第6話「魔王の素顔」

 いよいよ、国境沿いの城を攻めることが決まった。

 もともとアルテアの計画にもあったのだが、灯牙トウガがその予定を大きくじ曲げてしまった。その責任も感じているからこそと、彼は意気込みを感じずにはいられない。

 そんな灯牙は、自分のせいで倒れてしまったアルテアを見舞いに来ていた。


「魔王って城主だろうに……なんか、寂しい場所に住んでるんだな」


 空を周遊する巨大な浮遊城、フォーマルハウト城。その城壁に囲まれた内側には、今まさに小さな街が生まれようとしていた。

 すでに工事はあらかた終了し、今はエルフたちが入居の手続きを行っている。

 中央には荘厳そうごんな城が神殿のごと屹立きつりつし……その隅に小さな尖塔せんとうが一つ。

 アルテアの住まいは、空の中にポツンと孤立して見えた。

 螺旋階段らせんかいだんを登り切り、扉をノックする。


「アルテア? 俺だ、灯牙……クトゥグアだ。……ありゃ? おーい」


 返事は、ない。

 リシアの話では、薬で痛みを和らげつつ仕事を続けていると言っていた。

 だが、再度扉を叩いても返事はない。

 そっと扉を開くと、朝日が差し込む窓にカーテンが揺れている。

 そして、驚く程に簡素な部屋に、思わず灯牙は驚きの声をこぼした。


「うわ、なんもない部屋。魔王、なんだよなあ? えっと……お邪魔、します」


 同世代の少女の部屋に、無断で入るのはマナー違反だ。それくらいの社会通念は灯牙も持ち合わせていたが、出発の時間が迫っている。

 旅立つ前に、絶対にアルテアに謝っておきたかった。

 異世界へと招かれた興奮と感動で、灯牙は彼女の全てを台無しにしてしまった。

 そればかりか、さずかった邪神の力を無駄に使い、召喚主であるアルテアに魔力の反動を注いでしまったのだ。それは今、呪いのあざとなって彼女の肌を蝕んでいる。


「アルテア? 寝てる、のか?」


 部屋に調度品は殆どない。

 執務用の机と椅子、小さな鏡台とクローゼット、そしてベッド。それだけだ。とても女の子が暮らす部屋には見えない。

 そして、窓際のベッドに一人の少女が身を横たえている。

 天蓋てんがい付きのお姫様が眠るようなベッドではない……まるで病室か牢屋のベッドだ。

 静かに胸を上下させるアルテアに、灯牙はそっと歩み寄る。


「……あれ、眼帯がんたい……ああ、傷があるとかじゃないんだ」


 アルテアの素顔を覗き込めば、不思議と鼓動が跳ね上がる。

 その綺麗な顔には今、眼帯などでは隠しきれない痣が広がっていた。邪神クトゥグアとして灯牙が暴れたせいで、膨大な魔力が彼女に逆流することになった、その代償だ。召喚主であるアルテアは、灯牙と魔術的に繋がっている。

 差し込む朝日を浴びて、白い肌に無数の紋様もんようが不気味に輝いていた。

 まるで、淡雪あわゆきむしば毒蟲どくむしのようにうごめいている。

 それでもアルテアは、小さく「ん……」と唸ると寝返りを一つ。


「って、裸じゃないか! ま、まあ、これでおあいこ、だよな」


 背を向けたアルテアの、はだけた毛布をそっとかけなおしてやる。

 しかし、それでどうやら彼女は目を覚ましてしまったようだ。

 肩越しに振り返る、その左目が翡翠ひすいのように光をうるませていた。


「ぁ……クトゥグア、様? どうして、ここに」

「あ、いや……これから、ちょっとでかけてくる。それで、その」

「でしたら、おともを! 少しお待ち下さい、今すぐ着替えて」

「わ、わーっ! 裸! 裸だから! 布団ふとんから出てこないで!」


 慌てて身を起こしたアルテアの、眩しい裸体が朝日を遮る。

 思わず飛び退きながらも、灯牙は柔らかな起伏のラインを網膜に焼き付けてしまった。初めて見る女性の裸に、動悸が激しく高鳴る。

 アルテアは自分の姿に気付いて、慌てて毛布の中へと引っ込んだ。

 灰色の髪がゆるゆると流れて、彼女の顔の右半分を隠す。

 その奥から、不気味に明滅する痣が浮かび上がっていた。


「も、申し訳……ありま、せん。しかし、クトゥグア様」

「大丈夫だよ、アルテア。それより、その、ごめんな。その痣」

「痣? ああ、きずなの紋様のことでしょうか」

「絆だって? ……俺が、勝手に突っ走ったから、その魔力が」


 キョトンとするアルテアの前で、灯牙は頭を下げた。


「そんな……顔を上げてください、クトゥグア様」

「本当に、ごめん!」

「いいんです。これが、邪神を召喚した者の運命さだめ。それに……この痛みと苦しみもまた、わたしがクトゥグア様と分かち合うもの。誰もが呪いというこの痣は、旧世紀の時代には絆の紋様と呼ばれていました」


