第5話「邪神復活」

 突然のことで、灯牙トウガは動揺していた。

 暗雲をまとって飛ぶ浮遊要塞、フォーマルハウト城に戻ってきても震えが収まらない。巨大な城塞のあるじ、魔王アルテアが倒れたのだ。

 それも、自分のせいで。

 そして、その訳をリアラが話してくれる。

 一夜明けて今、二人は玉座の間で向き合っていた。


「クトゥグア様、先にお話しておくべきでした……実は、アルテア様は」

「俺の……僕の、せいだ。僕のせいでアルテアは」

「クトゥグア様?」

「あ、ああ、リアラ。なんでもないんだ……大丈夫だ、話してくれ」


 リアラは小さく溜息ためいきをついてから、話し出す。

 邪神クトゥグアとして、灯牙はこの異世界アースティアに召喚された。召喚したのは、自ら魔王として世界に敵対し、世界の全てを反魔王で一つにまとめようとする少女……アルテア。

 だが、邪神の召喚にはリスクが伴うという。


「召喚主であるアルテア様は、クトゥグア様と強力な魔力で結びついています。クトゥグア様が使う力は、その反動をアルテア様に注いでしまうのです」

「……さっき、肌に紋様もんようみたいなものが浮き出てた」

「邪神の呪いです。それを覚悟で、アルテア様は貴方あなたの力を求めたのです」


 つまり、灯牙が邪神クトゥグアとして炎の魔力を振るえば、その分だけアルテアは痛みと苦しみを引き受けることになる。

 アルテアの命そのものが、灯牙の強大な力のリソースだったのだ。

 そのことを知って、愕然がくぜんとする。

 同時に、一人の少女の決意と覚悟を知った。

 アルテアは我が身に変えてでも、このアースティアを救う気でいるのだ。


「わかった。サンキュな、リアラさん」

「い、いえ……それで、クトゥグア様」

「アルテアの具合はどう? かなり苦しそうだった」

「今は薬で眠っています。……邪神の呪い、それは地獄の業苦ごうくにも等しいと聞いています」

「ということは、俺は軽々けいけいに力に頼ってはいけない訳だ」


 リアラが一瞬、きょとんと目を丸くした。

 だが、灯牙は小さな拳で自分の手の平を叩く。


「今後はもう少し、考えて戦う。とりあえず、炎の力は封印だ。それで」

「え……い、いいんですか!? 貴方は炎の化身、邪神クトゥグアですよ!?」

「ん、まあね。主人公がヒロインを犠牲に暴れても、格好がつかないだろ?」

「ちょっと、よくわかりませんが」

「あとでアルテアを見舞うよ。でも、今はエルフたちだ。彼らを救うことから始めたい」


 先程の戦いで、大まかな事情はわかった。

 エルフたち亜人あじんは、ウルス共和国とレヴァイス帝國ていこくの両方から迫害されている。特に、見目麗みめうるわしい女性のエルフは、双方に愛玩用あいがんよう奴隷どれいとして連れ去られているのだ。

