その八

 六本木にあるスタジオで、俺は彼女と待ち合わせた。


 毎週放送されている米国の人気オムニバスドラマの吹替収録とかで、彼女は今そこにいるそうだ。

 彼女の担当しているのは、米国の有名な演技派女優演じるヒロインの一人だという。

 独身キャリアウーマン(内科医という設定だ)が、一回り以上も歳の違う若い男性と恋に落ちる。しかしその男が・・・・という、まあ、ありきたりなメロドラマ仕立てになっているのだが、随分好評で、あちらではもう2年も放送されているほどの人気シリーズで、今回は日本でも新シリーズが始まるらしく、その録音らしい。


 スタジオの上の赤ランプが点滅している。


 控室のガラス窓(無論防音だ)を通し、内部の様子を垣間見ると、3本のマイクの前で、モニターに向かって何人かの役者がセリフのやり取りをしているのが見えた。


 アフレコの現場なんてものを見るのは生まれて初めてのことだ。


 声を入れるだけだから楽な仕事だと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。


 マイクの前の俳優たちは口先だけではない。


 それこそ全身で演技をしていた。


 しばらくの間、俺は彼女の演技に見入っていた。


 赤ランプが消える。


 声優たちが演技を解き、スタジオのドアが開き、俳優たちが出てきた。


 その中に、彼女・・・・早苗がいた。


 俺がソファから立ち上がると、彼女は向こうから歩み寄ってきて、


『わざわざここまで来てくださって有難うございます』丁寧に頭をさげ、次の録音まで少し間があるから、喫茶店に行きましょうと、俺を直ぐ上の階にあるティールームに案内してくれた。




 窓際の、見晴らしのいい席に向かい合って座る。


 俺はコーヒーを、彼女はレモンティーをオーダーした。



 外は雲一つない快晴で、都会のど真ん中だというのに、どこまでも抜けるような青空が続いている。


 飲み物が来るのを待って、俺は何も言わずに報告書と、それからから渡された封筒を出した。


 彼女はそれを受け取ると、中身を空けて目を通した。


 何が書かれていたのか、俺には分からない。

 想像でモノを言うのは嫌いだが、恐らく『自分の事は忘れてくれ』とでも記してあったのだろう。


 瞳の縁に僅かに光るものを感じたのは、俺の思い過ごしだったのだろうか?


『・・・・・』


 傍らのバッグを開け、そこから封筒に入れた現金を出し、俺の方に押し遣る。


『彼、元気でしたか?』

 

 早苗は眼を伏せながら、俺にそう訊ねた。


『元気でしたよ』


『そう、それだけ聞ければいいの・・・・』レモンティーを飲み干し、腕時計をちらりと見て、


『収録の続きが始まるわ』といい、伝票を握って立ち上がり、


『・・・・私にとって彼はまだ十九のまま・・・・私だってまだのままよ。だからこれから5年でも、6年、いえ、それ以上だって平気ですわ。後は彼の気持ち次第だけ・・・・』それだけ言うと、もう一度頭を下げ、


『仕事に戻ります』そう言い置いて去っていった。


 俺は何も言わず、黙ってコーヒーを飲みシナモンスティックを咥え、外を見つめた。


 次の週、俺は彼女の声になる、そのテレビドラマを視た。


 若い恋人は犯罪組織を裏切った挙句、仲間の罪まで被り、裁判の結果ムショ送りとなる。


(私、やっぱり貴方を待ってるわ。)


 法廷から連れ出される恋人に、早苗の声で呼びかける。


 それは彼女の心境そのものだったのかもしれない。 

 ああ?

(”メロドラマを聞かせておいて、尻切れトンボはないだろう”)だって、

 仕方ない、じゃ、特別だぜ。

 鬼丸瞬は拘置所に収監中、組長を引退し、業界とは完全に手を切る旨を宣言したため、鬼丸組も自動的に解散する運びとなった。

 そのことが裁判にどう影響するか・・・・ま、俺は裁判官じゃないので、そこから先は分からんがね。

                              終わり


*)この物語はフィクションであり、登場人物その他は全て作者の想像の産物であります。



 





 


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十九歳の彼 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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