 かつて、邪神たちの生きた時代があった。

 だが、それは過去となったのである。

 異世界アースティアは一度滅び、邪神は忘却された歴史の中へと消え去ってしまった。僅かに残った文献や記録を調べ上げ、アルテアは灯牙を召喚してくれたのだという。


「でも、痛いだろ? 凄く苦しいものだって、リアラさんが」

「わたしは世界を再び一つにするため、その敵となるとちかった身。これしきのことは」

「……ちょっと、その……触ってみても、いいか?」

「えっ? は、はい」


 そっと、アルテアのほおに手で触れる。

 しっとりとした肌の潤いと同時に、熱く焼けただれるような熱があった。そこだけ、肥沃ひよくな大地が裂かれてマグマが吹き出ているようである。

 顔の半分、そして右肩から胸にかけて、紫色の不気味な光が広がっていた。

 だが、アルテアは灯牙の手に手を重ねてくる。

 彼女の目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「わ、わわっ! その、えっと」

「クトゥグア様、温かい……お優しいのですね。わたしごときに」

「如きだなんてさ、そんなのないよ。アルテアのお陰で俺、生まれ変わったんだから」


 異性に触れるなんて初めてだったし、その涙を見て動揺してしまう。

 罪悪感よりも熱いなにかが、思考の全てを凍らせていった。

 不思議な違和感の正体に今、灯牙は名前を見つけることができない。

 こんな奇妙な感情は、どんなテキストにも載っていなかったから。


「アルテア、エルフたちは助けておいた。で、これから女性たちも助けてくる」

「まさか、御身おんみだけでカルスト要塞へ?」

「あ、そういう名前なんだ。一応、トレイズさんたちと一緒に行くけど」


 国境沿いの要衝、その名はカルスト要塞。

 堅牢堅固けんろうけんごな軍事拠点は、常にウルス共和国とレヴァイス帝國ていこくとで争奪を繰り返してきた。既にもう、どちらが建築した城塞かも忘れられ、双方が取り返す度に増築してきたという。

 ぐすぐすと泣きながら、アルテアはそう説明してくれた。

 魔王としての威厳も、凛とした大魔法使いの流麗さも、今はない。

 そこには、誰も見たことがないであろう素顔のアルテアがいた。


「お供できない御無礼ごぶれい、お許しください」

「許すもなにも、俺のせいだからさ。ゆっくり休んでよ。すぐ戻ってくるからさ」

「……あっ、ありがとう、ございます。わたし、わたし……」

「ああ、泣かないで! ね? その、泣かれると……胸の奥が苦しいよ。なんだろう、これ」


 アルテアの頬から、手が離せない。

 そして、直視もできない。

 思わず目をらせば、初めて会った時は別人のアルテアが小さな声を零す。


「わたしは、魔王失格です……この世界を、大切な人を……守り、たいのに」

「大切な、人? それって」

「命に代えても、守りたい人。そのためなら、わたしはクトゥグア様にこの身をささげます。どうか、これからもお力添ちからぞえを」

「あ、ああ。任せろ! そっか、大切な人かあ」


 ピンとこない。

 だが、こういう時は恋人や伴侶はんりょのことを言うのだろう。

 あいにくと、そういう関係性を灯牙は見たことがない。自分で持ったことも、感じたこともないのだ。両親は夫婦をやっていたが、互いの役割に終止していたし、そのために合理的なことしかしていなかった印象だ。

 しかし、不思議と灯牙は落胆している自分に気付いた。

 美しき魔王には、大切な人がいる。

 それが当たり前で、自分がそうじゃないことが悲しいのだと、その時は己に言い聞かせた。そうとしか説明できなかったし、今までの自分は普通ではなさすぎた。


「わたしは、頑張るって……最後まで、戦うって、決めたのに。これしきの痛みで……覚悟、していたのに。わたしは、弱いです」

「そんなことない! 凄い魔法だって使えるし、なにより俺がいるじゃないか。その、絆のナントカで繋がってるんだろ? 俺の強さは、お前の強さだよ、アルテア」


 驚いたようにアルテアは一瞬固まり、それからコクンと小さくうなずいた。そして、そっと灯牙の手を頬から放す。それでも彼女の白い手は、灯牙の手を握り続けていた。


「では、クトゥグア様。どうか、御武運ごぶうんを……お気をつけて」

「ああ、任せろ! アルテアは休んでて」

「はい、お言葉に甘えます。……それと、クトゥグア様。小指を」

「小指?」


 言われるままに、灯牙は手の小指を立てて差し出す。

 アルテアもまた、同じように小指を出して絡めてきた。


「太古の昔、こうして邪神たちは互いの誓いを約束しあったそうです」

「指切りげんまん、ね」


 灯牙は約束した。

 必ず生きて帰ると。

 そして、アルテアが世界の敵である限り……ずっと、彼女の味方でありつづけると。

 こうして灯牙は、邪神としての力を封印したまま、新たな戦いへと赴くのだった。

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