Episode19. 本来の平和
「アスタリア!」
その声が掛かったのは、アスタリアが銃口を下へと降ろしてすぐのことだった。
アスタリアが横目で捉えたのは、メリスと愛彩の二人の姿。サイレンサーを付けていなかったこともあり、銃声が漏れていたのだろう。
そしてもはや、言い逃れの余地はない。
「……………………………愛彩ちゃん、止血お願い」
と、メリスは左腿にあったポーチを取り外し、愛彩に手渡した。愛彩はただ一つ頷くと、エレンの方へと向かう。
一方のメリスは怒りの形相を浮かべ、その場から早足にアスタリアの真正面へと立った。
顔を上げ、対峙し、そして拳をアスタリアの頬に撃ちつけた。
鈍い音を立て、アスタリアの頬が弾力性をもって一瞬歪み、その勢いに耐え切れず、体が軽く吹き飛ばされる。
メリスは地団太を踏むようにしてその体躯を追い、馬乗りになり、胸倉を掴んで引き挙げた。
「何をしたかわかってるの⁉」
「………………ああ、わかっている」
怒声を発するメリスに対してアスタリアは何の表情を見せるでもなく、ただメリスを氷のような視線を送りつけた。
「なに、その目は…………?」
「………」
「黙ってないで何とか言ったらどうだ!」
「……………」
「言えって—————」
「何も知らないお前が、知ったような口を聞くな‼」
—————。
しん、と静まり返る。
「それって………どういう………………ッ⁉」
逆上して声を張り上げたアスタリアを前に、メリスの怒りの色が少し褪せる。その隙を突いて、掴まれていた手を引き剥がした。
「言っておくがメリス、こいつは…………エレン=クリスタはただの裏切り者だ‼」
「ぇ—————」
「こいつはこんな状況になることを知り得ていたッ、なのにそれを阻止しようと考えず、それどころかそれを利用して馬鹿げたことをしていたんだッ! それをお前は許せるのか!」
アスタリアは真実を伝え、自身の行った行動の正当性を図る。
だから俺は撃ったのだ、と。
道義心に基づいた行動であったと。
秋霜烈日などではない、当然な罰であると。
そう言い張るが如く、アスタリアはメリスに訴えて————————
「————じゃあなんで、殺さなかったの?」
そして愛彩が、横槍を入れた。
「長谷部愛彩………………お前は真実を知っていたんだろ。ならどうして————」
「質問をしてるのは私だよ、アスタリア=デュフォード」
「何だと………?」
蟀谷から血管が浮き出るかのように憤慨の形相に変容したのは、無論愛彩でもすぐに理解できた。
「…………何様のつもりだ」
「それはこっちのセリフですよ。というか、いいから質問に答えて」
「………………言ったはずだ、そしてお前は知ってるはずだ。こいつはそれ相応の罰を受けるべきだった。だが殺すのは今後に支障が出る。AIとの戦争に勝ち抜くためにはな」
「そうですか。それだけ冷静に頭が働いていたのに、それでもなお銃を取ったんですね」
止血を一段落終えた愛彩は、ゆっくりとアスタリアの方へと接近した。
「お前………さっきから何が言いたい? 俺の行動が過ちであると言うのか⁉」
「いえ、文句はありません。そうしてしまう理由も納得します」
「だったら—————」
アスタリアは馬乗り状態にあるメリスを跳ね除けて、立ち上がろうとする。
しかし、愛彩が人差し指をアスタリアの眉間に突き立て阻止した。
「けど刑罰を、あなたがする権利はない」
「———————————ッ‼」
無論、アスタリアになくてメリスや愛彩にある、などということもない。今この現状において、刑罰を与える権利を持つ人は誰一人としていない。例えそれが裁判所に務めていた人間であったとしても。
「だが誰かが刑罰を与えなければいけないのは事実だろ! だから俺は……………」
「それを自分一人で裁定してしまうのはただの傲慢ですよ」
「な—————」
「何か私、間違ったことを言いましたか?」
いや、間違ったことなど一つもない。
人の罪に刑罰を科す裁判所であれ、最高裁判官一人で判決を下しているわけではない。弁護士がいて、検察がいて、他の裁判官がいて決定されるものである。もちろん裁判制度については国によって多少の違いはあるだろうが、少なからず〝独断で判決が決まる〟ということはまずない。
「確かに、エレン博士は厳罰を受けるべきなのかもしれない。けど————今じゃなくてもいいんじゃないですか?」
「それでも………ッ!」
「私も、殺したいほど憎いです」
エレンの行動一つが、一体どれだけの人を殺したのだろう。