 それで、エルフの村には男と子供しかいなかった。

 そして、人間たちは何度でも村を襲うのだ……いたいけな少女が美しく成長する都度、暴力で強引に連れてゆく。それをアルテアは知っていたのだろう。

 そこで、村人を森に避難させ、のこのこやってきた兵士たちを殲滅せんめつしたのである。


「エルフたちから詳しい話を聞いて、さらわれた女性たちを助ける。勿論もちろん、無法を働く人間たちには容赦しない! ……今の、邪神ぽくてよくない?」

「は、はあ」

「じゃあ、リアラはアルテアを頼むよ。俺は――」


 その時だった。

 不意に、白々しらじらしい拍手が響く。

 その音に振り返ると、ローブ姿の若い男が立っていた。先程も後方に控えていた、学者肌を感じさせる眼鏡めがねの青年だ。

 ウェーブのかかった前髪をかきあげながら、彼は微笑を浮かべて近付いてくる。

 発せられた声は、どこか神経質そうだが柔和なものだった。


流石さすがです! 流石! 邪神クトゥグア様、このトレイズは感服致しました!」

「あ、さっきの……えっと、トレイズさん?」

宮廷錬金術師きゅうていれんきんじゅつし、トレイズと申します。以後、お見知りおきを」


 うやうやしく一礼する男を、改めてリアラが紹介してくれた。

 トレイズは、科学の代わりに魔法が発達したこの世界で、異端ともいえる錬金術を研究しているらしい。ホムンクルスの兵士たちも全て、彼が生み出したものだ。

 そのトレイズが、城の中庭にエルフたちを集め、食事を振る舞っていると教えてくれた。

 早速灯牙は、行動を開始する。

 流石と言われる程のことは、まだしていないから。


「よし、トレイズさん。俺をエルフさんたちのとこに案内してくれ」

「承知致しました」

「他に、なにか俺にできることがあったら言ってほしい。ただし、炎を使うことは今は保留だ。これ以上、アルテアを苦しめたくない」

「流石はクトゥグア様……お優しい」


 リアラにもそのことを伝えて、等牙は歩き出す。

 あんなに軽々と振り回した武器が、今はどれも背中に重い。

 それでも、今できることから始めようと思った。最初のイベントでは大失敗をしてしまったが、まだ挽回はできると信じたい。

 まだ灯牙は、生まれて初めての冒険を諦めてはいなかった。

 あの苦しく暗い日常に戻るくらいなら、人間の勇者に邪神として倒されたいくらいだ。


此方こちらです、クトゥグア様」

「ありがとう。ここにいる人たちで全部かな?」

「病人や怪我人には、城内の施設を解放しております。全て、アルテア様の計画通りに」

「うんうん、いいじゃないか。なんかさ、優しい魔王っていいよな。かわいいしさ」


 灯牙の素直な感想に、トレイズは複雑な顔をして、そして寂しく笑った。


「優し過ぎるのも考えものですが、いいでしょう。それも含めて、我が魔王のありかた、生き様ですので」

「ん? なんか言った?」

「いえ、なにも」


 灯牙が周囲を見渡すと、エルフの何人かが此方に気付く。焚き火になべをかけて、どうやら温かい食事をとっていたようだ。

 あっという間にざわめきが広がり、無数の視線が灯牙に突き刺さった。

 皆、不安に怯えている。

 女たちを取り戻すためとはいえ、故郷である村を焼いて退路を断ったのだ。彼らは皆、アルテアの計画に全てをかけたのである。

 ならば、それにむくいるのが邪神の努めだと灯牙は胸中に結ぶ。


「みんな、聞いてくれ! 俺は、九頭竜灯牙クズリュウトウガ! 皆は邪神クトゥグアと呼ぶ!」

「おお……おお! やはり!」

「太古の昔、世界を滅ぼした邪神の一柱いっちゅう

「それが、アルテア様に御助力ごじょりょくを……も、もしや禁忌きんきの召喚術を用いたのか!?」

「おぞましい、しかしそうまでして我々を……アルテア様は」


 背の武器よりも重いなにかが、全身にのしかかってくる。

 人から期待される時の重圧プレッシャーは、今まで嫌というほど味わってきた。父親も母親も、理想の跡取り息子を押し付けてきた。それを目標とすることしか、許してくれなかった。

 だが、今は違う。

 エルフを救いたい、世界を取り戻したいと願う少女がいる。

 魔王となって戦いを始めた彼女にも、灯牙は報いたいのだ。

 これは少年が初めて得た、自分がやりたいことだった。


「俺の城じゃないけど、ゆっくりしてくれ。女性たちを救った上で、安全な場所に必ず新しい集落を作る。誰にも脅かされない、エルフがエルフらしく暮らせる村を!」


 歴史の勉強で学んだ英雄たちも、こういう気分で演説していたのだろうか。

 今、身体が燃えるように熱い。

 魔力を励起れいきさせていなくても、猛る想いが胸を焦がす。

 そんな灯牙の見えない炎に、エルフたちも見合わせる顔に生気を取り戻していった。


「クトゥグア様……我らが救いの神! クトゥグア様! いあ! いあ!」

「いあ! いあ! くとぅぐあ!」

「いあ! いあ! くとぅぐあ、ふたぐん!」


 エルフたちは一斉に、聞き慣れぬ言葉を発し始めた。

 それはたちまち、歓呼かんこの声となって灯牙を包む。

 意味はわからずとも、讃えられているのがわかる。頭ではなく、心で感じられるのだ。同時に、プレッシャーが増してゆく。そして、それがより一層灯牙を燃え上がらせる。

 かたわらのトレイズも、驚きに手でメガネを上下させていた。


「おお……エルフの民が、太古の昔に滅び去った神代の言霊を」

「なんか、意味はわからないけど……みんな、俺を信じてくれてる。そうだよな?」

「ええ、そうですとも! 流石です、クトゥグア様。しかし」

「わかってる。俺はもう、炎を使わない。力じゃなく、ここで戦ってみようと思う」


 灯牙はトントンと、指で自分の頭を叩く。

 キョトンとしてしまったトレイズだが、みるみる無邪気な笑顔を広げていった。その顔は、ともすれば灯牙より幼い子供の表情に見える。

 大きく頷き、灯牙は静かに声をひそめる。


「このあと、アルテアの計画ではどうなってるの? できれば、彼女の予定した手順も尊重したい。なにせ、俺はアルテアに召喚してもらったんだからな」

「エルフの村を焼いたのは、近くにある共和国の城の戦力を削るためです。100の兵力を持つ城を攻めれば、犠牲も多く出ましょう。そこで、村に女をさらいに来た50を大魔法で削り、残る城の50を攻める……そういう算段です」

「あいつ、頭いいなあ」


 なるほどと、思わず灯牙は感心してしまった。

 賢さとは、知性とはこういことをいうのだとも思った。

 灯牙には塾と参考書が叩き込んできた、勉強での知識しかない。それをどう使うかも、どう活かすかもまだわからない。

 そもそも、求められていなかったのかもしれない。

 灯牙は、父親の後継者という肩書を満たす、空の器でしかなかったのだろう。


「よし、トレイズさん。兵士たちと俺は国境沿いの城を攻める。やってみるさ……あとのこと、頼める?」


 トレイズは何度もコクンコクンと頷く。

 こうして灯牙は、いよいよ自分の戦いを始めることにした。正直、怖くないといえば嘘になる。それに、最大の武器である邪神としての魔力を使うことができないのだ。

 それでも、心の中には平和を願って戦争を始めた少女がいる。

 彼女を思えば、出発前に顔を見ておこうと思うのだった。

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