第3話「エルフの村、燃ゆ」

 エルフの村を焼く。

 アルテアははっきりとそう言った。そして、彼女が漲らせる緊張感が、その意志が揺らがぬことを教えてくれる。

 両の手でいんを結ぶアルテアの周囲で、空気が対流となってうずを巻いた。

 そして、静かに声が波紋を広げる。


「神々が残せし、下僕しもべの星よ……邪神の力、その一旦を我に与えたもう」


 それはまさしく、呪文の詠唱えいしょう

 アルテアの周囲に、無数の光が文字となって浮かんだ。

 そのいくつかが灯牙トウガには、見知った単語のように思えた。

 かなり変形して崩れているが、アルファベットの連なりにも見える。

 やがて、そっとアルテアが手を伸べると……紅蓮ぐれんの炎が集まり始める。彼女はその力を遠くの明かりへと向けた。そして、隣の灯牙に説明してくれる。


「かつて世界を滅ぼした邪神……その力を、下僕の星を経由して借り受ける。これが、魔法です」

「あ、ああ。いや、それより」

「では、始めましょう。この一撃こそが、わたしたちの決起の狼煙のろし

「ま、待てって! なあ、エルフの村を襲うなんて――」


 だが、躊躇ちゅうちょなくアルテアは魔法を解き放った。

 ごう! と爆ぜる巨大な火球が、まるで流れ星のように闇に吸い込まれてゆく。

 一拍の間をおいて、遠く森の中に火柱が屹立きつりつした。

 天をもがすような業火が、赤々と闇夜を照らす。


「お、おいっ、アルテア! リアラさんも!」

「大丈夫です、クトゥグア様」

「大丈夫って」

「魔法はあくまで初撃、ここから攻め入り……完全に敵を殲滅せんめつします」

「悪役かよっ! ……あ、魔王だっけか。いいや、待て待て! 待てって!」


 言動不一致、言ってることとやってることがアベコベだ。

 民と国土を守るため、戦争中のウルス共和国とレヴァイス帝國ていこくの戦争を止める。そのためには、両者に共通の敵を作ってやればいい。

 それが、魔王アルテアが率いる軍勢なのだ。

 でも、国家に属せぬエルフを攻撃する必要はないはずだ。


「クトゥグア様、この地は共和国と帝國の国境が走る地帯で、両軍がにらみ合っています。なので、エルフたちは――」

「話はあとだ! クッ、あの距離……飛べるか? 飛べるよな、ヨシッ!」

「クトゥグア様?」


 灯牙はすぐに、駆け出した。

 その先は切り立った断崖で、広がる森は遥か下だ。

 だが、飛べると確信していた。

 邪神として転生した肉体が、その奥に燃える力がそう教えてくれる。

 だから、灯牙は迷わず跳躍した。

 風を受けて落下する中、見えない大地を蹴り上げる。


「おお……おお! 飛べる! 飛べてる! やっぱ俺って、すげえじゃんかよ!」


 全身が燃えるように熱い。

 強く吹き付ける風さえ、自分にぶつかり蒸発してゆくようだ。

 そのまま灯牙は、真っ直ぐにエルフの村へと向かう。

 あっという間に、燃え盛る森の中に集落を見下ろし、吸い込まれた。


「よっ、とっとっと……着地も満点だな! それより……おいおい、おいおいおいおい」


 村の家々が焼けている。

 燃えさかる炎が、焦げた臭いを撒き散らしていた。

 見るも無残な光景に、灯牙は唖然あぜんとした。

 世界の敵になる……それは本当に、罪なきエルフたちをも巻き込んでいいものか?

 その疑念が膨らみかけた、その時だった。

 不意に、ガシャガシャと鎧を鳴らす男たちの声が響いた。


「くっ、隊長が……全員集まれ! 敵だ! クソッ、帝國の奴らか!」

「今のは魔法、それも特大のやつだ。これだけの威力、すぐ近くに術者がいるぞ!」

「人っ子一人いねえかと思えば、これかよ!」


 屈強な男たちばかりが、大挙して現れた。

 皆、突然の魔法攻撃に狼狽ろうばいあらわである。口々になにかを叫び合って、手にする剣や槍をガタガタと震わせている。

 その中の一人が、立ち尽くす灯牙に気付いた。


「あ? なんだ、このガキ……なあ、こいつ! 術者じゃねえのか!?」

「おいおい、なんの冗談だ? 子供が武器ばっか沢山背負って」

「まっ、まま、魔法使いなんじゃねえか? なあ、おい!」


 あっという間に灯牙は、兵士たちの集団に囲まれてしまった。

 どう見ても、エルフには見えない。

 娯楽にうとい灯牙でも、すぐにわかる。皆、耳が長くとがっていない。普通の人間、灯牙と同じに見える。確か、創作物ではエルフは皆が美形で、細身の体つきということになっている。

