第7話「挑め!カルスト要塞」

 西のウルス共和国と、東のレヴァイス帝國ていこく

 巨大な二つの超大国が接する国境に、強固な城塞じょうさいが存在する。

 その名は、カルスト要塞。

 そびえる城壁を遠くに見やって、灯牙トウガは風にマントを遊ばせていた。フォーマルハウト城を降りて、昼は歩き通しだったが、疲労を全く感じない。見た目はひょろひょろなせっぽちのままだが、強靭きょうじんな体力が今はありがたい。

 そして、かたむきかけた日の下で、腕組み考え事をしていた。


「そっかあ、大切な人……アルテアには恋人がいるのかあ」


 要塞攻略とは、全く関係ないことを灯牙は考えていた。

 自分を主人公として召喚してくれたヒロインは、すでに心に決めた人がいる。灯牙の憧れだった初恋は、始まる前に終るようである。

 恋、それは灯牙にとって未知のものだ。

 そして、あのままの日常にいたら、未来永劫みらいえいごう縁のないものだったに違いない。


「ま、いっか。それでも俺は、アルテアの願いを叶える邪神でなきゃな」


 それが物語における主人公だと、自分の心の中に結ぶ。

 今、全てのしがらみから解放された灯牙は、自由だ。そして、この世界の未来を左右する力を持っている。

 彼だけの物語はもう、始まっているのだ。


「さて、どうやってあの要塞を落とすか」


 フムとうなって、腕組み思案してみる。

 両陣営が競うようにして増築しただけあって、その外観は奇妙なものだ。いわゆる、和洋折衷わようせっちゅう……瓦屋根かわらやねと石垣の築城技術にも見えるし、石とレンガを積み上げた西洋の築城技術のところもある。

 酷くカオスな城だが、その偉容は本物だ。

 そして、背後のトレイズがカルスト要塞の最大の謎を教えてくれる。


「クトゥグア様、あの城には奇妙な謎があるのです」

「ん? ああ、見た目もかなりおかしいけど」

「実は、両国の国境は暫定的ざんていてきなもので、同時に最前線なのですが……国境の備えとして設けられた城塞の中で、あのカルスト要塞をめぐる戦いだけが異常に多発しているのです」


 聞けば、ここ数百年で国境付近が戦場になった戦い……その半数以上が、カルスト要塞を奪い合う攻防だったという。

 今は、何年か前に共和国側が奪取し、守りを固めている。

 さらなる増築のため、周囲のドワーフやホビットが強制的に集められたらしい。


「うーん、なるほど。極めて重要な要衝だってことは、これはわかる。でも、越境えっきょうして攻めるなら、わざわざあんないかついお城があるここを通らなくてもいい筈だな」

左様さようでございます、クトゥグア様! 流石さすが、流石としか!」

「……逆に、戦争の勝敗と別に、あの城自体になにかかしらの付加価値がある、のかな」


 だが、それは今の灯牙にはどうでもいいことだ。

 難攻不落なんこうふらくの城だろうと、中にいるエルフの女たちを絶対に助け出す。

 そうエルフの民と約束したし、それは自分を召喚してくれたアルテアの願いなのだ。


「トレイズさんは、ここに残ってくれ。ベースキャンプにして、護衛にホムンクルスたちを全員置いてくからさ」

「ぜ、全員……御意ぎょい

「俺は一人で城攻めだ。さて、どうしたもんかな。少しは頭を使って攻めないとね」


 もう、邪神クトゥグアの炎は使えない。

 使いたくない。

 これ以上、アルテアを苦しめたくないからだ。

 自らを魔王と名乗っていても、アルテアはごく普通の女の子のように思える。同世代の女子と話したことなどないから、想像上の美少女そのものに見えているのだ。

 はかなく、可憐で、優しく勇気があって……そして、弱さを必死で隠している。守りたくなるのは当然のことなのだと、灯牙は自分の意思に理由付けをしていた。

 悲鳴が響いたのは、そんな時だった。


「むっ、今のは! あっ、クトゥグア様!」

「兵たちの声だな! トレイズさんはあとからゆっくり来て!」


 ガシャガシャと背の武器たちを騒がせながら、灯牙は地を蹴り風になる。

 連れてきた兵は50人で、その全てを今は周囲の調査に向かわせていた。ここはまだ城からは距離があるし、森へと入れば向こうからは見えない。

 だが、一時とはいえ拠点とするからには、安全を確かめたかったのだ。

 そして、その慎重さが裏目に出た……はからずも、兵士の悲鳴が教えてくれた。この場所には、危険がひそんでいたのだ。

 一気に森を突き抜けると、視界が開けて惨劇が広がる。


「おいっ、大丈夫か!」

「あ、ああ……クトゥグア様……」


 そこには、巨大な人影が灯牙を見下ろしていた。

 身の丈はゆうに、10m以上はある。その巨体は手に棍棒こんぼうを持っており、頭部には鬼のような角と一つのひとみ。そう、一つ目の巨人が手に兵士を握っている。

 耳まで裂けた真っ赤な口からは、獰猛どうもう雄叫おたけびが響き渡った。


「ええと、なんだっけな、こういうの……一つ目の、オーガみたいなの。確か、サイクロプス? だよな?」


 悲しいかな、中学生男子という年代を考えれば、少しはファンタジーな世界に詳しくてもいいはずなのだ。だが、残念ながら灯牙にはその全てが欠けていたし、得る機会すら奪われ続けてきた。

