チャプター2-chapter.2- 憎悪、矜持、そして戦争

Episode20. 疑惑

 グレートサンディ砂漠、地下三〇〇〇メートル——————巨大研究施設、《ヘルヘイム》。

 その中で訓練エリアとして区画された場所に、男たちは集まっていた。

 桜鼠さくらねずみ色の軍服を身にまとい、縦横の列を歪みなくそろえて並んでいる。


「よし。全員いるな‼」


 およそ数百人…………その人々を眼前として、アスタリアの威厳ある声が轟く。


「ではこれより、本日の軍事訓練を開始するッ!」

「「はいッッッ‼」」


 威勢のいい男たちの声からは、彼らがどれだけ真剣にこの訓練に臨んでいるかが手を取るように明白だった。……………のだが。


「でも、これを客観的に捉えるとちょっと…………」


 と言うのは、重傷につき訓練参加を認められなかった愛彩である。その隣に腰を据えるエレンは、微笑を浮かべた。


「そう言うな。あれは最新技術を用いた画期的な軍事訓練だぞ?」

「確かにそれは理解してるんですけどね……………ははは」


 愛彩がそう空笑いをするのも無理はない。彼女の目の前に広がる訓練、その光景は想像する「訓練」とは程遠いものであるのだから。

 真面目に声を張る男たちだが、その声は彼らの喉を通して聞こえているわけではなくスピーカーを通してのもので。

男たちの手には銃の一丁すら握られておらず、ましてや立ってすらいない。

 幾多と並べられたカプセルの中で横になっているだけ————この光景を一体誰が『訓練』だと呼べるだろうか。


「地下空間で銃を発砲する必要もなく、地下から出る必要もない………しかし奴等に対抗するためには訓練は必須だろう」

「そこで開発されたのがコレですか」

「そうだ、その名も仮想空間訓練装置…………通称、《シードSeed》ッ」


 煌びやかに目を輝かせて叫ぶエレンを横目に、愛彩は呆れ顔を隠せずにはいられなかった。そもそも第一に、《シード》などと名付けたのは良いが、ここが《ヘルヘイム死者の国》であることを忘れているのではないだろうかと。

 そんなくだらないことはさておき。


「しかし、あのカプセルに入るだけだったら私でもできたんじゃ………?」

「バカ言え。現実世界の身体と仮想世界の肉体からだの感覚は完全に共有リンクされている。現実世界での怪我は仮想世界でも〝痛覚のみだが〟存在するぞ」

「あぁ、そういう…………」


 何度も繰り返すが、数か所にわたる骨折、罅、さらには肩関節脱臼に内出血不特定多数………要するに愛彩は重傷である。そのため、こうして車椅子に乗った状態で見学席から同志の訓練の様子を見守っているわけで。


「そもそも考えてもみろ。で訓練したところでそれはただの〝遊び〟に過ぎん。そんな遊び感覚でこの訓練は行われるべきではないだろう?」

「確かにそうですけど…………それ以前に現実世界と仮想世界のダメージが共有されてること自体、あまり想像できないことかと」


 愛彩の知る限りのVR技術は、仮想空間に別のアバターを作り操作するまでであり、現実世界とは完全に乖離しており、ましてやダメージが共有されるなどという話は一つたりともなかった。


「まぁ実際、一人とて戦力が削がれるのは人類側としては痛手だからと現実世界の肉体に影響がある訳ではないんだがな」


 そりゃそうだ、と呆れ顔を隠せない愛彩。対してエレンは少し残念そうな表情を浮かべており、「この人は本当に人類の味方なのか?」と疑わしくもなってくる。


「ん、待てよ……………?」


 とここで、愛彩は一つの考えを案出し、口にした。


「エレン博士、その装置を使えばもしかして《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を疑似体験できたりするんじゃないですか?」


 それは未だ残留する謎の一つ————〝なぜ愛彩が《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を使用できたのか〟についてだ。船内でアスタリアに見せられた《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》の実験映像によれば、愛彩は既に死んでいてもおかしくはないはずだ。


