第4話「心の奈落に燃える炎」

 全身が燃えるように、熱い。

 灯牙トウガは今、あふれる力に身を委ねていた。

 日頃の鬱憤うっぷんを晴らすように、躊躇ちゅうちょなく兵士たちを薙ぎ倒してゆく。

 村の奥から新たな兵士たちが現れたが、もう灯牙の暴走は止まらなかった。

 そう、暴走……今までずっと押さえつけられていた、灯牙の衝動が燃え上がる。

 その脳裏には、断片的に過去の記憶が蘇った。


『100点? 当然だ、お前にはかなりの金がかかってるからな』

『いいのよ、灯牙ちゃん。勉強だけしてれば、ちゃんとパパの会社を継げるからね』


 両親は、衣食住と学習環境しか与えてくれなかった。

 そして、会社の跡取りとしての灯牙しか、求めなかったのである。

 親子で行楽に出掛けた記憶も、クリスマスや夏休みの思い出もない。

 ひたすら勉強だけを強要され、それ以外の機会を奪われたのだ。

 灯牙にとって異世界への転生は、それ自体がすでに巨大なアトラクションだ。生まれて始めて、気持ちがたかぶる。ドキドキもワクワクも、際限なく込み上げてくる。


「はああああっ! おりゃあ! ハ、ハハ……強い! これが俺の力か!」


 片手で軽々と、太刀を振るう。

 でたらめな斬撃が、何人もの兵士を炎で焼き斬った。

 そのまま、もう片方の手で背から大剣を下ろす。捨てるようにさやから抜き放って、その大質量を無造作に持ち上げた。

 恐るべき胆力たんりょくを目にして、周囲の男たちが恐慌状態におちいる。

 だが、容赦なく灯牙は暴力をふるい続けた。

 頭の中でまだ、両親の声は響いている。


『なに? せめて本が読みたい? フン、必要ない! そんなものは老後の楽しみにとっておけ。今は、私の偉業を引き継ぐことだけを考えるのだ!』

『いけないわ、部活に入るだなんて。あなたは身体が弱いの……ママはとても心配。さ、そのぶんしっかり勉強しましょう? あなたが頑張れるのは勉強くらいなんだから』


 うるさい

 うるさい、うるさい、うるさい!

