Episode25. もう辞めた


■ ■ ■


 この暗室に閉じこもって何日が経過しただろう?

 食事もロクに採ってないし、眠る事も出来ないからわかんないや。

 そう言えば最近、先輩が会いに来てくれたけど一体なんの用だったんだろう?

 ………まぁ、どうでもいいか。

 食べることも、服を着ることも面倒臭い。瞼の裏に映り込む、AIによって殺される人々の映像。───嗚呼、いつか私もあんな風に殺されるんだ。

 そう考えると、自分のしている事が何もかも無駄に思えてきた。あの日、お母さんに殴られた時と同じ………いや、それ以上の喪失感かも。

 きっとそれは、あの日助けてくれたお兄ちゃんがいないからだ。その寂しさにつうと一滴の雫が私の頬を伝った───その時。


「滝沢佑月。出ろ」


 部屋の扉が開かれ、男の厳しい口調で呼ばれる。

 私が邪魔だとかで殺されるのだろうか? ………けどもう、それでもいいかな。

 そんなことを思いながら、男の後を着いていく。

 見えてきたのは明るく、強い────光だった。


■ ■ ■


 《ヘルヘイム》────訓練エリア。

 いつもであれば《シード》が端麗に並べられ、仮想空間での訓練が行われているが、今日は《シード》もなく、人もほとんどいない。愛彩、アスタリア、エレン、メリスの四人はエリアの端に立っており、中央には翔吾が佑月の到着を待ち構えていた。


『愛彩さん……正直俺、こんなことしたくはないんです』


 無線を通じて翔吾の声が愛彩に届く。


「そうですね。やらなくていいのならやらないに越したことはないでしょう。実際、私も佑月ちゃんを傷付けたくはないので」

『………本当にやるんですか?』


 珍しく気弱な声を出す翔吾に、愛彩ははっきりと答える。


「はい。多分、これが一番早い方法なんです」


 今からやろうとしている事はきっと翔吾にとって、酷く辛いと感じることだろう。だが、やらなければいけない。AIに勝つために。翔吾と佑月が共に歩いて行けるために────。


『…………………』


 翔吾の呼吸音が聞こえる。一息、二息、三息。

 その呼吸は途中歪なリズムを刻んだものの、やがて安定した呼吸に変わる。


『………大丈夫です、覚悟は出来ました』


 その一声とほぼ同時、訓練エリアの扉が開かれる。現れたのは、屈強そうな男と、その男に連れられた滝沢佑月だ。白い服に手錠、痩せ細った身体からまるで囚人のように見える姿で現れた佑月は、翔吾を見るなり涙を浮かべた。


「お兄ちゃん!」


 翔吾の元へ駆け出そうとする佑月を男が止める。大声で「どうして!なんで行かせてくれないの⁉」と叫ぶ佑月を、愛彩たちは少し遠くから見ていた。


「エレン博士、お願いします」

「分かった」


 エレンが手元の端末を操作すると共に、訓練エリアの景色が変容を始めた。

 その景色はまるで愛彩や佑月、翔吾たちが住んでいた日本の───渋谷のスクランブル交差点の場所だった。


「まだ試験運用なんだがな。でもどうだ? この拡張現実空間……《バドBud》のシステムは‼」

「そうだな」

「まぁ軍事で試験運用された時もありましたからそう珍しくはないですかね」


 傲笑するエレンに、メリスやアスタリアは空返事を返す。愛彩は少し感動しつつ、それよりもと対峙する二人の様子に夢中で。


「大丈夫、だから………」


 ぐっと強く握られた愛彩の手にはじんわりと手汗が滲んでいたのだった。


***


「……手錠を外す。手を出せ」


 男がそう口にすると、佑月は素直に腕を男の方に向けた。しかし心は既に翔吾のもとにあるようで、顔は翔吾の方を向いている。早くと急かすように弱った足は動いていた。


「─────死ぬなよ、嬢ちゃん」


 刹那、佑月は膝を折って地面に座り込んだ。異様な腕の重みに見やると、手錠の代わりに腕には見覚えのある機械が装着されていた。


「え……どういうこと………?」


 顔を見上げ、男に疑問を投げかけるが既にそこにはおらず。


「ねえ、お兄ちゃん!」


 そう叫んでも、翔吾は佑月を助けることはない。

佑月に着けられた装備───それは《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》。愛彩が鉄塊を倒した際に使用した武具であることは、すぐにわかったことだろう。