そう考えるだけでも、胸やけを感じる。
殺意が芽生え。
憎悪に満たされ。
今にも悲憤が爆発してしまいそうだが。
例えそうだったとしても、今は堪えなければならない。
「だって………私たちがまず殺すべきは、AIなんですから」
***
ひと悶着はそれ以上拡大することなく収束し、翌日を迎えた。
あれからすぐに医療エリアに運ばれたエレンは命に別状はなく安静にしている。しかし銃で何発も撃たれた両足は修復不可能とされ、切断することになった。医療エリアに神経干渉系の義足があり、手術が済めば以前と同じような生活ができるということは不幸中の幸いと言えるだろう。
「………というのはいいとして、なんで私も医療エリアにいるんですか?」
「当たり前でしょ。瞬間肉体強化装置を使った時の傷がまだ完治してないんだから。それに貧血も治ってないんでしょ」
「でも別段、行動に支障が出てるわけじゃないですし…………」
「だからっていつまでもそのボロボロな体を治さないわけにはいかないでしょ‼」
「うっ………………」
強力な鎮痛剤を投薬していた為に愛彩も忘れていたが、数か所にわたる骨折と罅、肩関節脱臼に内出血不特定多数。要は重症である。そのため、船を降りてから現在まで基本的には愛彩は自身の足で歩かず、車椅子を用いて移動をしていたのだった。
「まぁ、けど脱臼は治ったようなものだし、内出血だって別にほっとけば治るんだし………」
「問題はそこじゃない」
「そうですよね、そうですよね!」
メリスの表情が鬼になりかけていたのを横目に、愛彩は思わずそう答える他なかった。
沈黙の後、閑話休題。
「それでその…………アスタリアさんは?」
「ああ、もうすぐ放送するからって準備してるよ」
「そう、ですか…………」
あの件の少し前、愛彩たちとは異なる場所から回収されてきた日本人たちが施設に新来し、日本人は合計で一〇八一人となっていた。他の国々では、別の施設で同様の処置が取られているらしく、アスタリアはこの施設のリーダー的存在を担っていたのだった。
そして今日行われるのは、施設の放送機能を利用した諸報告と意思疎通。
しかしそれに対して、愛彩は疑倶の念を抹消しきれずにいた。
「愛彩ちゃん、多分だけど心配いらないと思うよ?」
「……………信頼してるんですね」
少し俯きがちに愛彩が言うと、メリスはニコリと笑った。
「まぁね。………さて、そろそろかな?」
と、メリスが医療エリアのスピーカーに目をやった時である。
ザー、ザーという一時的な砂嵐の音の後、アスタリアの声が聞こえてきた。
「メリスさん………」
「どうかした?」
「本当にエレン博士のこと、吹聴したりなんてことはないんですよね?」
「ははは……………」
信用ないなぁ、とメリスが顔に文字を書いて苦笑いをこぼす。
けれどこの場所からこの放送が止められるわけもなく、ただ音声が流れるばかりだった。
『諸君、俺は人工知能対策特殊部隊隊長、アスタリア=デュフォードだ』
威厳ある声が響いた。
『まず、今の状況に困惑している者も多いだろう———————』
そうして説明が始まった。
内容は愛彩やメリスが既知している事実……………横浜に位置していた研究所にて完全汎用AI《カイン》が暴走。その鎮圧には成功したがしかし、《カイン》によって組まれていた人工衛星のハッキングプログラムが起動し、全世界のAI全てを狂暴化させた。
それから避難として米国へと逃亡を図ったものの失敗し、再度逃走を図って現在に至る。
けれどその内容にエレンや愛彩といった人の存在は語られなかった。
『———————以上が現状である。続いて今後についてだが………』
先程の説明を受けて一体どれほどの人が、絶望しているのだろう。
涙を落とし、「嫌だ」「死にたくない」と嘆くのだろう。
—————そう考える数瞬を与えないかの如く。
『俺は〝戦う〟ことを視野に入れている』
アスタリアが一刀両断の一言を口にしたのだ。
『無論、俺は何の可能性もなしに言っているのではない。AIと殺り合える力の目処は既に立っている』
即ち、愛彩と瞬間肉体強化装置のことである。
『人類が生存の道を歩むためには、今後必ず俺たちは戦わなくてはならない』
もしもこれを人生の分岐点というのならば、人類が資源の尽きるまでAIの脅威に怯えながら最期を迎えるかのどちらかのみである。その結末はこの場の誰もが望んでいない。
『だが、俺やこの施設にいる軍人…………元・軍人たちでは力不足であるのも事実。そこで、この施設にいる一般人にも戦力となってもらいたい』
「……………………アスタリアさん」