いや、訂正しよう————愛彩ははずだった。


だがしかし、愛彩はこうして生存しており、重傷は負ったものの回復の兆しを見せている。

加えて、《ヘルヘイム》に到着して数日後には愛彩の身体検査を実施したが、他の人たちと比較して特に大きな差異は発見されなかった。

 つまり問題は愛彩ではなく《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》にあるということは明白になったのだが………それ以降、研究は滞りを見せていた。

 その理由は単純————戦力の減少が危惧されたからだった。

 この問題を進展させるためには他の人が《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を利用する実験はまず避けられない。だがそれは重傷、或いは死の可能性を孕んでいるとあれば容易く実行できるものではなかった。


「————でも、《シード》は感覚のみに影響し、現実世界の身体には影響がない。とあればこの実験を実行に移せるんじゃないですか?」


 戦力減少を防止しつつ、研究の進展が臨めるのでは————と。

 その考えにしばらく眉を顰めるエレン。仮想空間にいる男たちは銃の発砲訓練でも始めたのか、筒音が紛然と響き渡る。数分後、その音はピタリと止み、同時にエレンは言う。


「——————悪いが、それはできないな」

「…………なぜ?」


 内心驚いていた愛彩だったが、口から出た言葉は至極冷静なもので。


「確かにお前さんの言う通り、《シード》を用いれば現実世界の肉体に負傷を負わせることなく《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》の使用実験ができる。そうすれば件の謎もほとんど解決したも同然と言えるだろうな」


 だが、とエレンは言葉をつなぐ。

 その理由を聞いて、その言葉を耳にして。

果たして愛彩は何を思ったのか…………それは多くの学問において数十、数百という研究に成果を上げてきたエレンにさえ、愛彩の無表情から読み取ることはできなかった。


 だが……それは人を殺すということに他ならない———————


 そう告げたエレンを一瞥することもなく、愛彩は無感動にモニターを眺めていた。


***


訓練エリアに設置されたモニターの電源が落ち、各々が入っていた《シード》の扉が開く。

時刻は夜の十時を過ぎているものの、煌々と照らされた訓練エリアはまるで昼間のように明るく、そして暑い。


「全員、異常ありませんッ!」

「よし。明日は九時からだ。本日の内容を忘れるなよ」

「はい‼」

「以上、解散ッッ‼」


 そのような通例のやり取りを終え、アスタリアはその場を後にしようと出口に足を向けると————、


「相変わらず暑苦しいな」

「……………」


 そのご老体は声を掛けてきたのだった。

 車椅子に乗り、平然と笑って。両足に取り付けられた義足は未だ上手く動かないのか、時折チャカチャカと金属音が鳴っている。


「何の用だ、エレン=クリスタ」


 アスタリアは嫌悪を露わにしてそう応える。 


「まぁそんな顔をするな。皺が増えるぞ」

「…………ッ‼」


 瞬間、不意に殴りそうになった拳を押さえ、二回ほど深呼吸をして落ち着かせる。

 こうアスタリアがエレンに嫌悪を、憎悪を抱くのも当然だ。なにせエレンは《カイン》暴走を引き起こした主犯とも言える人物なのだから。


「……それで、用件は?」

「なに、少し話したいことがあるだけだ」

「……………悪いがこの後まだ用事がある。歩きながらなら聞いてやる」


 と、アスタリアはエレンの横を抜け、出口の方へと歩き出す。その背を追うようにしてエレンは車椅子を回転させ、訓練エリアを後にしたのだった。



「————アイについてだ」


 エレンがアスタリアに話を切り出したのは、訓練エリアを後にしてすぐのことだった。

 『アイ愛彩』と、その名前を聞くと、アスタリアの眉がピクリと動く。


「……………長谷部愛彩がどうした?」

「さっき話をしたんだがな、どうも少し引っかかる」

「なにかあったのか?」

「実は————————————」



***


 だが……それは人を殺すということに他ならない———————


 数時間前、エレンが愛彩にそう告げると、愛彩は何を言うでもなくモニターを眺め続けていた。暫時その顔を見た後、エレンは話を継続する。


「先から言っているだろう、現実の身体に影響がないとはいえ、んだ。それがどういうことを意味するか、考えればその考えを採択することはできないだろう」


 《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を用いた際の肉体不可は尋常ではない。それこそ、粉砕骨折や筋肉断裂を軽くしてしまうほどに。


