第9話「初めての強敵」

 古い地下水路は、それ自体が入り組んだ大迷宮ダンジョンだ。

 だが、ソリアは迷わずまっすぐ出口へと向かう。やけにカルスト要塞の内部、それも秘密の地下水路に詳しい。そのことを灯牙トウガがやんわり聞いてみても、微笑みではぐらかされるだけだった。

 そして、小一時間程歩いていると、不意に目の前にはしごが現れる。

 上へとランプをかざして、ソリアは出口を確認してから振り返った。


「この上が、要塞内部……それも、かなり中心部に近い場所への出口です」

「お、そっか。ありがとう、ソリアさん。じゃあ、あとは俺一人でいい」

「いえ、そういう訳にも行きませんよ。一応、最後のあたりまで御一緒ごいっしょします」

「最後のあたり、って言われてもなあ」

「クトゥグア様は、この要塞の今の指揮官を御存知ないでしょう?」

「ア、ハイ……案内、よろしくお願いします」


 成り行きで同行することになったソリアを、危険にさらすわけにもいかない。

 だが、広い城内で迷ってる時間も惜しいし、一気に頭を……指揮系統の頂点に君臨する軍人を倒したい。それが一番、被害の少ない攻略法に思われた。

 勿論もちろん、ソリアを守ることも最優先にする。

 前後を入れ替え、先に灯牙がはしごを昇る。

 頭上の小さな扉を開け放つと、光が差し込んできた。


「よっしゃ、到着! ……って、なんでこんなところが出入り口に!?」


 篝火かがりび四隅よすみに並んだ、そこは城の中庭のようだ。

 そして灯牙は、その中心にある噴水の上に立っている。足元には、精巧に作られた巨大な龍の彫像が水を吐き出していた。

 当然だが、少ないながらも警備の兵がいる。

 突然噴水から現れた灯牙に振り返り、誰もが目を丸くして驚いていた。


「なっ……ど、どこから入ってきた! 侵入者だ!」

「兵を呼べ! 敵襲!」

「魔法で飛んできたか? いや、違う……下僕しもべの星を呼ばずに、これは」

「な、なあ! 例のエルフ狩りの生き残り、妙なことを言ってたよな!」

「つまり……あの話は、邪神が降臨したってのは」


 続々と兵士たちが集まってくる。

 ちょっと、びびっている灯牙がいた。

 だが、下をのぞけばはしごの上で、ソリアはすずしい顔をしている。その緑色の双眸そうぼうに見詰められると、不思議と奇妙な自信が込み上げてきた。

 そう、今の灯牙は邪神クトゥグアだ。

 かつて世界を震撼しんかんさせた、滅びの災厄そのものなのだ。

 ソリアと同じ面影おもかげを持つ少女が、灯牙に新しい生き方をくれたのである。


「おし! よーく聞け、お前ら! 俺はクトゥグア、邪神クトゥグアだ! 死にたくないやつは引っ込め……逃げる者は追わない!」


 武器を携えた多くの兵士が、めいめいに顔を見合わせざわめきを広げてゆく。

 灯牙はヒョイと彫刻から飛び降りると、小さな池をざぶざぶと歩いて兵士たちへ近付いた。腰からなたのような大型ナイフを取り出し、その鈍色にびいろに光る切っ先を向ける。

 誰もが身を震わせ、灯牙が進む分だけ後ずさった。

 内心、いいぞいいぞと灯牙は冷や汗を拭う。

 なにせ、今は炎の力を使うことはできない。

 運良くハッタリが通じているが、これ幸いと灯牙は声を張り上げる。


「さあ、お前たちの指揮官は何処どこだ! 狙うは大将首、ただ一つ! 魔王アルテアが召喚せし、この邪神クトゥグアは首がお望みだ!」


 本当は、捕らえられたエルフたちの解放が目的だ。

 この城のあるじだって、逃げ出すならそれを見送るだけに留めるつもりでいる。

 だが、これくらい言わなければハッタリがきかない。虚勢を張ってみせなければ、すぐに兵士たちは正気を取り戻すだろう。今は皆が恐れを抱き、中にはガクガク震えて崩れ落ちる者もいる。

 好都合だ。

 恐れおののいてくれれば、わざわざ殺さずにすむから。

 しかし、灯牙の思うようにはいかないのが現実で、それは異世界アースティアでも同じだった。突如として、地響きにも似た叫びが太く響く。


「あれが侵入者、邪神をかたるガキか! ええい、貴様らぁ! それでもウルス共和国の軍人か! が欲しくば、命を捨てる覚悟で戦えぃ!」


 全身を覆う金属の鎧が、ガシャガシャと歩いてくる。

 まるで巨人だ……ゆうに2mはある巨漢が、動く山脈のような偉容で近付いてくる。灯牙は背もあまり高い方ではないので、文字通り見上げる形になった。

 目の前で立ち止まった大男は、声を荒げて周囲を鼓舞こぶし始めた。

 恐らく、この人物が要塞の最高指揮官だ。


「あんたがこの城の頭か? 俺はクトゥグア、この城の全てをもらいに来た」

「ハッ! いにしえの邪神を名乗れば、我らが怖気おじけづくと思ったか? 雑兵ぞうひょうの二等市民なら、そうだろうなあ! だが、俺様のような一等市民、真の共和国市民に脅しは通じぬ!」

「は? なんだそりゃ」


 聞き慣れない言葉に、思わず灯牙は片眉かたまゆを跳ね上げる。

 市民は市民じゃないのかと思ったし、階級制度のある共和制の国というのも奇妙だ。だが、古代ギリシャなんかは市民と奴隷が別々に存在していたし、ローマでも市民権の有無で立場が大きく異なる。

