての人間を見下ろし、静かに地を蹴った。


下僕しもべの星よ、風を持て……風にて我を包み守らん」


 重力に引き寄せられるアルテアが、ふわりと宙に浮いた。そのままゆっくりと、彼女はカルスト要塞の広い中庭へと舞い降りる。

 着地して少しよろけたが、彼女はしっかりと立っていた。

 そして、手に持つ長杖ロッドをこの城の主に向ける。

 ザベックはゆっくりと振り向き、その姿にニヤリと笑った。顔が見えなくとも、いやらしく弾んだ声が、灯牙にそれを教えてくれた。


「おやおやぁ? これはこれは……噂の魔王アルテア。我がウルス共和国に弓引く、大罪人。貴様には、共和国断罪法廷より57の罪状によって逮捕命令が出ている」

「私は魔王、人の法になど従いません。人を縛りしいたげる法をこそ、この私が打ち砕くのです」

「ガッハッハ! 小娘が! 抜かしおる!」


 灯牙は、アルテアの強さを知っている。

 そして、弱さをも知ったのだ。

 強力な術を使う、大魔法使い。その力は、特筆すべきものがある。だが、この場では危険だ。まだ異世界アースティアに来てまもない灯牙にも、すぐわかる。

 ザベックは、物理的な力で戦う戦士だ。

 それに対し、アルテアは太古の邪神が残した魔法で戦う。

 アルテアは灯牙と違って、邪神の力を借りるのだ。それは、天を無数に飛ぶ下僕の星を経由する必要がある。そのために、長い呪文が必要になるのだ。


「アルテア! 逃げて! ここは……ここはっ、俺が!」


 灯牙は叫んだ。

 発した声を追って、突進する。

 だが、そんな彼を待たずに、男はアルテアに迫る。その脚力は、重い鎧が嘘のように躍動していた。あっという間に、筋肉の壁がアルテアを覆った。

 アルテアは、逃げない。

 動こうとしない。

 魔法の詠唱すら、していないかった。

 ただ、真っ直ぐ灯牙を見て静かに言の葉をつむぐ。


「クトゥグア様。この命を御身おんみささげます……その上で、どうか躊躇ためらいませぬよう!」

「そ、それは」

「私は魔王で、貴方様あなたさまは邪神です! 私の愛しい、大切な……大事な邪神。貴方様の炎は、戦乱の世を平らげ清める! ならば、私は共に燃えていきたいと思うのです!」


 アルテアが珍しく、声を張り上げていた。

 それは、一人の少女の祈りと願い、その全てを背負った魔王の言葉だった。

 瞬間、灯牙は即座に右手を突き出す。

 同時に、今正に凶刃を振り下ろそうとしていた大男が震えて縛られた。


「ぐっ、こ、これは? ほ、炎が、俺様を」


 灯牙は、炎を解き放った。

 だが、ただ激情に任せて発したのではない。

 自分の中から、最低限の力を抽出して集中させたのだ。それでも、邪神クトゥグアの炎は敵を包んで、その巨体を中心にうずを巻いている。

 アルテアは苦悶の表情を浮かべて、長杖を地に突き立てた。

 彼女の白い肌にまた一つ、紫色の禍々まがまがしい紋様が浮かんでくる。


「お前の相手は俺だ……アルテア、下がってて!」

「はい! 信じます、我が邪神」

「使わないって決めたのに! 俺の弱さが、炎に頼る! これじゃ、同じじゃないか」


 そう、同じだ。

 本質的に、同質の存在だと灯牙は思ったのだ。

 眼前のザベックのように、戦争を繰り返す中で民を泣かせ、世界を荒廃させている人間がいる。そんな二つの超大国を一つにするため、共通の敵になるべくアルテアはった。

 しかし、彼女が頼ってくれた灯牙もまた、アルテアを泣かせながら戦っているのだ。

 この場で涙をこぼさない、泣くことを自分に許さぬままアルテアは耐えている。

 その痛みを刻んでいるのは、炎の力を使わざるをえなかった弱い自分なのだ。


「ぐっ、小僧……やはり、貴様!」

「武器を捨てろ、今ならまだ助かる。このまま消し炭に……いや、そうはしないが、命までは奪いたくない」

「貴様ぁ! そんなことをすれば、この俺様が二等市民に降格……それで済むならまだいい! 不稼働市民ふかどうしみんとして献身労働ボランティアに追いやられる! それだけは、させんぞ!」


 業火に焼かれる中で、ゆっくりとザベックが振り返る。

 武器を構えたその覚悟に、灯牙もまた大剣を両腕で引き絞る。

 そして、炎をく。

 これ以上はアルテアが心配だ。

 それに、結局邪神の力で倒した、そんな結末だけはゴメンである。

 アルテアの助けがあった、彼女の覚悟を改めて知った……その上でなお、灯牙は炎を使いたくないのだ。あの少女の全身を、醜悪な呪いがむしばむ姿を見たくない。

 民と世界を守って戦う魔王が彼女なら、それを守る邪神になりたいと思った。


「真っ向勝負だ、こいっ! 最後は俺が、俺の剣が、お前を倒すっ!」


 けだもののような絶叫を張り上げ、真っ赤に焼けた鎧の男が突進してくる。

 旋風つむじを巻くような二連撃を、灯牙は大剣でガードした。

 そして、そのまま剣を手放すや……脚に縛ったさやから、小さなナイフを抜く。それを逆手に握って、跳躍。そのまま、大男の頭上を襲った。


「鎧の隙間っ! 見えた!」


 全身を装甲で覆った、その僅かな隙間に小さな刃を捩じ込んだ。丁度、かぶとと鎧の継ぎ目の部分だ。確かな手応えがあって、肉をえぐる感触が伝わってくる。

 正当な訓練を積んで、武を修めた人間に対して……今はこれが精一杯だ。

 力はあるが、その使い方を学ぶ必要があると灯牙は感じた。

 そのまま、絶命した男から転げ落ちれば、すぐにアルテアが駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか、クトゥグア様!」

「あ、ああ……俺はいい、それよりアルテアは」

「大事ありません。この身はにえ、灯牙様が浄戒じょうかいほむらを振るうための燃料とお思いください」

「それ、やだな。やなんだよ……あ! そうだ、アルテア。君の妹さんが……あれ?」


 すでに周囲で、兵たちは蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出していた。

 そして、そこにはソリアの姿が見えなくなっていたのだった。

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