第8話「魔王の意外な一面?」

 日が落ちて、闇。

 月を囲む星明ほしあかかりだけが頼りだが、カルスト要塞はまるで不夜城ふやじょうだ。各所に松明たいまつが灯り、見張りの兵たちもひっきりなしに巡回している。

 エルフの村で戦力を削っても、これでは地の利が大き過ぎる。

 夜陰やいんに乗じて城壁に近付いた灯牙トウガは、厳重な警備にゴクリと喉を鳴らした。

 だが、先程助けてくれた少女は、まるで勝手知ったる我が家のように歩く。


此方こちらです、クトゥグア様。ここを抜ければ、城内に水を引く地下水路がありますので」

「あ、ああ」


 それは不思議な少女だった。

 頭に笠を被って、顔を見せてはくれない。旅装のマント姿も、どこか和風なよそおいだ。腰には、綺麗な装飾のさやが印象的な太刀たち……日本刀をはいている。彼女は自らを、レヴァイス帝國ていこくの旅人だと語った。

 戦争が続く中で、旅のために弓や剣術を習ったという。

 そんな少女との、先程のやり取りを思い出す。






 九死に一生を得た灯牙は、剣を収めると恩人に駆け寄った。

 少女もまた、つがえた矢をしまって弓のつるを外す。

 だが、目深く被ったかさを外そうとはしない。

 気になることではなかったし、灯牙は真っ先に彼女の手を取り礼を述べた。


「助かった! ありがとう、本当に危ないところだったんだ」

「いえ、お気になさらずに。間に合って本当によかった」

「俺は灯牙、皆からは邪神クトゥグアって呼ばれてる。君は?」

「私はソリアと申します。……クトゥグア? あの、太古に世を滅ぼした」

「事情があってさ、邪神として召喚されたんだ」

「なんと、やはりあのうわさは本当でしたか」


 ソリアは顔こそ見せてくれないが、自分がレヴァイス帝國の商家しょうけに務める人間だと素性を明かしてくれた。長い戦争状態にあるが、ウルス共和国との間には交易もわずかながらあるという。

 少し驚いた様子だったが、彼女は握手する手をしっかりと握り返してくれた。


「魔王アルテアの決起は、私たちの耳にも入っております。今は驚異きょういとなる勢力ではないでしょうが、貴方様あなたさまが……クトゥグア様が降臨されたならば、話は変わってきますね」

「いや、それが……まあ、ちょっと事情があってさ」


 完全に警戒心をいた灯牙のマントが、背後から恐る恐るといった感じで引っ張られた。振り返れば、不安そうにトレイズがこちらを見詰めている。

 彼はそっと灯牙の耳に口を寄せて、わざとソリアにも聴こえるように言葉を選ぶ。


「クトゥグア様、危険です。この者は帝國の人間、あまり軽々しく接しては」

「でも、助けてくれたんだ。俺に害意があるなら、サイクロプスに始末させればよかったと思うけどな。でも、サンキュだよ? トレイズさん、心配してくれるんだ」

「恐れ多いお言葉……流石さすがはクトゥグア様です。これ以上は申しませぬが」

「わかってるよ、大丈夫。で、ソリアさんだっけ? ええと」


 ソリアはどうやら、素顔をさらすことは躊躇ためらわれるようだ。

 なにか事情があるのだろう。


「顔を明かさぬ無礼をお許しください。で、クトゥグア様はもしや」

「あ、うん。あそこのカルスト要塞をちょっとやっつけようと思って。中にとらわれたエルフの女性たちを助けたい。聞けば、ドワーフやホビットも多く強制労働させられてるって」


 素直に全てを話したら、ソリアは笑った。

 悪気がないのが伝わって、無邪気にさえ思える笑みだった。

 だが、彼女はあわててかしこまった口調を取りつくろう。


「失礼、あまりにも簡単におっしゃるので、つい。しかし、クトゥグア様の力をもってすれば、確かに夢ではありませんね。御身おんみ一人でも、城の一つや二つは灰になりましょう」

「まあ、そうなんだろうけど……今回は炎の魔力は使いたくないんだ」

「それはまた、無謀なことを。何故なぜです? 確か、太古の邪神が現界するには、召喚主との呪いの契約が必要でしたね。魔王アルテアへの魔力逆流、なにを恐れる必要がありましょう」


 周囲で一斉に、ホムンクルスの兵士たちが武器を構えた。一気に雰囲気がささくれだって、夕闇迫る場の空気が凍りつく。

 なんだか、以前よりぐっと兵士たちからの好感度を感じる。

 意図いとしたものではなかったが、一兵卒を命がけで助けた灯牙の行動力が、皆にそうさせているのかもしれない。それは嬉しいし、先程の言動にいつわりはない。

 それに、灯牙はソリアの言い様にさして不快感を感じなかった。

 邪神たちは太古の昔、世界を滅ぼした。

 書いて字のごとく、邪悪な神々だったのだろう。

 その化身けしんが、一人の少女を案じて手加減してるのは、滑稽こっけいに見えるのかもしれない。


「恐れ、か……確かに俺は怖いのかも知れない。せっかくこうして異世界に、アースティアに生まれ変わったんだしさ。なるべく、ハッピーエンドを目指したいんだ」

「ハッピーエンド……幸福な結末ということでしょうか。それは?」

。そして、アースティアを平和にするんだ」


 今度は笑われなかった。

 むしろ、あきれられたのかもしれない。

 だが、ソリアはしばし沈黙したあとでこう切り出した。


途方とほうもない話ですが、貴方様の言葉には嘘がないように思えます。どうでしょう、もしよければ……私にも協力させていただけないでしょうか」

「と、いうと」

「いささかカルスト要塞にはくわしゅう御座ございます。それに、私ども商人にとっても、あの要塞を占拠せんきょする共和国軍には困っているのです。利害の一致、というやつですね」