 そういう知識は頭の中に無理やりそそがれて、今もたっぷりと詰まっていた。

 そうこうしていると、背後からソリアの声がはしごを昇ってきた。


「ウルス共和国は一等市民……つまり、純粋にウルス生まれのウルス人と、占領地や植民地で加わった二等市民が存在するんです。あかい瞳を持つ民族こそが、真のウルス人ですね」


 ソリアは剣を抜きつつ、竜の彫像の上から全てを睥睨へいげいしていた。

 彼女の言う通り、眼前の大男はかぶとの奥に真っ赤な瞳を血走らせている。

 そして、その野太い声はソリアを見て再度響き渡った。


「ぬぅ! き、貴様は! ――ソリア! レヴァイスの剣姫けんき、ソリア将軍!」


 思わず灯牙は「へ?」と、間抜けな声をあげてしまった。

 振り向くと、周囲へ睨みをきかせるソリアはなにも言わない。そのことが、如実にょじつに彼女の正体を語っていた。

 商家の人間というのは、嘘だったのだ。

 なにか事情があるかと思ったが、ソリアはレヴァイス帝國ていこくの人間、それも貴族か軍人だったのである。

 だが、彼女はなにも言わずに灯牙の背に背を合わせて小さくささやく。


「話はあとでにしましょう。そのデカブツが城主ですが、やれそうですか? 無理なら私がお相手しますが」

「いや、それはいいんだけど……大丈夫なんだけど。ソリア、君は」

「ふしだらな姉がなにをやってるかと思えば、魔王ごっこなどと。少しは妹の立場も考えてほしいものですね」


 今はもう、ソリアはみなぎる覇気を隠そうともしない。

 その実力がすぐに肌でわかるのは、灯牙にも同じくらいの力があるからだろう。鍛えた技が全くなくとも、灯牙の全身に宿った力は圧倒的だから。


「よし、じゃあ俺がこいつを倒す。やっつけるからさ。ソリアさんは周りを頼むよ」

「わかりました。邪魔にならない程度に片付けておきましょう」


 互いに頷きを交わして、灯牙とソリアはそれぞれ逆方向に走り出した。

 ソリアが帝國の人間で、レヴァイスの剣姫と呼ばれる存在だった。それは今知ったばかりだが、彼女への一定の信頼は変わらない。ソリアにはソリアの目的があるだろうが、少なくとも灯牙は目的達成のためのメリットある手段で、障害にはなっていないと感じた。

 だから、灯牙は大型のナイフをしまって、代わりに背の大剣を引き抜く。


「さあ、この邪神クトゥグアを恐れぬなら……かかってこい!」


 鉄兜の奥で、灯牙を見下ろしニヤリと大男が笑う。

 正直、死ぬほど恐ろしい。

 なにせ、飛び抜けた身体能力を持っている今でも、灯牙には戦いの技術や知識が決定的に欠けているから。まして相手は、このカルスト要塞を任される正当な軍人である。

 だが、灯牙は最大限の演技力を自分に励起れいきさせる。

 上ずる声を落ち着け、ゆっくりと剣を引きずり歩き出した。


「こないなら、こっちから行ってやる! 覚悟はいいか、人間っ!」


 徐々に歩調を強めて、気迫の声と共に駆け出す。

 十歩たらずの距離を一瞬で埋めて、横薙よこなぎに剣を振り抜いた。

 瞬間、ダキィン! と金属が悲鳴を上げる。手にしびれが走って、思わず灯牙は顔をしかめた。

 いつの間にか、目の前の巨漢は両手に雌雄一対しゆういっついの巨大なおのを握っていた。

 交差させた二振りの斧が、挟み込むように灯牙の一撃を受け止めている。


「ほう、なかなかのスピード、そしてパワー! だがっ、その貧弱な体格ではそれが精一杯! そして見よ……これが本当のっ! スピードとパワーだ!」


 一瞬で、目の前から男が消えた。

 まるで最初からいなかったかのように、消滅してしまったのだ。

 周囲の兵を蹴散らすソリアから、とがった声が突き刺さる。


「なにをしているのです、クトゥグア! 後!」


 音が耳から入って、頭の中で言葉に変わる。

 その意味を理解した瞬間、灯牙は振り向き剣を構えていた。

 刹那せつな、激しい衝撃と共に吹き飛ばされる。

 多くの雑兵たちをすり抜けるようにして、灯牙は中庭を囲む石の壁に激突した。

 剣で咄嗟とっさに身を守らなかったら、端微塵ぱみじんになってたかもしれない。


「ぐっ、があっ! う、嘘、だろ……いや、ちょっと待て。なにかが、おかしい」


 ズルズルとその場に崩れ落ちて、立つことができない。

 呼吸も鼓動も、全てが痛みに支配されて遠ざかりつつあった。

 意識を失うまいと、歯を食いしばって全身を叱咤しったする。

 しかし、激痛の中で身体の感覚が薄れていった。


「どうした、小僧ぉ! ククク……これがウルス共和国、一等市民の力だ」


 ガシャガシャと具足を鳴らしながら、大男はこちらへ向かってくる。先程灯牙のハッタリで怯えていた兵士たちも、次々と正気を取り戻していった。

 奮戦するソリアが駆け寄ってくれようとするが、それが数の暴力に阻まれる。

 なんとか剣を支えに、振るえながら灯牙は立ち上がった。

 そして、知る……肉体は見た目こそ以前のままだが、驚異的な身体能力と耐久性を持っている。しかし、灯牙が感じる痛み、そして全身を動かす灯牙自身は昔のままだと。

 簡単には死ねない最強の身体は、受ける痛みだけはそのままだということを。

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