 しかしその使用は身体を傷付け………最悪の場合、肉体は爆散する。その恐怖に抗おうとしているのか、必死に翔吾に助けを求めていた。

 だが………、


 ────どこからか飛来してきた光が、翔吾の胸中を閃いた。


 流れ出る鮮血を眼前にして、佑月は瞳孔を開く。


「お兄ちゃんっっ‼」


 大呼たいこする佑月。しかし攻撃は止むことを知らず、次々と翔吾の身体を穿つ。悲涙を浮かべ「もう辞めて!」と、そんな佑月の声は襲撃者に届くわけもなかった。

 気が付いた時には、翔吾は体の原型を残してはおらず、倒れていて。渋谷の景色に染み込んだ大量の血が赤黒く地面に色付ける。

 どうして、という疑問と共に、眼前に広がる光景に嗚咽を漏らした。

 重鈍な腕を必死に動かして、ゆっくりと、ゆっくりと、地面を這いながら、倒れた翔吾の元へと近づいて行く。

 絶望は深まり。

 悲しみが心に広がり。

 そして───怒りが、憎しみが膨らんでいく。

 絶望よりも深く、悲しみよりも広く。

 無限に。無尽蔵に。佑月を充満させていき。



「あ……あぁ、ぁあああぁぁあああァァァァァァア‼」



 やがて限界を迎え、咆哮し溢れ返った。

 その叫びに呼応するように、《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》が光を帯びる。


『これは試験機ver.1.32です。使用において危険性が存在します。ご注意ください。……使用者のデータが保存されていないため、ゲストとしてデータを読み込みます。心拍数、体温……計測完了。保存されている能力は《シールド》と《フォグ》です』


 その音声の直後、佑月は翔吾を穿った光の、その先────一機のドローンが浮遊しているの目で捉える。


「お前かッ」


 閃光の再来を予言するかのように、ドローンが一瞬光を放つ。


『シールド・オン』


 やがて佑月に向かって放たれた一縷の光線は、《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》から出現した、白いホログラムのような盾によって弾かれる。


「まだまだ…………ッッ」


 歯を食いしばり、光線の連射を全て『シールド』で防ぎ切る。しかしその反動は凄まじく、左腕が変な方向へと湾曲し、見ただけでも使い物にならなくなったことは明白だった。

 だが─────────、


「…………んは」


 佑月はまだ、立っていて。敵たるドローンから目を離してはいなかった。


「────お兄ちゃんは、もっともっと! 辛かった‼」

『フォグ・オン』


 その通告が鳴り響くと、《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》から大量の煙が、渋谷の街を、その街を映した訓練エリアを充満させた。煙によって標的を見失ったドローンの攻撃はピタリと止み、まるで困惑しているかのように右往左往と浮遊する。

 その一方で。


「あーあ、これは佑月ちゃんの勝ちかな」


 などと口にした愛彩に、エレンが小首を傾げた。


「どうしてそう言える? ワシらも何も見えんだろ」

「確かにそうですけど………でも《シールド》と《フォグ》でこの状況って言ったら──────」


 ────当然、ですよね。

 愛彩がそう口にした直後、エレンの手元から敵役ドローンが壊れた事を知らせる警告音が鳴り響いた。


■ ■ ■


 …………何故だろう。嗚呼、何故なんだろう?

 怒りに震えてるはずなのに、お兄ちゃんが殺されて叫ばずにはいられないほど感情が溢れそうなのに。

 なんでだろう。

 私の心は冷静で、身体は霊体のように冷たく、軽く。

 それでいて─────熱い。

 腕を中心に全身を炎のような熱が駆け巡る。これは一体なに? 憎悪? 憤慨?

 でもそんなことはどうでもよくて、このほむらは、私にお兄ちゃんの仇討ちを導いてくれている………そんな気がした。

 この装置にどんな機能が眠っているのかなんて、私は知らない。盾を出したり、煙を散布したりするなんて、今まで真っ暗な部屋に一人閉じこもっていた私には全く知りようもない事だった。

 なのにどうして、どうして………?


「─────もう、いいや」


 もう辞めよう、そんなくだらない事を考えるために脳を使うのは。

この力があれば、もうお兄ちゃんのような苦しい思いをする人は減るよね?

 この力があれば、先輩のような痛い思いをする人は減るよね?

 この力があれば────サンフランシスコでのあの映像みたいに、死ぬ人は減るよね?


 だけど。

 ─────私がもっと早くこの力を手にしていれば、彼らがそんな思いをすることなんてなかったんじゃないか?


 そう思うごとに辛くなる。以前までの私が憎たらしくて仕方ない。

 どうして私はこの力と出会わなかったのだろう………。もっと、もっと早く出会っていれば、先輩が優さんを喪う事はなかったのかもしれない。大切な人を、家族を、命を、理不尽に奪われる事はなかったのかもしれない。

 ────お兄ちゃんが死ぬことはなかったのかもしれない。お兄ちゃんの後ろで守ってもらうばかりじゃなくて、隣に立って一緒に未来に歩んで行けたかもしれない。

 そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなる。

 だから、もう辞めよう。

 考えるのはもう、辞めよう。


『シールド・オン』


 右腕を上げ、私の上を浮かぶドローンに向けて手を仰ぐ。すると《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》から射出された光線がドローンの少し上に集合して盾のような形を形成した。


「これで………終わりッ!」


 私が勢いよく右腕を振り下ろすと、盾が急降下してドローンを地面に叩きつけた。すかさず落下したドローンを地面に押さえつける。

 直後、どこからか警告音が聞こえると共に、見えていた渋谷の街は白く消えていった。

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