第2話「異世界アースティア」

 異世界、それはクトゥグアを名乗り始めた灯牙トウガにとって、憧れだった。

 休み時間や放課後、クラスの仲間たちは漫画や小説の話にきょうじて、その中で空想の翼を広げていたのだ。それは、灯牙が夢見ても得られぬ日々。

 ひたすら学校で、塾で、そして自宅で……灯牙は勉強に没頭していた。

 今、それしか許されない環境から今は、解放されたのだ。

 だが、アースティアの風は冷たく、見渡す大地は荒涼としていた。

 邪神として転生したからか、はっきりと闇夜でも見通せる。


「なあ、なんか……物寂しいっていうか、なんとなく終末感しゅうまつかんが漂ってないか?」


 灯牙は振り向き、背後のアルテアを見やる。

 空には今、暗雲がれこめていた。その低くうような黒が、まるで上から圧してくるようだ。

 アルテアは神妙しんみょうな顔でうなずき、口を開く。

 静かだがよく通る声が、灯牙にこの世界にあらましを伝えてくれた。


「何百年も続く戦乱で、世は荒れ果て、人々は希望を失っています」

「ああ、さっき言ってたやつな。それで、戦いを終わらせるための戦い、か」

「はい。クトゥグア様とわたしたちで、終わりなきいくさの連鎖に終止符を」


 二人が立つ崖の上には、先程この世界に召喚された時の顔ぶれがある。

 ついうっかり、邪神の炎で吹き飛ばしてしまった女性剣士も一緒だ。確か名は、リアラだったか。他には、学者風の男が兵士を何人か連れて控えている。

 魔王アルテアの手勢は、ほかには城に残してきたわずかな戦力だけだ。

 だが、それでも彼女は灯牙を真っ直ぐ見詰めて言葉を切る。


「人々に戦いといさかいではなく、調和と融和の気持ちを取り戻します。そのために……」

「そのために?」

「わたしが、。クトゥグア様……どうかお力添ちからぞえを。非力なわたしに、力をお貸しください」


 ――世界の敵、それが魔王アルテアだ。

 ねじれた角も禍々まがまがしいティアラを被った、肌もあらわな装束しょうぞくの美少女。歳は灯牙と同世代か、少し上に感じる。だが、眼帯がんたいで右目をおおった隻眼せきがんであることを差し引いても、何処どこにでもいそうな女の子……強いて言えば、うるわしい乙女だ。

 だが、彼女の言葉は秘めた決意を感じさせる。


「……いいぜ? なんだかよくわからないけど、もうゴチャゴチャ考えたり悩んだりはしなくていいんだ。俺は、力を得た。それを求めるなら、お安い御用ってやつだ」


 この異世界アースティアは、死のふちにひんしている。戦争という病魔が、長らく大陸全土をむしばんできた結果だ。

 腕組み眼下がんかの景色を眺めながら、等牙は先程の城でのやり取りを思い出す。






 先程召喚されてからずっと、灯牙は浮かれていた。

 これはきっと、孤独に忍耐し続けた自分への御褒美ごほうびなのかもしれない。

 彼が最初に案内されたのは、玉座でも寝室でもなく、武器庫ぶきこだった。とりあえずは腰に布を巻いただけで、裸の灯牙は並ぶ武具に目を見張る。


「えっと、ここから好きに選んでいいの? リアラさん」

「そうだ。ホムンクルスの兵士たちが使う量産品と違って、ここにあるのは業物わざものばかり」

「なるほど、ね……先に服が欲しいけど」

「それは今、アルテア様が吟味ぎんみしている」


 この場所に連れてきてくれたのは、リアラだ。

 切れ長の目に褐色かっしょくの肌、総髪ポニーテイルに結った金髪、長身痩躯ちょうしんそうく。アルテアとは違って、その全身を鎧で覆っている。それでも、比較的軽装で女性らしい曲線が浮き出ている。

