その六

 二階に上がる階段は狭く、大人が二人やっと並んで通れるほどだった。

 昔マルボウの担当刑事に聞かされたのだが、カチコミがあった時に大勢で侵入されないようにするためだという。

 

 俺は前に若い衆、後ろを背広男に挟まれ、階段を上がり、二階へとたどり着く。


 そこは意外と広い部屋で、応接セットと数台のテレビがあり、中には何人かの目つきの悪い(事実を言ってるんだから仕方ないだろう)が、俺を出迎えた。


 背広男が一番奥にいた兄貴分らしい、痩せた、意外と穏やかな顔つきをして、ネクタイを締めた男になにやら耳打ちした。

その人物が、

『親分に用とか?』と、俺に言う。

『用があるから来たんだ。無駄話をするためじゃない。』

 全員が気色ばんだ目線で俺を睨みつけた。中には懐に手を突っ込むものさえいる。


 彼が手を挙げて全員を制した。


『こっちだ・・・・』


彼が先に立って歩きだす。


 俺はそれについて後から歩いて行った。誰もついてはこない。


 扉を一つ通り抜けると、また扉があった。


 彼がノックをすると、奥から、

『入れ』


 と応答があった。


 ネクタイ男がドアを開く。


 そこは俺の事務所なんかより遥かに立派な部屋だった。


 豪華な応接セット、壁一面を埋めた本棚、そして馬鹿でかい机、その前に腰かけていたのは、銀縁の眼鏡をかけ、グレイのスーツを着た若い男、即ち長野原瞬こと、鬼丸瞬その人だった。

 もとより彼はもう19歳ではない。

 あれから七年は経っているから、現在25歳だが、面影は昔のままだった。


 俺は黙って懐から認可証ライセンスとバッジを出して、男にかざして見せた。


『名刺を渡したいところなんだが、生憎持ってないんだ。というより、警察がうるさいんでね。悪く思わないでくれ』


 彼は立ち上がって俺にソファを勧め、自分もそっちに移って向かい合わせに座った。


 ネクタイ男(若頭だという)に、コーヒーを二つ持ってくるように命じると、暫く二人きりにしてくれと言い置いた。


 ネクタイ男が出て行くと、彼は息を吐いて、


『早苗さんだろ?依頼人は』

 と、訊ねてきた。


 向こうが知っているなら隠しても仕方がない。


『そうだ』俺はあっさり答える。


『・・・・長野原ってのは俺のお袋の姓でね。家の稼業を知られたくなかったから、わざと変えていたんだ』


 それから彼は、役者になろうと思っていたのは身を隠すためではなく、本気だったこと。早苗も真剣に愛していたことなどを小声で静かに話した。


『しかし、先代が亡くなった時、どうしても俺が跡目を継がなければならなくなった。俺たちの世界では、別に跡目は世襲じゃなくても構わないんだが、周りの人間から”是非に”と頼まれちまってはね。元々人から頭を下げられりゃ、断れない性格たちなもんだからな』


『早苗さんのことは愛していた。いや、今でも愛していると言った方が正確だな。だが向こうはカタギ、こっちは(そういって彼は頬に傷を作る仕草をする)だ。幾ら何でも住む世界が違い過ぎる・・・・分かるだろ?』


 間もなく若い衆がコーヒーを二つ運んできた。


 俺達は何も言わず、黙ってカップを取り、コーヒーを啜った。


 俺は頭を上げ、部屋の中を見回す。


 彼が座っていたデスクの後ろの壁に、見事な達筆で、


『任侠』の二文字が書かれた扁額が掛けられていた。


おとこはつらいよ。ってとこか』


 何も答えず、彼は黙ってコーヒーを飲み終えた。

 豪華な置時計の音が、広い室内に時を刻む音を響かせる。

『それに、俺はもうじきが来るんだ・・・・ただ、これだけは渡しておいてくれ。』


 鬼丸瞬は懐から封筒を取り出して、それをテーブルに置いた。


 俺は中身を確かめずに受け取り、黙ってそれをしまった。


 

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