「腕はひしゃげ、身体は捩り。何ならレベル3からは肉体が四散するとまで言われておる。…………そんな痛覚を感じ、なお生存する人間の精神はどうなると思う?」

「……………」


 愛彩は依然、沈黙を続けた。

 無論、エレンの発言が理解できないというわけではないだろう………凄惨な死を幾度も迎えていれば、精神が崩壊してしまうことは。

故にエレンは言う————〝人を殺す〟ことと同義だと。

 やがてふぅ、と一息吐き出した愛彩は、エレンの方へと顔を振り向けた。その顔はどこか儚げで、切なそうで、悲しそうで。

 それでいて申し訳なさそうな表情に、思わずエレンは瞠目した。


「…………ごめん。私、そういうの…………よくわかんない」

「わからないはずがないだろう……? 《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を使用して何度も死を体感する。そうすればその人の精神は——————」

「そういう理論的なことじゃない。………私には、それが想像できないって話」

「なっ……⁉」


 エレンは愛彩のその言葉に驚かざるを得なかった。

身体がぐちゃぐちゃに壊れる感覚が、心が修復不可能になるその感覚が。

普通の人間であれば耐えきれるはずのないことを、ただ淡々と〝理解不能だ〟と、愛彩はそう言ったのである。


「例え手足を失おうと、両目をくりぬかれようと、拷問を受けようと————————私はアイツ等を、AIを抹殺するまで、絶対に死なない」


 その為ならば、どんな苦痛であっても耐えられると、まるでそう断言するように。

 例え何度死んでも、その目的は達成すると、確固たる決意を表明する。


「だから—————私にはわからない」



***



「………どう思う?」

「——————」


 移動を終えて椅子に腰を据えたアスタリアに、エレンは問うた。

 しかしアスタリアは何を話すでもなく、ただそこに座り、下を向いているだけだった。


「ワシとしては、《シード》があの特徴を持つことから、アイがあの案を考えたのは必然だと思う。しかしアイは心の問題を一切問題視していなかった」


 それだけ恋人への愛情が強かった?

 それだけAIに憎悪を抱いている?

 ……………だとしても、恐らくあのような発言はしないだろう。

 ましてや彼女は《ヘルヘイム》内で唯一、《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を使用したことがある人間だ。彼女がその装置を使う辛苦を知らないはずがない。


「………………その話を俺にして、一体どうしろと?」

「そんな難しいことは言わん。—————それだけだ」

「警戒?」


 エレンが発した言葉の違和感に、アスタリアは顔を上げる。


「今やアイはワシらが想像できない未知の領域にいる。………肉体のみならず、精神までも」


 《瞬間肉体強化装置アビリティ・コート》を使ってなお耐え得る身体があり、死を恐れず、ただAIを抹殺することに執着した精神がある。


「そんな愛彩をこの戦争に直接関与させるのは少々危険なように思える」

「だとしても他の訓練生より遥かに強いことが想定されているアイツは、人類側にとっては大きな戦力だ。それを失うわけにはいかないだろ。それにアイツも人間だ。AIと同様に暴走するわけじゃない。そこまで危険視するのは————————」

「……………本当にそうか?」

「あ?」


 先の発言のどこに疑惑を掛けるものがあったのかと、アスタリアは眉を寄せてエレンを睨む。そして、


「奴は…………アイは?」


 そのエレンの発言に、アスタリアはさらに眉を顰めるのだった。

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