 傘の奥で、ソリアが微笑ほほえむ気配が伝わった。

 利害の一致、これにまさる信用関係はそうそうない。共闘することでWin-Winウィン・ウィンとなる、早い話が共犯者だ。時として金銭や実利は、誠実さや主義思想をも凌駕りょうがする力なのである。

 そして、ソリアはすぐに具体案を提示してきた。


「もうすぐ日が落ちます。夜陰に乗じて接近し、地下を流れる水道を伝って城内に入れば……最小限の戦闘で、あの要塞を無力化できると思いますが」

「ふむ! 実際、半分とまではいかないだろうけど、共和国の兵隊さんを随分倒したからな。残る手勢を片付ければいいし、なにも皆殺しにする必要はないんだ」

「頭を叩く、ということでよろしいでしょうか?」

「そうそう、それ。大将格を潰して、あとは城から追い出す。逆らう奴は……少し強引に出ていってもらう。いちいち倒してもいられないけど、対処するしかないな」

「クトゥグア様の手勢は、せいぜい多くて50人程でしょうか? それがよろしいかと」

「あ、俺が一人で行くよ。ソリアさんも、道案内だけでいい」


 これには流石に、ソリアも驚いたようだ。

 こうして灯牙は、ソリアだけをともない要塞へ接近したのである。

 前代未聞ぜんだいみもん、邪神の力を封印したままの、単身での攻城戦が始まった。






 虫の音が歌う中を、闇から闇へと影の中。

 隠密行動おんみつこうどうに気をつけても、背の武器がガチャガチャと小さく鳴る。

 そして、灯牙の前に大きな川が見えてきた。

 静かな流れの上を、無数に光る虫が飛び交っている。

 ソリアはそこで振り向いた。


「あそこです、クトゥグア様。あそこから水を取り入れてるんです。有事の際の要人の脱出経路でもあり、行き来するための通路が備え付けてあります」

「なるほど。行ってみよう」


 ひざまで水に浸かりながら、城壁の方へと歩く。

 すぐに、鉄格子てつごうしで塞がれた巨大な穴が姿を現した。

 水の流れは、その奥へと続いている。

 灯牙は両手で格子状の鉄棒を握って、力を込める。あっという間にぐにゃりと曲がって、人が一人通れるくらいの隙間ができた。


「よし、ここから入ろう。じゃ、ソリアさんは……え、ソリアさん?」

「私も御一緒ごいっしょしましょう」

「いや、危ないから」

「弓よりは剣の方が得意ですよ? なにかとお役に立てるかと。城内の構造にも明るう御座いますれば」


 そう言ってソリアは、とうとう傘を脱いだ。

 あらわになった素顔が、月明かりの中で静かに微笑む。

 思わず灯牙は、驚いてしまった。


「あ、あれ……アルテア!? じゃ、ないな。えっ、ソリアさんって」

「ええ、よく魔王アルテアに瓜二うりふたつだと言われます。姉などいないと思っていますが……まあ、

「へえ、そっか。アルテアの妹さんか」

「あくまで血が繋がってるだけですよ」


 ソリアの双眸そうぼうが、穏やかな緑色に光る。そのひとみには、強い意志が宿っているかのようだ。そして、どうやら姉妹の仲はあまり良くはないらしい。

 ただ、姉妹だけあって顔はそっくりだし、目元が特に似ていた。


「では、行きましょう。この先は地下迷宮も同じ、迷えば二度と外には出られません」

「あ、ああ。でも、どうして? 君はこんなにも、カルスト要塞に詳しいなんて」

じゃの道はへび、私どもにとっても情報は商品で御座います。それに、あきないで出入りしたこともありますので」


 それだけ言うと、ソリアは地下水路の中へと歩き出す。

 その背を追いかけ、闇の中へと灯牙は自分を押し出した。

 アルテアとソリア、二人の姉妹仲が気になったが、立ち入ったことを聞くのはなんだが気が引ける。複雑な事情があるのだろうし、ソリアにとって『姉が魔王をやっている』というのは、あまり嬉しくないのかもしれない。

 でも、やっぱり気になる。

 気付けば灯牙は、アルテアのことを聞きたい気持ちと戦っていた。

 例えばそう、恋人はどんな人間なのか、とか。


「明かりをつけます。離れずについてきてくださいね」


 ソリアは荷物からランプを取り出し、わずかに差し込む光の中で火を灯す。ぼんやりと周囲に明かりが広がり、古びた石造りの地下水路が奥へと続くのが見えた。

 灯牙は今は戦いに集中すべきだと思い、両のほおを叩く。

 そうして、邪念をどうにか胸の奥に沈めて、ソリアと共に地下水路の中を進み出すのだった。

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