 周囲の兵士たちは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる大男ばかりだ。

 その中の一人が、剣を向けつつ声を張り上げた。


「おい、小僧っ! 貴様、エルフたちをどこへやった!」

「へ? いや、それは……」

何故なぜ、これだけの集落に! 加えて、この魔法!」


 さっぱり意味がわからない。

 だが、今にも男たちは襲い掛かってきそうだ。

 そして、ふと思いつく。

 やはり、アルテアは無慈悲な魔王ではないらしい……ここにエルフたちがいないことを承知で、ド派手な魔法をブッ放したのだ。

 そう思えば、自然と納得がゆく。


「えっと、おじさんたちはウルス共和国の人? それとも、レヴァイス帝國?」

「なんと……我らをどこの誰とも知らず攻撃してきたのか!」

「いや、さっきの魔法は俺じゃないけど……多分、同じことできると思うぜ?」


 思わずフフンと灯牙は鼻を鳴らす。

 そして、そっと伸べた手の上に炎を出してやった。

 思ったよりデカい炎が立ち上って、自分でもちょっとビビッてしまう。

 だが、灯牙以上に兵士たちは驚き狼狽うろたえていた。


「やっぱりこいつが魔法使いか!」

「で、でも、今……呪文を唱えなかったぞ! 下僕の星を呼ばずに、どうやって」


 だんだん、面倒になってきた。

 そんな時、好都合にも灯牙に選択が突きつけられる。

 槍を手に、一番体躯の逞しい男が歩み出て来たのだ。


「魔法使いなど、この距離ならば恐れるに足りん! しかも、たった一人ぞ!」

「……やっぱそうなるのなあ。うん、まあ……じゃあ、わかりやすく行こうぜ!」


 灯牙は、早速右手を背へと回す。

 つかんだのは、例の巨大な剣だ。だが、上手く抜けない。どうやらさやを作ってくれたらしいが、刀身が長過ぎて抜けないのだ。


「お、おお? やっば、抜けねえ!」

「ハハハ、馬鹿め! そんなデカい武器が子供なんぞに振るえるものか!」

「ちょい待ち!」

「待てと言われて待つ馬鹿がいるか! いざっ!」


 咄嗟とっさに灯牙は、待て待てと手を突き出す。

 その瞬間、巨漢が炎に包まれた。

 真っ赤な炎が男を包んで、踊る影へと変えてしまう。

 叫ぶ声すらすぐに消えて、輪郭を失った炭屑すみくずが崩れ落ちた。

 あまりにも酷い死だが、灯牙の胸中を別の感情が支配する。

 自分の強さに感動すれば、忘れていた怒りと憎しみが蘇った。


「まただ! また、呪文を唱えず魔法を!」

「ええい、かかれっ! やっちまうんだよぉ!」


 まだ、剣が抜けない。

 しょうがないので、別の武器を選ぶ。

 その時にはもう、灯牙ははっきりと自分がたかぶるのを感じていた。

 共和国か帝國か、それはどうでもいい。はっきりと分かるのは、相手が軍隊の兵士だということだ。全員がお揃いの防具を身に着けているし、胸元に小さく同じマークがついている。

 なら、やることは一つだ。

 何故ならば、灯牙は邪神……世界の敵なのだから。


「よっ、と。さあ、相手をしてやるぜ! 俺は灯牙……邪神、クトゥグアだ!」


 濃密な快楽が、脳内の思考を熱く染めてゆく。

 今、自分が暴力の化身になりつつある。

 そのことが心地よく、湧き上がる力は血に染まるのを待ちわびていた。


「邪神、クトゥグア……だと?」

「おいおい、それって」

「あ、ああ……かつて世界を滅ぼした、邪神の一柱……ま、まさか! ――グェァ!?」


 灯牙は、手にした太刀で一人の兵士を切りつけた。

 型も構えもあったものじゃない、ただ振り回して当てただけだ。だが、金属音と共に敵の鎧が切り裂かれる。さして力を入れた訳でもないのに、敵は腰から上下に両断された。

 そして、あっという間に鋭利な断面から発火し、燃え尽きて風に散り消える。

 唖然とする兵士たちに向かって、ぎこちなく灯牙はポーズを決めてみせた。


「はは、凄ぇよ……これが、俺の力! イヨォシ! じゃんじゃん行こうぜ!」


 この異世界に来るまで、抑制されてきた感情が爆発していた。

 それは、敵意……全てを奪われた怒り。日常に楽しみと呼べることなんてなかった。そんな中で、決して表現できなかった感情が荒れ狂う。

 一気に灯牙は、鬱積うっせきしていた憤怒ふんぬを解き放ったのだった。

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