 取り上げられるようなものも持てず、与えられた責務に押し潰された。よかれと思う親の期待に、常に圧殺され続けてきた。

 それでも現実世界では、灯牙はいきどおりを発散できなかった。

 ただの無力な子供で、拳を握ることすらできなかった。

 今は、違う。

 解放された力が、灯牙を躍動させた。

 周囲には恐怖の悲鳴が響き、兵士たちの一部が叫びながら逃げ出す。


「じゃっ、邪神……ひ、ひえええええ!」

「あっ、こら! 逃げるな! 戦え!」

「バケモノだ! 勝てっこねえ……このガキ、本物の邪神なんだよ!」


 いよいよ激しく燃え上がる集落は、その炎自体が灯牙に力を与えているかのようだ。

 己の力に酔いしれながら、フラフラ踊るように敵を斬り続ける。

 その視界の隅には、武器を捨てて背を向ける一群が遠ざかっていった。


「逃さないぜ! はあああッ! ほむらよ、ぜ狂え! なにもかもっ、焼き尽くせっ!」


 ヒュン、と真横に一閃、太刀を振るう。

 まるで、なぞった空間が割れるように、斬撃の軌跡が炎をまとった。それはうなりを上げて、逃げ惑う者たちへと飛ぶ。

 続いて何度も、獄炎ごくえんの真空波を灯牙は放った。

 夢中で太刀と大剣から、死を放ち続けた。


「すげえ……これが邪神の力! ははっ、そうだ! 戦争してる共和国と帝國ていこく……両方ブッ潰しても、戦争はなくなるじゃないか!」


 ふと、突然周囲が暗くなった。

 背後に大柄な兵士が立って、両手で剣を振り上げている。

 肩越しに振り返る灯牙は、不思議と恐怖を感じなかった。

 あの刃が振り下ろされても、自分が死なないとわかるからだ。それどころか、こうしてにらみ返しただけでも相手を消し炭にできる気がする。

 完璧に増長していたし、力に酔いしれていた。

 しかし、膨大な愉悦ゆえつを得た彼にとって、それは初めてのときめきだったのだ。


「おいおい……俺はそんなんじゃ死なないぜ?」

「オ、オオオオッ! 死ねええええええ! ――ッガ!?」


 不意に、ビクリ! と大男は身を震わせた。

 そして、そのままこちらへと倒れてくる。

 避けるのも面倒で、灯牙は自らを火柱へと変えた。全身から吹き出たマグマのごとき火炎の奔流ほんりゅうが、あっという間に兵士を消し飛ばす。

 その向こうに、荒い息に肩を上下させる女性が立っていた。


「おう、リアラさんか! 悪ぃな。で……エルフはいないけど、敵だ。どっちの国だかわからないけど、ブッ倒してやったぜ」

「お前は……なにを」

「ん? ああ、ちょっと軽い運動さ。身体を動かすって、こんなに気持ちいいことだったんだな」

「なにを言っている! こうも安易に邪神の力を! お前は、自分のことをわかっているのか!」


 不意に詰め寄ってきたリアラが、灯牙の襟首えりくびを掴んで顔を近付ける。

 長身の彼女に見下され、思わず灯牙は気圧けおされた。今まで燃え上がっていた闘志も、無邪気な残虐性も萎縮いしゅくしてゆく。

 リアラの瞳には、怒りが燃えていた。

 それが今、うるんで周囲の炎に照らされている。

 綺麗だと思ったら、不思議と戦いへの没入感が消え去った。


「ゴ、ゴメン……なにか、まずかった、よな?」

「ああ、そうだとも! ……クトゥグア様、その様子だとわかっていないようですね」

「ん? なにを」

貴方あなたは、我が盟主アルテア様が召喚した邪神なのです! だから、だから……ッ!」


 ポツリ、冷たいしずくが灯牙のほおを叩いた。

 また一滴、ポツリと続いて数が増えてゆく。

 静かに雨が降り始めると、ようやく周囲の炎が小さくなってゆく。それはまるで、今の灯牙そのものを表しているかのような。

 リアラが手を離すと、思わずよろけて一歩下がる。

 周囲を見れば、死体など一つもない。

 全て燃え尽きて、消えていた。

 焦土と化した村をやすように、雨が静かに降り続ける。

 そして、驚きの光景に灯牙は目を見張った。


「あ、あれ……あの人たちは! リアラさん」

「ああ。避難していたエルフたちが戻ってきたのだ。諸君、こっちだ! 私はアルテア様の親衛隊長、リアラだ。諸君らを保護し、これからも守護しよう」


 弓を構えたエルフの一団が、森の中から現れた。

 ざっと見ただけでも、100人以上はいる。

 そういえばさっき、兵士たちはここに誰もいなかったと言っていた。つまり、ここはエルフの村だが、最初からエルフは避難していたのだ。

 だが、疑念は残る。


「エルフだ……へー、やっぱり耳が長い。それより、どうして村を?」


 その問いには、側に立つリアラが答えてくれる。


「クトゥグア様……彼らを見て、なにか気付きませんか?」

「みんな美形だな。けど、あれ? えっと……女性が、いない、かな。小さい女の子ならチラホラ見えるけど」

「ええ、そうです。国境を守る、ウルス共和国の城塞が近くにあるからです」

「え、どゆこと? まさか」

「女は全て、連れ去られます。まだ小さな少女でさえ、連れてゆかれる。そのあとは……クッ! 下衆げすな男たちなど、根絶やしにしてやるっ!」


 悔しげにくちびるむリアラから、尋常じんじょうならざる怒気がみなぎる。降り注ぐ雨でさえ、彼女の鎧に弾けて蒸発するかのようだ。

 そして、漠然ばくぜんとだが灯牙は察した。

 兵士たちは、人さらい……エルフの女をさらいに来たのだ。

 そんな時、エルフたちから代表者らしき男性が歩み出てくる。


「リアラ様、奴らは……人間たちは」

「ああ。アルテア様と、ここのクトゥグア様によって倒された。野蛮な男どもに、慈悲など無用だからな。炎も今、アルテア様の魔法で消し止められるところだ」

「そうでしたか。では、次は」

「うむ、奴らの拠点を落とす。……村は、すまんな。是非ぜひ、我がフォーマルハウト城に身を寄せてほしい。居住区の整備も進めているし、アルテア様もそれを望んでいる」


 どうやらこの雨は、アルテアが魔法で降らせたようだ。

 リアラの言葉に、エルフたちは顔を見合わせ安堵のため息を零す。

 魔王なのに、アルテアはエルフたちを救おうとしていたのだ。恐らく、事前に打ち合わして村へと兵士たちをおびき出した。そこへ魔法で打撃を加えて……あとは、飛び出した灯牙が計画を御破算ごはさんにしてしまったのである。


「ま、でも結果オーライかな?」

「あ、あの……」

「ん? なに、エルフさん」

「先程、クトゥグア様と……も、ももっ、もしや、貴方様は」


 ざわめきがエルフたちに広がってゆく。

 そして、空より舞い降りた声が波紋のように広がっていった。


「その御方おかたこそ、わたしの召喚に応じてくださった邪神……この世の混沌こんとんを焼き払うべく降臨した、クトゥグア様」


 見上げれば、静かにアルテアが空から降りてくる。

 その姿に、エルフたちから「おお!」と歓声があがった。まるで、救いの女神を見上げるかのようだ。

 だが、アルテアは着地してよろけ、そのまま倒れ込む。

 慌てて灯牙が駆け寄り、その華奢きゃしゃな身を受け止めた。


「おい、アルテアッ! なにが……ッ!? こ、この顔は! 肩や胸にも!」


 露出もあらわなアルテアの肌に、おぞましいあざのようなものが浮き出ている。しかもそれは、暗い色で明滅を繰り返しているのだ。

 文字のようにも見え、紋様もんようとも言える痣は、先程まではなかったものだ。

 苦しげに小さく呻くアルテアを、灯牙はそのまま抱き上げた。

 自分を召喚した魔王は今、苦悶くもんに震えるただの少女になってしまったようだった。

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