 まるで、ギリシャ神話の彫刻みたいな均整の取れた姿だった。

 だが、先程邪神の力とやらをその身に受けたためか、言動も視線も刺々とげとげしい。


「ふむ……やっぱ主人公なら剣かなあ? ありきたりだから、やりにするか」

「お前は武術の経験があるのか?」

「いや? 体育の時間はほとんど見学だったし。俺、身体が弱かったんだよね」

「なんと!」

「でも、今は違う……見た目が変わらなくても、全身に力がみなぎっている!」


 ふと、目に止まった巨大な剣に歩み寄る。

 刀身だけでも灯牙の身長くらいある。

 重々しい両刃りょうば大剣たいけんへと、手を伸ばし……つかを握る。力を入れなくても、まるで小枝を持ち上げるように刃は天井へと伸びた。

 さすがのリアラも、びっくりしたようだ。


「あ、これキープね。あとは……こっちのかたなもいいな。なんで日本刀があるのかとか、これは突っ込んじゃいけないとこか。で、次は」

「ま、待て! ……待ってください、クトゥグア様」

「あれ? さっきみたいに、お前とかでいいよ? そんなかしこまられても」

「い、いえ。……本当に邪神なのだな。その膂力りょりょく、とても普通とは思えない」


 そんなものかと、特に灯牙は気にしない。

 ただ、今はおもちゃ屋にいる子供みたいに気分が高揚している。

 とりあえず、なたみたいな大型のナイフと、あと剣を何本か選んだ。

 かなりの量だが、両手で束ねて抱きかかえても重さを感じない。

 やはり、邪神として生まれ変わったこの肉体は強靭きょうじんなのだ。

 そうこうしていると、アルテアが数名の兵士とやってきた。先程ホムンクルスと言っていたが、確かそれは錬金術れんきんじゅつで造られた人造人間だったと記憶している。なるほど、皆が同じ端正な顔立ちで、体格も全く変わらない。


「クトゥグア様、お召し物をお持ちしました」

「ああ、ありがとう。……いいじゃん。いいね、いいよこれ! こういうの着てるよなあ、主人公って。うわぁ、見たい読みたいを通り越してもう、体験中だもんな」


 ガシャガシャと武器を壁に立て掛け、アルテアが広げる服に駆け寄る。

 簡素で動きやすそうだが、あつらえは酷く上等なものだ。早速下着を受け取り、次いでゆったりしたパンツをはく。最後はアルテアが上着を着せてくれた。

 肩当てをしてマントを羽織はおれば、完全にアースティアの人間になれた気がする。

 実際には人間ではなく、召喚されし邪神なのだが。


「クトゥグア様、中に着込みを」

鎖帷子くさりかたびらみたいなの? いいよ、それよりあの武器、あれ全部使うから、持ち歩けるようにしといてくれるかな」

「あれを、全部……承知致しょうちいたしました」

「うんうん、それっぽくなってきたね。特にこの真っ赤なマント、これはいい」


 鏡がこの場にないのが残念だ。

 素肌に直接来た上着も、胸元を大きくはだけで着崩す。

 否が応でも気分が盛り上がって、今すぐにでも世界の一つや二つは滅ぼせそうだ。

 だが、実際には世界を救うために召喚されたらしい。

 それも、自称魔王の美少女にである。

 そのことについて、アルテアはようやく話し始めた。


「軽く説明を……クトゥグア様。今、このアースティアは滅びに瀕しています」

「お、おう。で? 俺はなにをすればいいんだ?」

「わたしたち魔王軍は、今日より……

「よし、わかった! じゃあ、片っ端からブッ潰す! で、いいか?」

「え……あ、はい。でも、少し事情が」


 アルテアは兵士たちに先程の武器を預け、指示を出す。

 そうして、このアースティアの現状を教えてくれた。


「現在、この世界には二つの国家があります。西のウルス共和国と、東のレヴァイス帝國ていこく……双方は互いに戦争状態で、すでに開戦より数百年が経過しました」

「ふむふむ。で、どっちが悪いの?」

「戦乱の中で、戦争の原因、最初の記録は失われています。両国は今や、理由も訳も知らずに戦っているのです。……そして、戦争に良し悪しなどありません」


 そして、アルテアのその時の目を灯牙は忘れられない。

 真っ直ぐ見据みすえてくる緑色の左目に、強い意志が燃えていた。


「わたしたちは悪の魔王軍団として、両国と戦います。世界の敵となることで、両国の敵意を全て集めるんです。互いに戦い合うのではなく、共にわたしたちと戦ってもらうのです」


 それは荒療治あらりょうじというレベルではない。

 だが、理屈は通ってる。

 魔王アルテアは、滅ぼし合う両者を等しく苦しめ、無理やり協力体制へ押し込めようとしているのだ。そうまでしないと解決しない程の憎しみを、両国は積み上げ過ぎたという。

 勿論もちろん、灯牙は快諾した。

 力を求められたし、純粋に守りたいと思ったからだ。

 シンプルに、自分の気持ちを表現できる肉体を得た今……日頃の陰鬱いんうつとした虚無感きょむかんは消え失せていた。






 そういう訳で、アルテア率いる魔王軍の最初の戦いが始まる。

 灯牙は無数の武器を背負って、まるで物語にある武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいだ。だが、重荷には感じない。どの剣も格好良かったし、今の自分なら使いこなせる気がした。

 腕組み崖の上に自分をさらせば、眼下に広がる森の中に明かりがある。

 となりに来たアルテアは、それを指差し静かに言い放った。


「エルフの村です。亜人あじんたちは基本的に、どちらの国家にも属していません」

「なるほど」

「……

「へ? いや、それって……いいの?」

「はい」


 灯牙は耳を疑った。

 真顔でアルテアは、エルフの村を焼くと言い出したのだ。見た目が美しいだけに、その言葉が嘘ではないとわかれば、奇妙な迫力を感じる。

 そのまま彼女はそっと両手で不思議ないんを結ぶ。

 指と指とが絡まり結ばれ、解かれてはまた組み合う。

 それを見詰める灯牙は、見えない力の高まりに全身の肌を粟立あわだてるのだった。

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