 サイクロプスという名前が記憶にあったのは、たまたまだ。

 英語の過去問題集で、ホメロスのオデュッセイアにちなんだ出題があったのだろう。

 ともあれ、兵士を助けるべく灯牙は背の大剣を下ろした。


「みんな、下がって! こいつは強い……俺じゃなきゃ、無理だ!」


 叫ぶと同時に、巨大な刃が鞘走さやばしる。

 軽々と片手で構えつつ、灯牙はもう片方の左手を突き出した。

 そして、慌てて広げた手の平を握って引っ込める。

 咄嗟とっさに今、炎を呼び出そうとしてしまった。

 その力はまた、アルテアの身におぞましい呪いを刻んでしまう。


「クッ、普通に肉弾戦で戦うしかないか!」


 両手で剣を握り直して、わずかに身を屈めたその時だった。

 今まさに飛び出さんとする灯牙を、息の切れたトレイズが引き止めた。


「おっ、お待ち下さい! 兵は皆、ホムンクルスです! 代用の効く、量産可能な戦力なのです! クトゥグア様が自ら危険を犯してまで、救う必要はございません!」

「いや、そういう理屈はいいって。俺、さ……嫌なんだよ。そうやって決めつけられちゃさ、兵隊さんも気持ちよくついてきてくれないでしょ」

「さ、流石……しかし、クトゥグア様」

「って、危ないっ!」


 瞬時に灯牙は、大剣を盾にした。

 それは、棍棒の一撃が降ってくるのと同時。

 激しい衝撃音と共に、ミシリと全身がきしむ。

 足元が陥没かんぼつして、両膝りょうひざが負荷に振るえながら踏ん張ってくれた。

 サイクロプスは、その巨体にそぐわぬ痛打を放ってきたのだ。


「トレイズさん、下がってて! みんなも! お、おおっ、グッ! やべえ……俺、すげえタフじゃん。なら……それだけでっ、十分にやれる!」


 あっしてくる重さを、そのまま横へと受け流す。

 同時に、土柱つちばしらを巻き上げる棍棒をすり抜け、跳躍ちょうやくした。

 あっという間に、周囲の風景が眼下へ遠ざかる。軽くジャンプしただけでも、灯牙の今の脚力は主を空へといざなった。そのまま、大上段に剣を振り上げる。

 重力が灯牙を捕まえた瞬間、落下のスピードに全ての力を重ねて束ねた。


「おりゃあああっ! 一刀両断いっとうりょうだんっ!」


 縦に一閃、さながら断頭台ギロチンのように刃が叩きつけられた。

 灯牙のイメージでは、脳天から真っ二つにする筈だったが……相手も動くし、けようともする。サイクロプスは肩口にめり込んだ大剣に、悲鳴を張り上げた。

 かなりの致命打を叩き込んだつもりだったが、まだサイクロプスは暴れていた。

 咄嗟に灯牙は剣を手放し、それを足場に再ジャンプ。今度は抜き放った太刀たちとナイフの二刀流で、兵士を掴むたくましい腕へと斬りかかる。


「よしっ、手放してくれたか!」

「ク、クトゥグア様……何故なぜ、私なんかを」

えがきくとか量産できるとか、生みの親に決めらてるだけで終わらせるかよ! お前は俺と、俺たちと一緒にこれから戦うんだからな!」

「あ、ああ……ありがとう、ございます」


 兵士は地面へと落下したが、そのまま立ち上がって逃げ出した。

 灯牙も、ずるりとサイクロプスの手首を切り落とした反動で、再度宙へと浮かび上がる。

 だが、目の前には巨大な眼球が充血していた。

 怒りもあらわなサイクロプスが、血飛沫を上げながら棍棒を振り上げる。


「げっ、まだ動けるのかよ! まずい、今は足場が!」


 回避も移動も不可能な、空中に灯牙は身をさらしていた。

 さしもの邪神クトゥグアでも、両足を大地から離しては走れないし、飛ぶこともかなわない。無防備な一瞬に、最悪の形で一撃がねじ込まれようとしていた。

 それでも、灯牙は最後まで炎の力を呼ばずに抗う。

 もし邪神の力が使えるなら、あふれ出る炎を推力にして飛ぶことだってできるのに、だ。

 そして、幸運はそんな彼へと救いを届ける。


「そこの人、頭を下げてください!」


 少女の声と同時に、灯牙は首を引っ込めた。

 後頭部をかすめるようにして、なにかが飛来し、サイクロプスの一つ目に突き刺さる。それは、弓から放たれた矢だった。

 おぞましい絶叫が上がるなか、着地するや灯牙はナイフを捨てて太刀を両手で引き絞る。

 同時に、トレイズの声が叫ばれた。


「クトゥグア様! サイクロプスの弱点は、目! その唯一の瞳こそが急所です!」


 博識な宮廷錬金術師の言葉が、サイクロプスの苦悶を裏付けてくれた。

 どこからともなく飛来した矢の、その一撃に巨大なバケモノが身悶えている。

 ならばと、着地と同時に灯牙は全身の筋肉をバネに変えた。

 一瞬で凝縮された最大の力が、小柄な身を飛翔させる。

 跳躍した灯牙は、迷わず瞳に刺さる矢を断ち割った。怯ませた一矢を上書きするように、矢ごとサイクロプスの巨大な一つ目を真っ二つにする。

 流石の鬼神も、絶叫を張り上げその場に崩れ落ちた。


「ふう、助かった。誰かな? 今、矢を射てくれた人! 助かりました! トレイズさんも、ありがとう。そっか……結構弱点って、露骨なんだな。目立つもんな、一つ目」


 灯牙の声に返事をしたのは、兵士たちではなかった。

 女の子の声だった。

 そして周囲を見渡せば……沈む夕日を背に、旅装りょそうの人影がこちらへ近付くのが見えてくるのだった。

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