『勿論、強制はしない。この状況に対して抗おうともせず、ただ死を待つのであれば別に構わない』
これは挑発だと、愛彩もメリスもすぐに分かった。
『しかし思い出せ。俺たちが奴らにどんな仕打ちを受けたのかを。友人を殺され、恋人を殺され、家族を殺された悲しみと怒りを』
奴らは大切だったものを、人を奪った。
『何もできなかった屈辱と憎しみを』
歯を軋ませ、ただ愛彩が戦っていたのを見ていただけだった。
『もし少しでも復讐心があるならば、俺たちは動くべきだ。そうだろう?』
機械に電池が入っているのならば、あとは起動させるだけだと。
『確かに、奴らは俺たち人類が強欲の末に生み出したものだ』
それでも、許せるはずがない。
大切なものを奪われ、絶望させられたあの瞬間を誰が許容できるものか。
『しかしだからこそ、俺たちには奴らを殲滅する責任がある。そうだろう⁉』
「……………………ハハハハハ、アデューの奴め」
アスタリアの放送が流れる中、愛彩とメリスの耳に届いたのはそんな小声だった。
「起きてたんですね、エレン博士」
「なに、別にお前さんほど重傷でもないからな」
「いや、足を失うって相当重傷だと思いますけど…………」
カーテン越しに見える影はごく普通の人間だった。しかし布団の下に隠された足は既にないと思うと痛々しい。
「それで、エレンはこれからどうするんですか?」
「どうするとは? アイによってワシは処刑されないのだろう?」
「いやまぁ、アスタリアも殺すつもりはありませんでしたけどね」
「そうだな……………強いて言うなら、ワシは人類には生きて貰わなければならん」
「?」
言動の不一致に、思わず愛彩は小首を傾げた。
このエレン=クリスタは今までAIに情報を漏らし、危険に晒してきた。いわば敵であると言っても過言ではない。それなのに人間に生きて貰わなければいけない、というのは紛れもない矛盾だった。
「それってどういうことか訊ねても?」
「なに、単にワシは一人の研究者にすぎんということであって、元から人類の敵ではないということだ」
思えば、もしエレンが完全な敵だったとしたら、瞬間肉体強化装置などというものは開発しなかっただろう。そう考察すると、先のエレンの言葉は本心なのかもしれないと愛彩は思った。
「アイ、メリス。お前たちに一つ教えておいてやろう」
不意に、エレンがそんなことを口にし始めた。
「この世に平和など存在しない。人間が、特に先進国が言っていた平和はただの偽物にすぎん。彼らの言う平和とは、自分たちの安堵や安寧でしかないからな」
確かに、と思わせる部分は多々ある。例えば、貧民国に対して先進国の人たちは何を行っていたのだろう。援助や補助はしていたかもしれないが、それで貧困問題が解決することはなかった。つまり、差し伸べた手は辛うじて手に取れる水でしかなかったのである。
「だがな…………ワシはそれでいいと思っておる」
「————ッ」
なんで、と叫びそうになった愛彩だったが、自分がそれを言える立場にないことを理解し、口を噤んだ。何故なら愛彩は、その一先進国の人間だったのだから。
「自分が一番で何が悪い、他人はあくまでも他人でしかないだろう。例えそれが友人であれ家族であれ恋人であれ、他の人であることには変わりない。自分が二番以降に当たるのであれば、それこそ異常者だろう?」
だから平和など生まれないと—————エレンは諭す。
人間が存在している以上、本当の平和は訪れないと告げる。
「これからAIと戦って得るのはそんなものでしかないと、よく覚えておくといい」
「それでも———————それでも、私は戦います」
だが、そんな理屈など、愛彩には関係ない。
愛彩の胸にあるのは、優の『生きて』という願いだけ。
ただそれだけで、愛彩には戦う理由になり得た。
「そう断言するのであれば期待しておこう、アイ」
「期待しておいてください」
愛彩が自身満々に言うと、エレンは微笑した。メリスは全く、とため息をこぼすがしかし、その顔には笑みが浮かんでいた。
愛彩が冗談めかしたことを発言したと思ったというわけではなく、無理だと嘲笑されたわけでもなく、その笑みが愛彩に対する期待を表しているのだと、愛彩自身も理解していた。
そして約二年後——————、
愛彩がその期待に見事応えることを、この場の誰もが知らない。
愛彩が人類最強の兵士となることを、まだ誰も知る由もなかった。
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